説苑 / 君道
河間獻王曰:「禹稱民無食,則我不能使也;功成而不利於人,則我不能勸也;故疏河以導之,鑿江通於九派,灑五湖而定東海,民亦勞矣,然而不怨者,利歸於民也。」
新字:河間献王曰:「禹称民無食,則我不能使也;功成而不利於人,則我不能勧也;故疏河以導之,鑿江通於九派,灑五湖而定東海,民亦労矣,然而不怨者,利帰於民也。」
書き下し
河間献王曰く、「禹称すらく、民食無ければ則ち我使う能わず、功成りて人に利あらざれば則ち我勧むる能わずと。故に河を疏して以て之を導き、江を鑿ちて九派に通じ、五湖を灑ぎて東海を定む。民も亦た労せり、然れども怨みざる者は、利の民に帰すればなり」と。
現代語訳
河間献王が言った。「禹は『民に食がなければ私は民を使役できない。功績が上がっても人々に利益がなければ私は人々を励ますことができない』と言った。だから黄河を疏通させて水を導き、長江を開削して九つの支流に通じさせ、五湖の水を灑いで東海を定めた。民もまた苦労したが、それでも怨まなかったのは、利益が民に還元されたからである。」
解説
治水という大事業に民を動員するにあたり、禹がまず考えたのは利益が民に還元されるかという一点であった。労苦を強いること自体が問題なのではなく、その労苦の果実が誰の手に渡るかが人々の納得を左右するという洞察は、組織変革やプロジェクト推進にも直結する。負荷を求める前に成果の分配を明示できるリーダーだけが、真に人を動かせるという教訓は、働き方改革が叫ばれる現代においてなお色褪せない。
この章句が説くこと
治水利民納得
関連する章句
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説苑・君道河間献王曰く、「堯は心を天下に存し、志を窮民に加え、万姓の罪に罹るを痛み、衆生の遂げざるを憂う。一民饑うる有れば、則ち曰く此れ我之を饑えしむるなりと。一人寒ゆる有れば、則ち曰く此れ我之を寒えしむるなりと。一民罪有れば、則ち曰く此れ我之を陥るるなりと。仁昭らかにして義立ち、徳博くして化広し。故に賞せずして民勧み、罰せずして民治まる。恕を先にして教えを後にす、是れ堯の道なり。舜の時に当たりて、有苗氏服せず、其の服せざる所以は、大山其の南に在り、殿山其の北に在り、左に洞庭の波、右に彭蠡の川あり、此の険に因るなり。服せざる所以なり。禹之を伐たんと欲するも、舜許さずして曰く、『諭教猶お未だ竭きざるなり、諭教を究めて、有苗氏服を請わば、天下之を聞きて、皆禹の義に非ずとし、舜の徳に帰せん』と」と。
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呂氏春秋・樂成②禹の江水を決するや、民瓦礫を聚む。事已に成り、功已に立ち、萬世の利と為る。禹の見る所の者遠し、而して民之を知る莫し。故に民は與に化を慮り始めを舉ぐ可からず。而して以て成功を樂しむ可し。
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呂氏春秋・愛類③聖王・通士、民を利するに出でざる者、有ること無し。昔上古、龍門未だ開かず、呂梁未だ發せず。河、孟門を出で、大いに溢れて逆流し、丘陵沃衍、平原高阜、有ること無く、盡く皆之を滅ぼす。名づけて鴻水と曰う。禹、是に於て河を疏し江を決し、彭蠡の障を為り、東土を乾かし、活かす所の者千八百國。此れ禹の功なり。勤勞して民の為にすること、禹より苦しめる者無し。
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『淮南子』主術訓禹 江を決し河を疏して、以て天下の為に利を興すも、水をして西流せしむる能わず。稷 土を辟き草を墾きて、以て百姓の為に農に力むるも、然れども禾をして冬に生ぜしむる能わず。豈に其れ人事 至らざらんや。其の勢 不可なればなり。夫れ推して為す可からざるの勢にして、道理の數を修めざれば、神聖の人と雖も以て其の功を成す能わず。而るに況んや當世の主をや。夫れ載すること重くして馬 羸なれば、造父と雖も以て遠きを致す能わず。車 輕く馬 良ければ、中工と雖も速きを追わしむ可し。是の故に聖人の事を舉ぐるや、豈に能く道理の數に拂い、自然の性に詭き、曲を以て直と為し、屈を以て伸と為さんや。未だ嘗て其の資に因りて之を用いずんばあらざるなり。是を以て積力の舉ぐる所は、勝たざる無く、而して眾智の為す所は、成らざる無きなり。
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『墨子』兼愛中古者、禹の天下を治むるや、西には西河・漁竇を為り、以て渠・孫・皇の水を泄す。北には防・原・注后の邸、嘑池の竇を為り、洒ぎて底柱と為し、鑿ちて龍門と為し、以て燕・代・胡貉と西河の民を利す。東には漏の陸を為り、盖諸の澤を防ぎ、灑ぎて九澮と為し、以て東土の水を楗ぎ、以て冀州の民を利す。南には江・漢・淮・汝を為り、東に之を流し、五湖の處に注ぎ、以て楚・荆・越と南夷の民を利す。此れ禹の事を言う。吾れ今、兼を行わん。
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