説苑 / 立節
宋襄公茲父為桓公太子,桓公有後妻子,曰公子目夷,公愛之,茲父為公愛之也。欲立之,請於公曰:「請使目夷立,臣為之相以佐之。」公曰:「何故也?」對曰:「臣之舅在衛,愛臣,若終立則不可以往,絕跡於衛,是背母也。且臣自知不足以處目夷之上。」公不許,彊以請公,公許之,將立公子目夷,目夷辭曰:「兄立而弟在下,是其義也;今弟立而兄在下,不義也;不義而使目夷為之,目夷將逃。」乃逃之衛,茲父從之。三年,桓公有疾,使人召茲父,若不來,是使我以憂死也,茲父乃反,公復立之以為太子,然後目夷歸也。
新字:宋襄公茲父為桓公太子,桓公有後妻子,曰公子目夷,公愛之,茲父為公愛之也。欲立之,請於公曰:「請使目夷立,臣為之相以佐之。」公曰:「何故也?」対曰:「臣之舅在衛,愛臣,若終立則不可以往,絶跡於衛,是背母也。且臣自知不足以処目夷之上。」公不許,彊以請公,公許之,将立公子目夷,目夷辞曰:「兄立而弟在下,是其義也;今弟立而兄在下,不義也;不義而使目夷為之,目夷将逃。」乃逃之衛,茲父従之。三年,桓公有疾,使人召茲父,若不来,是使我以憂死也,茲父乃反,公復立之以為太子,然後目夷帰也。
書き下し
宋の襄公茲父は桓公の太子為り。桓公後妻の子有り、公子目夷と曰う。公之を愛す。茲父公の之を愛するを以てなり、之を立てんと欲す。公に請いて曰わく、「請う目夷をして立たしめよ、臣之が相と為りて以て之を佐けん」と。公曰わく、「何の故ぞや」と。対えて曰わく、「臣の舅衛に在り、臣を愛す。若し終に立たば則ち以て往く可からず、跡を衛に絶つは、是れ母に背くなり。且つ臣自ら知る、目夷の上に処るに足らざるを」と。公許さず、彊いて公に請う、公之を許し、将に公子目夷を立てんとす。目夷辞して曰わく、「兄立ちて弟下に在るは、是れ其の義なり。今弟立ちて兄下に在るは、義に非ざるなり。義に非ずして目夷をして之を為さしめば、目夷将に逃げんとす」と。乃ち衛に逃る。茲父之に従う。三年、桓公疾有り、人をして茲父を召さしむ。若し来たらずんば、是れ我をして憂を以て死せしむるなりと。茲父乃ち反り、公復た之を立てて以て太子と為す。然る後目夷帰る。
現代語訳
宋の襄公茲父は桓公の太子であった。桓公には後妻の子がおり、公子目夷といった。桓公は目夷を可愛がっていた。茲父は父が目夷を可愛がっているのを理由に、目夷を太子に立てようとした。父に「どうか目夷を太子に立ててください。私は彼の宰相となって補佐します」と願い出た。桓公は「なぜそうしたいのか」と尋ねた。茲父は答えた。「私の母方の叔父は衛にいて、私を可愛がってくれています。もし最終的に私が太子になれば、衛には行けなくなり、衛との縁を絶つことになります。それは母に背くことになります。それに私は自分自身、目夷より優れているとは思えません」と。桓公は許さなかったが、茲父が強く願い出たので、ついに許可し、公子目夷を太子に立てようとした。目夷は辞退して言った。「兄が立ち弟が下位にいるのは道義にかなっていますが、今弟が立ち兄が下位にいるのは道義に反します。道義に反することを私にさせようとするなら、私は逃げ出します」と。そして衛へ逃げた。茲父もこれに従って衛へ行った。三年後、桓公が病にかかり、人を遣わして茲父を呼び戻させた。「もし戻らなければ、私を憂いのうちに死なせることになる」と。茲父はそこで帰国し、桓公は再び彼を太子に立てた。こうしてようやく目夷も帰国した。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
説苑・建本晋の襄公薨じ、嗣君少く、趙宣子相たり。大夫に謂いて曰わく、「少君を立つれば、多難ならんことを懼る。請う雍を立てん。雍長じ、出でて秦に在り、秦大にして、以て援と為すに足る」と。賈季曰わく、「公子楽に若かず。楽国に寵有り、先君愛して之を翟に仕えしむ、翟是を以て援と為す」と。穆嬴太子を抱きて庭に呼びて曰わく、「先君奚の罪ありや、其の嗣も亦奚の罪ありや。嫡嗣を捨てて立てずして外に君子を求む」と。朝を出でて抱きて宣子に見えて曰わく、「難きを悪みて、故に長君を立てんと欲するも、長君立ちて少君壮なれば、難乃ち至らん」と。宣子之を患い、遂に太子を立つ。
-
『管子』戒桓公易牙・豎刁・衛の公子開方を去る。五味至らず、是に於いてか復た易牙を反す。宮中亂れ、復た豎刁を反す。利言卑辭側に在らず、復た衛の公子開方を反す。桓公内に力を量らず、外に交を量らずして、力めて四鄰を伐つ。公薨じ、六子皆立たんことを求む。易牙と衛の公子と、内は豎刁と、因りて共に羣吏を殺して公子無虧を立つ。故に公死して七日斂せず、九月葬らず。孝公宋に犇り、宋の襄公諸侯を率いて以て齊を伐ち、甗に戰い、大いに齊師を敗り、公子無虧を殺し、孝公を立てて還る。襄公立つこと十三年、桓公立つこと四十二年。
-
説苑・敬慎田子方魏の文侯に侍坐す。太子撃趨りて入りて見ゆ。賓客群臣皆起つ。田子方独り起たず。文侯説ばざるの色有り。太子も亦た然り。田子方称して曰わく、「子の為に起たんか、礼何かせん。子の為に起たざらんか、罪何かせん。請う子の為に楚の恭王の太子為りし時を誦せん。将に之を雲夢に出でんとするに、大夫工尹に遇う。工尹遂に趨りて家人の門中に避く。太子車を下りて之を家人の門中に従いて曰わく、『子大夫何為れぞ其れ是くの若きや。吾之を聞く、其の父を敬う者は其の子を兼ねず、其の子を兼ぬる者は不祥焉より大なるは莫しと。子大夫何為れぞ其れ是くの若きや』と。工尹曰わく、『向に吾子の面を望見し、今にして後子の心を記す。審らかに此くの如くんば、汝将た何くにか之かん』と」。文侯曰わく、「善し」と。太子撃前みて恭王の言を誦し、三たび誦して之を習わんことを請う。
-
説苑・至公呉王壽夢に四子有り、長を謁と曰い、次を餘祭と曰い、次を夷昧と曰い、次を季札と曰う、號して延陵季子と曰う。最も賢にして、三兄皆之を知る。是に於て王壽夢薨じ、謁位を以て季子に讓るも、季子終に肯えて當らず、謁乃ち約を為して曰く、「季子賢なれば、國をして季子に及ばしめば、則ち呉以て興るべし」と。乃ち兄弟相繼ぎ、飲食には必ず祝いて曰く、「吾をして早く死せしめ、國をして季子に及ばしめよ」と。謁死し、餘祭立つ。餘祭死し、夷昧立つ。夷昧死し、次いで季子に及ぶ。季子時に行きて在らず。庶兄僚曰く、「我も亦兄なり」と。乃ち自ら立ちて呉王と為る。季子使いより還り、復た故の如く事う。謁の子光曰く、「吾が父の意を以てすれば、則ち國當に季子に歸すべし、繼嗣の法を以てすれば、則ち我適なり、當に之に代わるべき君、僚何為れぞや」と。乃ち專諸をして僚を刺さしめて之を殺し、位を以て季子に讓る。季子曰く、「爾吾が君を殺す、吾爾の國を受くれば、則ち吾爾と共に篡を為すなり。爾吾が兄を殺し、吾又汝を殺せば、則ち是れ昆弟父子相殺して已む時無きなり」と。卒に之を去りて延陵に、終身呉に入らず。君子は其の殺さざるを以て仁と為し、其の國を取らざるを以て義と為す。夫れ國を以て身を私せず、千乘を捐てて恨まず、尊位を棄てて忿らず、以て庶幾かるべし。
-
『新序』節士第七曹の公子喜時、字は子臧、曹の宣公の子なり。宣公諸侯と秦を伐ち、師に卒す。曹人子臧をして喪を迎えしむ。公子負芻をして、太子と留守せしむ。負芻太子を殺して自立す。子臧負芻の主に當たるを見るなり。宣公既に葬られ、子臧將に亡げんとす。國人皆な之に從う。負芻立つ。是れ曹の成公爲り。成公懼れ、罪を吿げ、且つ子臧を請う。子臧乃ち反る。成公遂に君と爲る。其の後晉侯諸侯を會し、曹の成公を執え、之を京師に歸し、將に子臧を周の天子に見えしめて之を立てんとす。子臧曰く、前記に之れ有り。聖は節に達し、次は節を守り、下は節を失わず、と。君と爲るは吾が節に非ざるなり。聖なる能わずと雖も、敢えて守るを失わんや、と。遂に亡げて宋に奔る。曹人數ミ晉侯に請う。謂う、子臧國に反らば、吾爾の君を歸さん、と。是に於いて子臧國に反る。晉乃ち天子に言いて成公を曹に歸す。子臧遂に國を以て成公に致す。成公君と爲り、子臧出でず。曹國乃ち安し。子臧千乘の國を讓る。賢と謂う可し。故に春秋賢として其の後を褒む。
-
戦国策・周共太子死周の共太子死す、五庶子有り、皆これを愛し、適立つる無し。司馬翦楚王に謂ひて曰く、「何ぞ公子咎を封じて、これが為に太子を請はざる」と。左成司馬翦に謂ひて曰く、「周君聴かずんば、是れ公の知困しみて交周に絶えんとするなり。周君に謂ひて曰くに如かず、『孰をか立てんと欲する、微かに翦に告げよ、翦今楚王をしてこれを地を以て資たしめん』と。公若し太子と為らんことを欲せば、因りて人をして相国御展子・廧夫空に謂はしめて曰く、『王類ひ若をしてこれを為さしめんと欲す、此れ健士なり、中に居りて相国に便ならず』と」と。相国これをして太子と為さしむ。