戦国策 / 周共太子死
周共太子死,有五庶子,皆愛之,而無適立也。司馬翦謂楚王曰:「何不封公子咎,而為之請太子?」左成謂司馬翦曰:「周君不聽,是公之知困而交絕於周也。不如謂周君曰:『孰欲立也?微告翦,翦今楚王資之以地。』公若欲為太子,因令人謂相國御展子、廧夫空曰:『王類欲令若為之,此健士也,居中不便於相國。』」相國令之為太子。
新字:周共太子死,有五庶子,皆愛之,而無適立也。司馬翦謂楚王曰:「何不封公子咎,而為之請太子?」左成謂司馬翦曰:「周君不聴,是公之知困而交絶於周也。不如謂周君曰:『孰欲立也?微告翦,翦今楚王資之以地。』公若欲為太子,因令人謂相国御展子、廧夫空曰:『王類欲令若為之,此健士也,居中不便於相国。』」相国令之為太子。
書き下し
周の共太子死す、五庶子有り、皆これを愛し、適立つる無し。司馬翦楚王に謂ひて曰く、「何ぞ公子咎を封じて、これが為に太子を請はざる」と。左成司馬翦に謂ひて曰く、「周君聴かずんば、是れ公の知困しみて交周に絶えんとするなり。周君に謂ひて曰くに如かず、『孰をか立てんと欲する、微かに翦に告げよ、翦今楚王をしてこれを地を以て資たしめん』と。公若し太子と為らんことを欲せば、因りて人をして相国御展子・廧夫空に謂はしめて曰く、『王類ひ若をしてこれを為さしめんと欲す、此れ健士なり、中に居りて相国に便ならず』と」と。相国これをして太子と為さしむ。
現代語訳
周の共太子が死んだ。五人の庶子がいたが、皆それぞれに寵愛されており、正嫡として立てるべき者が定まらなかった。司馬翦は楚王に「なぜ公子咎を封じて、その者を太子に立てるよう周に働きかけないのですか」と説いた。左成は司馬翦に言った。「周君がこれを聞き入れなければ、あなたの知恵が行き詰まり、周との交わりが絶えてしまうことになります。むしろ周君にこう伝えるべきです。『どなたを立てたいとお考えですか。密かに私(翦)にお教えください。翦は今、楚王に領地をもってその方を後援させましょう』と。もしあなた(司馬翦)が特定の公子を太子にしたいのであれば、人を遣わして相国の御展子・廧夫空にこう伝えさせるとよいでしょう。『王はどうやらあなたにこれを行わせたいご様子です。この公子は有能な人物であり、そのまま国の中枢にとどまれば相国にとって都合が悪くなりましょう』と」。こうして相国はその公子を太子に立てさせた。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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戦国策・謂齊王齊王に謂ひて曰く、「王何ぞ地を以て周最に齎して以て太子と為さざる」と。齊王司馬悍をして賂を以て周最を周に進めしむ。左尚司馬悍に謂ひて曰く、「周聴かずんば、是れ公の知困しみて交周に絶えんとするなり。公周君に謂ひて曰くに如かず、『何をか置かんと欲する、人をして微かに悍に告げしめよ、悍王をしてこれを地を以て進めしめんことを請はん』と」と。左尚此を以て事を得たり。
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説苑・建本晋の襄公薨じ、嗣君少く、趙宣子相たり。大夫に謂いて曰わく、「少君を立つれば、多難ならんことを懼る。請う雍を立てん。雍長じ、出でて秦に在り、秦大にして、以て援と為すに足る」と。賈季曰わく、「公子楽に若かず。楽国に寵有り、先君愛して之を翟に仕えしむ、翟是を以て援と為す」と。穆嬴太子を抱きて庭に呼びて曰わく、「先君奚の罪ありや、其の嗣も亦奚の罪ありや。嫡嗣を捨てて立てずして外に君子を求む」と。朝を出でて抱きて宣子に見えて曰わく、「難きを悪みて、故に長君を立てんと欲するも、長君立ちて少君壮なれば、難乃ち至らん」と。宣子之を患い、遂に太子を立つ。
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戦国策・楚王死楚王死す、太子齊に質為(た)り。蘇秦、薛公に謂ひて曰く、「君何ぞ楚の太子を留めて、以て其の下東國を市(か)はざる。」薛公曰く、「不可なり。我太子を留めば、郢中王を立てん、然らば則ち是れ我空質を抱きて天下に不義を行ふなり。」蘇秦曰く、「然らず。郢中王を立てば、君因りて其の新王に謂ひて曰はん、『我に下東國を與へよ、吾王の爲に太子を殺さん。然らずんば、吾將に三國と共に之を立てんとす。』然らば則ち下東國必ず得可きなり。」蘇秦の事、以て行くを請ふ可し。以て楚王をして亟(すみ)やかに下東國に入らしむ可し。以て楚に益割せしむ可し。以て太子に忠にして楚をして益地を入れしむ可し。以て楚王の爲に太子を走らしむ可し。以て太子に忠にして之をして亟やかに去らしむ可し。以て人をして蘇秦を薛公に惡ましむ可し。以て蘇秦の爲に楚に封を請ふ可し。以て人をして薛公に説きて以て蘇子を善くせしむ可し。以て蘇子をして自ら薛公に解かしむ可し。蘇秦、薛公に謂ひて曰く、「臣聞く、謀泄る者は事功無く、計決せざる者は名成らず、と。今君太子を留むる者は、以て下東國を市はんとするなり。亟やかに下東國を得る者に非ずんば、則ち楚の計變ぜん、變ぜば則ち是れ君空質を抱きて名を天下に負ふなり。」薛公曰く、「善し。之を爲すこと奈何。」對へて曰く、「臣請ふ君の爲に楚に之き、亟やかに下東國の地に入らしめん。楚成るを得ば、則ち君敗るる無からん。」薛公曰く、「善し。」因りて之を遣る。楚王に謂ひて曰く、「齊太子を奉じて之を立てんと欲す。臣薛公の太子を留むるを觀るに、以て下東國を市はんとするなり。今王亟やかに下東國に入れずんば、則ち太子且に王の割を倍して齊をして己を奉ぜしめん。」楚王曰く、「謹んで命を受けん。」因りて下東國を獻ず。故に曰く、楚をして亟やかに地を入れしむ可きなり、と。薛公に謂ひて曰く、「楚の勢多く割く可きなり。」薛公曰く、「奈何。」「請ふ太子に其の故を告げ、太子をして君に謁せしめ、以て太子に忠にし、楚王をして之を聞かしめば、以て益地を入れしむ可し。」故に曰く、以て楚に益割せしむ可きなり、と。太子に謂ひて曰く、「齊太子を奉じて之を立てんとす、楚王地を割きて以て太子を留めんことを請ふも、齊其の地を少しとす。太子何ぞ楚の割地に倍して齊に資(と)らざる、齊必ず太子を奉ぜん。」太子曰く、「善し。」楚の割に倍して齊に延く。楚王之を聞きて恐れ、益地を割きて之を獻じ、尚ほ事の成らざらんことを恐る。故に曰く、以て楚をして益地を入れしむ可きなり、と。楚王に謂ひて曰く、「齊の敢へて多く地を割く所以の者は、太子を挾めばなり。今已に地を得て求めて止まざる者は、太子を以て王に權すればなり。故に臣能く太子を去らしめん。太子去らば、齊辭無く、必ず王に倍かじ。王因りて強齊に馳せて交を爲さば、齊辭し、必ず王に聽かん。然らば則ち是れ王讎を去りて齊の交を得るなり。」楚王大いに悅びて曰く、「請ふ國を以て因(よ)らん。」故に曰く、以て楚王の爲に太子をして亟やかに去らしむ可きなり、と。太子に謂ひて曰く、「夫れ楚を剬(た)つ者は王なり、空名を以て巿ふ者は太子なり、齊未だ必ずしも太子の言を信ぜざるなり、而して楚の功見(あら)はる。楚の交成らば、太子必ず危からん。太子其れ之を圖れ。」太子曰く、「謹んで命を受けん。」乃ち車を約して暮に去る。故に曰く、以て太子をして急に去らしむ可きなり、と。蘇秦人をして薛公に請ひて曰はしむ、「夫れ太子を留めんことを勸めし者は蘇秦なり。蘇秦誠に君の爲にするに非ざるなり、且つ以て楚を便にするなり。蘇秦君の之を知るを恐る、故に多く楚を割きて以て跡を滅す。今太子を勸むる者又蘇秦なり、而るに君知らず、臣竊かに君の爲に之を疑ふ。」薛公大いに蘇秦を怒る。故に曰く、人をして蘇秦を薛公に惡ましむ可きなり、と。又人をして楚王に謂はしめて曰く、「夫れ薛公をして太子を留めしめし者は蘇秦なり、王を奉じて楚太子に代へて立てし者も又蘇秦なり、地を割きて約を固めし者も又蘇秦なり、王に忠にして太子を走らしめし者も又蘇秦なり。今人蘇秦を薛公に惡む、其の齊の爲に薄くして楚の爲に厚きを以てなり。願はくは王の之を知らんことを。」楚王曰く、「謹んで命を受けん。」因りて蘇秦を封じて武貞君と爲す。故に曰く、以て蘇秦の爲に楚に封を請ふ可きなり、と。又景鯉をして薛公に請はしめて曰はしむ、「君の天下に重んぜらるる所以の者は、能く天下の士を得て齊の權有るを以てなり。今蘇秦は天下の辯士なり、世與に少なく有り。君因りて蘇秦を善くせずんば、則ち是れ天下の士を圍塞して説途を利せざるなり。夫れ君を善くせざる者は且に蘇秦を奉ぜんとす、而して君の事殆(あやう)し。今蘇秦楚王に善くせられて、君蚤く親しまずんば、則ち是れ身自ら楚と讎を爲すなり。故に君因りて之に親しみ、貴びて之を重んずるに如かず、是れ君楚を有つなり。」薛公因りて蘇秦を善くす。故に曰く、以て蘇秦の爲に薛公に説きて蘇秦を善くせしむ可きなり、と。
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戦国策・楚王后死楚王の后死す、未だ后を立てざるなり。(或るひと)昭魚に謂いて曰く、「公何を以て后を立てんことを請わざるや。」昭魚曰く、「王聴かずんば、是れ知困しみて交わり后に絶えん。」「然らば則ち五双の珥を買い、其の一を善くせしめて之を王に献じ、明日善き珥の在る所を視て、因りて之を立てんことを請え。」
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戦国策・司寇布為周最謂周君司寇布周最の為に周君に謂ひて曰く、「君人をして齊王に告げしむるに周最の太子と為るを肯んぜざるを以てす、臣君の為に取らざるなり。函冶氏齊の太公の為に良劍を買ひ、公其の善なるを知らず、其の劍を歸してこれに金を責む。越人これを買はんことを千金に請ふも、折りて賣らず。將に死せんとして、其の子に屬して曰く、『必ず獨り知る無かれ』と。今君の最をして太子為らしむるは、獨り知るの契なり、天下未だこれを信ずる者有らざるなり。臣恐る齊王の君の為に実に果を立てて、これを最に譲り、以て之を齊に嫁せしめんことを。君巧多しと為し、最詐多しと為す、君何ぞ信貨を買はざるや。奉養最に愛有ること無きは、天下をしてこれを見しむるなり」と。
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戦国策・田需死田需死す。昭魚蘇代に謂いて曰く、「田需死す、吾恐らくは張儀・薛公・犀首の一人相魏する者有らんことを」と。代曰く、「然らば則ち相たる者誰を以てすれば君に便ならんか」と。昭魚曰く、「吾太子の自ら相たらんことを欲す」と。代曰く、「請う君の為に北のかた梁王に見(まみ)えん、必ず之を相とせん」と。昭魚曰く、「奈何(いかん)せん」と。代曰く、「君其れ梁王と為れ、代請う君に説かん」と。昭魚曰く、「奈何せん」と。対(こた)えて曰く、「代や楚より来たり、昭魚甚だ憂う。代曰く、『君何を憂うるか』と。曰く、『田需死す、吾恐らくは張儀・薛公・犀首一人相魏する者有らんことを』と。代曰く、『憂うる勿かれ。梁王は長主なり、必ず張儀を相とせざらん。張儀魏に相たらば、必ず秦を右にして魏を左にせん。薛公魏に相たらば、必ず齊を右にして魏を左にせん。犀首魏に相たらば、必ず韓を右にして魏を左にせん。梁王は長主なり、必ず相たらしめざらん』と。代曰く、『太子の自ら相たるに莫如(し)かず。是れ三人なる者皆太子を以て固より相為らずと為し、皆将に務めて其の国を以て魏に事(つか)えしめ、丞相の璽を欲せん。魏の強きを以て、三万乗の国を持して之を輔けしめば、魏必ず安からん。故に曰く、太子自ら相たるに如かず』と」と。遂に北のかた梁王に見え、此の語を以て之に告げ、太子果たして自ら相たり。