説苑 / 君道
禹出見罪人,下車問而泣之,左右曰:「夫罪人不順道,故使然焉,君王何為痛之至於此也?」禹曰:「堯舜之人,皆以堯舜之心為心;今寡人為君也,百姓各自以其心為心,是以痛之。」書曰:「百姓有罪,在予一人。」
書き下し
禹出でて罪人を見、車を下りて問いて之を泣く。左右曰く、「夫れ罪人は道に順わず、故に然らしむ。君王何為れぞ之を痛むこと此に至るや」と。禹曰く、「堯舜の人は、皆堯舜の心を以て心と為す。今寡人君と為るや、百姓各々自ら其の心を以て心と為す。是を以て之を痛む」と。書に曰く、「百姓罪有らば、予一人に在り」と。
現代語訳
禹が外出中に罪人を見かけ、車を下りて事情を尋ね、その罪人のために涙を流した。左右の者が「あの罪人は道理に従わなかったから、こうなったのです。君主はどうしてそれほどまでに心を痛められるのですか」と言った。禹は答えた。「堯や舜の時代の民は、皆、堯や舜の心を自分の心としていた。しかし今、私が君主であるのに、民はそれぞれ自分勝手な心を持っている。だから私はこれを心痛めるのだ。」書経に「民に罪があれば、それは私一人の責任である」とある。
解説
罪人を裁くのではなく涙する禹の姿は、民の逸脱を個人の資質の問題としてではなく、自らの徳治が及ばなかった結果として引き受ける統治観を示す。組織で不正や問題行動が起きたとき、それを個人の非として処理するだけでなく、そのような行動を許した環境や指導の不在に目を向けられるかどうかが、真のリーダーの器を分ける。罰する前に自省するという姿勢は、部下の失敗に直面したときの管理職の態度への鋭い問いかけとなる。
この章句が説くこと
自責徳治涙
関連する章句
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説苑・君道河間献王曰く、「堯は心を天下に存し、志を窮民に加え、万姓の罪に罹るを痛み、衆生の遂げざるを憂う。一民饑うる有れば、則ち曰く此れ我之を饑えしむるなりと。一人寒ゆる有れば、則ち曰く此れ我之を寒えしむるなりと。一民罪有れば、則ち曰く此れ我之を陥るるなりと。仁昭らかにして義立ち、徳博くして化広し。故に賞せずして民勧み、罰せずして民治まる。恕を先にして教えを後にす、是れ堯の道なり。舜の時に当たりて、有苗氏服せず、其の服せざる所以は、大山其の南に在り、殿山其の北に在り、左に洞庭の波、右に彭蠡の川あり、此の険に因るなり。服せざる所以なり。禹之を伐たんと欲するも、舜許さずして曰く、『諭教猶お未だ竭きざるなり、諭教を究めて、有苗氏服を請わば、天下之を聞きて、皆禹の義に非ずとし、舜の徳に帰せん』と」と。
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孟子・公孫丑章句下孟子、平陸に之き、其の大夫に謂いて曰く、「子の持戟の士、一日にして、三たび伍を失わば、則ち之を去るや否や。」曰く、「三たびを待たず。」「然らば則ち子の伍を失うや亦た多し。凶年饑歲には、子の民、老羸は溝壑に轉じ、壯者の散りて四方に之く者、幾千人ぞ。」曰く、「此れ距心の為すを得る所に非ざるなり。」曰く、「今、人の牛羊を受けて之が為に之を牧する者有らば、則ち必ず之が為に牧と芻とを求めん。牧と芻とを求めて得ずんば、則ち諸を其の人に反さんか。抑々亦た立ちて其の死を視んか。」曰く、「此れ則ち距心の罪なり。」他日、王に見えて曰く、「王の都を為むる者、臣、五人を知れり。其の罪を知る者は、惟だ孔距心のみ。」王の為に之を誦す。王曰く、「此れ則ち寡人の罪なり。」
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尚書・湯誥其れ爾(なんじ)ら万方(ばんぽう)に罪あらば、予(われ)一人に在り。予一人に罪あらば、爾ら万方を以(もっ)てすること無かれ。
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貞観政要・公平又た時に小事有り。人の聞くを欲せずんば、則ち暴かに威怒を作し、以て謗議を弭(や)ます。若し為す所是ならば、外に聞こゆるも、其れ何ぞ傷まん。若し為す所非ならば、之を掩うと雖も、何の益かあらん。故に諺に曰く、「人の知らざるを欲せば、為さざるに若くは莫し。人の聞かざるを欲せば、言う勿かるに若くは莫し」と。之を為して人の知らざるを欲し、之を言いて人の聞かざるを欲するは、此れ猶お雀を捕らえて目を掩い、鐘を盗みて耳を掩う者のごとし。只だ以て誚(そし)りを取るのみ。将た何の益かあらん。臣又た之を聞く、常に乱るるの国無く、理むべからざるの民無し、と。夫れ民の善悪は、化の薄厚に由る。故に禹・湯は之を以て理まり、桀・紂は之を以て乱る。文・武は之を以て安く、幽・厲は之を以て危うし。是を以て古の哲王は、己を尽くして人を尤(とが)めず、身に求めて下を責めず。故に曰く、「禹・湯は己を罪す。其の興るや勃焉たり。桀・紂は人を罪す。其の亡ぶるや忽焉たり」と。之を為して已まずんば、深く惻隠の情に乖き、実に奸邪の路を啓く。温舒は曩日を恨む。臣も亦た惜しみて用いられざるを欲す。聞かざる所に非ざるなり。臣聞く、堯に敢諫の鼓有り、舜に誹謗の木有り、湯に司過の史有り、武に戒慎の銘有り、と。此れ則ち之を無形に聴き、之を未有に求む。心を虚しくして以て下を待つ。庶(ちか)くは下情の上に達し、上下私無く、君臣徳を合わす者なり。魏の武帝云う、「有徳の君は、耳に逆らうの言、顔を犯すの諍を聞くを楽しみ、忠臣に親しみ、諫士を厚くし、讒慝を斥け、佞人を遠ざくる者は、誠に身を全うし国を保ち、遠く滅亡を避けんと欲すればなり」と。凡そ百君子、期に膺り運を統ぶ。縦い未だ能く上下私無く、君臣徳を合わす能わずとも、身を全うし国を保ち、遠く滅亡を避けざるべけんや。然れども古より聖哲の君、功成り事立つは、未だ同心、予が違えるを汝弼(たす)くるに資らざる者有らざるなり。
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説苑・君道河間献王曰く、「禹称すらく、民食無ければ則ち我使う能わず、功成りて人に利あらざれば則ち我勧むる能わずと。故に河を疏して以て之を導き、江を鑿ちて九派に通じ、五湖を灑ぎて東海を定む。民も亦た労せり、然れども怨みざる者は、利の民に帰すればなり」と。
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説苑・君道宋大水す。魯人之を弔いて曰く、「天淫雨を降らし、谿谷満盈し、延いて君の地に及び、以て執政を憂えしむ、臣をして敬んで弔わしむ」と。宋人之に応えて曰く、「寡人不佞にして、斎戒謹まず、邑封修まらず、人を使うこと時ならず、天殃を加え、又君の憂いを遺す、命を拝するの辱を」と。君子之を聞きて曰く、「宋国其れ庶幾からんか」と。問いて曰く、「何の謂いぞや」と。曰く、「昔夏の桀殷の紂は其の過ちを任ぜず、其の亡ぶるや忽焉たり。成湯文武は其の過ちを任ずることを知り、其の興るや勃焉たり。夫れ過ちて之を改むるは、是れ猶お過たざるがごとし。故に曰く其れ庶幾からんかと」と。宋人之を聞き、夙に興き夜に寐ね、早に朝し晏に退き、死を弔い疾を問い、力を宇内に戮す。三年にして、歳豊かに政平らかなり。嚮に宋人をして君子の語を聞かざらしめば、則ち年穀未だ豊かならずして国未だ寧からず。詩に曰く、「時の仔肩を佛け、我に顕徳の行いを示す」と、此を之れ謂うなり。