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説苑 / 臣術

湯問伊尹曰:「三公九卿大夫列士,其相去何如?」伊尹對曰:「三公者,知通於大道,應變而不窮,辯於萬物之情,通於天道者也;其言足以調陰陽,正四時,節風雨,如是者舉以為三公,故三公之事,常在於道也。九卿者,不失四時通於溝渠,修堤防,樹五穀,通於地理者也;能通不能通,能利不能利,如此者舉以為九卿,故九卿之事,常在於德也。大夫者,出入與民同眾,取去與民同利,通於人事,行猶舉繩,不傷於言,言之於世,不害於身,通於關梁,實於府庫,如是者舉以為大夫,故大夫之事常在於仁也。列士者,知義而不失其心,事功而不獨專其賞,忠政強諫而無有奸詐,去私立公而言有法度,如是者舉以為列士,故列士之事,常在於義也。故道德仁義定而天下正,凡此四者明王臣而不臣。」湯曰:「何謂臣而不臣?」伊尹對曰:「君之所不名臣者四:諸父、臣而不名,諸兄、臣而不名,先生之臣、臣而不名,盛德之士、臣而不名,是謂大順。」

新字:湯問伊尹曰:「三公九卿大夫列士,其相去何如?」伊尹対曰:「三公者,知通於大道,応変而不窮,弁於万物之情,通於天道者也;其言足以調陰陽,正四時,節風雨,如是者舉以為三公,故三公之事,常在於道也。九卿者,不失四時通於溝渠,修堤防,樹五穀,通於地理者也;能通不能通,能利不能利,如此者舉以為九卿,故九卿之事,常在於徳也。大夫者,出入与民同眾,取去与民同利,通於人事,行猶舉縄,不傷於言,言之於世,不害於身,通於関梁,実於府庫,如是者舉以為大夫,故大夫之事常在於仁也。列士者,知義而不失其心,事功而不独専其賞,忠政強諫而無有奸詐,去私立公而言有法度,如是者舉以為列士,故列士之事,常在於義也。故道徳仁義定而天下正,凡此四者明王臣而不臣。」湯曰:「何謂臣而不臣?」伊尹対曰:「君之所不名臣者四:諸父、臣而不名,諸兄、臣而不名,先生之臣、臣而不名,盛徳之士、臣而不名,是謂大順。」

書き下し

湯、伊尹に問いて曰く、「三公九卿大夫列士、其の相去ること何如」と。伊尹対えて曰く、「三公は、知大道に通じ、変に応じて窮せず、万物の情に辯じ、天道に通ずる者なり。其の言陰陽を調え、四時を正し、風雨を節するに足る、此くの如き者は挙げて三公と為す、故に三公の事は常に道に在り。九卿は、四時を失わず溝渠に通じ、堤防を修め、五穀を樹え、地理に通ずる者なり。能く通じ能く通ぜず、能く利し能く利せず、此くの如き者は挙げて九卿と為す、故に九卿の事は常に徳に在り。大夫は、出入して民と衆を同じくし、取去して民と利を同じくし、人事に通じ、行うこと縄を挙ぐるが猶く、言に傷つかず、之を世に言いて身を害せず、関梁に通じ、府庫を実にし、此くの如き者は挙げて大夫と為す、故に大夫の事は常に仁に在り。列士は、義を知りて其の心を失わず、功を事として独り其の賞を専らにせず、忠政強諫にして奸詐有ること無く、私を去りて公を立て、言に法度有り、此くの如き者は挙げて列士と為す、故に列士の事は常に義に在り。故に道徳仁義定まりて天下正し。凡そ此の四者は明王の臣にして臣ならず」と。湯曰く、「何をか臣にして臣ならずと謂うや」と。伊尹対えて曰く、「君の名づけて臣とせざる者四つ有り。諸父は、臣にして名づけず。諸兄は、臣にして名づけず。先生の臣は、臣にして名づけず。盛徳の士は、臣にして名づけず。是を大順と謂う」と。

現代語訳

湯王が伊尹に尋ねた。「三公・九卿・大夫・列士は、それぞれどのように違うのか。」伊尹は答えた。「三公は、大道に通じる知恵を持ち、変化に応じても窮することなく、万物の実情を弁え、天の道理に通じている者です。その言葉は陰陽を調和させ、四季を正し、風雨を調節するに足るものです。このような者を三公とします。だから三公の職務は常に道にあります。九卿は、四季を違えず用水路に通じ、堤防を修理し、五穀を植え、地理に通じている者です。通じさせられるかどうか、利益をもたらせるかどうかを基準に、このような者を九卿とします。だから九卿の職務は常に徳にあります。大夫は、出入りに際して民と苦楽を共にし、取り引きにおいて民と利益を共にし、人の情に通じ、行いは墨縄をあてたように正しく、言葉で人を傷つけず、それを世に語っても自分の身を害することなく、関所や橋に通じ、蔵を満たす者です。このような者を大夫とします。だから大夫の職務は常に仁にあります。列士は、義を知ってその心を失わず、功績を上げても独り占めにせず、忠実な政治と強い諫言を行い奸詐がなく、私心を捨てて公を立て、言葉に法度がある者です。このような者を列士とします。だから列士の職務は常に義にあります。だから道・徳・仁・義が定まって天下は正しくなります。この四者はいずれも明王の臣下でありながら、臣下として扱われない者です。」湯王は「臣下でありながら臣下として扱われないとはどういうことか」と尋ねた。伊尹は答えた。「主君が臣下と呼ばない者が四種類あります。父方の伯父叔父は、臣下であっても臣下と呼びません。兄たちは、臣下であっても臣下と呼びません。先生である臣下は、臣下であっても臣下と呼びません。盛んな徳を持つ士は、臣下であっても臣下と呼びません。これを大順(大いなる道理への従い)といいます。」

解説

三公・九卿・大夫・列士という官職の階層を、それぞれ道・徳・仁・義という異なる徳目に対応させて説明する体系は、組織における役割ごとに求められる資質が異なるという洞察を示す。さらに、血縁の年長者や恩師、高徳の士については、たとえ臣下という立場にあっても臣下として名指しで扱わないという配慮は、地位や職制を超えた敬意のあり方を示しており、組織内の形式的な上下関係と、人として払うべき敬意とは別次元にあるという教訓を伝える。

この章句が説くこと

道徳仁義職分敬意

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