戦国策 / 燕王謂蘇代
燕王謂蘇代曰:「寡人甚不喜訑者言也。」蘇代對曰:「周埊賤媒,為其兩譽也。之男家曰『女美』,之女家曰『男富』。然而周之俗,不自為取妻。且夫處女無媒,老且不嫁;舍媒而自衒,弊而不售。順而無敗,售而不弊者,唯媒而已矣。且事非權不立,非勢不成。夫使人坐受成事者,唯訑者耳。」王曰:「善矣。」
新字:燕王謂蘇代曰:「寡人甚不喜訑者言也。」蘇代対曰:「周埊賤媒,為其両誉也。之男家曰『女美』,之女家曰『男富』。然而周之俗,不自為取妻。且夫処女無媒,老且不嫁;舎媒而自衒,弊而不售。順而無敗,售而不弊者,唯媒而已矣。且事非権不立,非勢不成。夫使人坐受成事者,唯訑者耳。」王曰:「善矣。」
書き下し
燕王蘇代に謂いて曰く、「寡人甚だ訑者の言を喜ばざるなり」と。蘇代對えて曰く、「周は媒を賤しむ、其の兩つながら譽むるを為すを以てなり。男家に之きては『女美し』と曰い、女家に之きては『男富めり』と曰う。然れども周の俗、自ら妻を取ることを為さず。且つ夫れ處女媒無ければ、老いて且つ嫁がず。媒を舍てて自ら衒えば、弊れて售れず。順いて敗るる無く、售れて弊れざる者は、唯だ媒のみ。且つ事は權に非ざれば立たず、勢に非ざれば成らず。夫れ人をして坐して成事を受けしむる者は、唯だ訑者のみ」と。王曰く、「善し」と。
現代語訳
燕王は蘇代に言った。「寡人は、大げさに誇張してものを言う者の言葉が、どうにも好きになれぬ。」蘇代は答えて言った。「周では仲人を賤しむ風がありますが、それは仲人が両方を褒めそやすからです。男の家に行けば『あちらの娘は美しい』と言い、女の家に行けば『あちらの男は裕福だ』と言うのです。しかしそれでも周の風習では、自分で直接妻を娶ることはしません。そもそも年頃の娘に仲人がいなければ、年老いても嫁に行けません。仲人を頼らず自分から売り込めば、みすぼらしくなって嫁の口も見つかりません。無理なく縁談が調い、しかもみすぼらしくならずに済むのは、ただ仲人によってのみなのです。そもそも物事は権謀によらねば成り立たず、勢いによらねば成就しません。人をただ座っていながらにして事が成るようにしてやれるのは、まさに誇張してものを言う者だけなのです。」王は「よくわかった」と言った。
解説

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『長短経』詭信斉、燕を伐ちて十城を得。燕王、蘇秦をして斉に説かしめ、斉は燕に十城を帰す。蘇秦燕に還る。人或いは之を毀りて曰く「蘇秦は左右に国を売る、反覆の臣なり。将に乱を作さんとす」と。燕王意に之を疎んじ、捨てて用いず。蘇秦罪を被らんことを恐れ、入りて王に見えて曰く「臣は東周の鄙人なり。尺寸の功無くして、王親ら之を廟に拝し、之を庭に礼す。今、臣は王の為に斉の兵を却け、而して功は十城を得たり。宜しく以て益々親しむべし。今来たりて王臣を官せざる者は、人必ず不信を以て臣を王に傷つくる者有らん。且つ臣の不信は、王の福なり〔燕王も亦た嘗て蘇代に謂いて曰く「寡人甚だ訑者の言を喜ばず」と。代対えて曰く「周の地は媒を賤しむ。其の両誉するが為なり。男家に之きては女美しと曰い、女家に之きては男富めりと曰う。然れども周の俗は、自ら妻を娶らず。且つ夫れ処女媒無くんば、老いて且つ嫁がず。媒を舎てて自ら衒えば、弊れて售れず。順にして毀無く、則ち售れて弊れざる者は、惟だ媒のみ。且つ事は権に非ずんば立たず、勢いに非ずんば成らず。夫れ人をして坐して成事を受けしむる者は、惟だ訑のみ」と。訑は、音土和の反〕。
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戦国策・齊魏爭燕斉・魏燕を争う。斉燕王に謂いて曰く、「吾趙を得たり」と。魏も亦燕王に謂いて曰く、「吾趙を得たり」と。燕以て之を決する無く、未だ適う予うる有らず。蘇子燕の相に謂いて曰く、「臣聞く、辞卑くして幣重き者は、天下を失う者なり。辞倨りて幣薄き者は、天下を得る者なり、と。今魏の辞倨りて幣薄し」と。燕因りて魏に合し、趙を得て、斉遂に北げたり。
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戦国策・蘇秦死其弟蘇代欲繼之蘇秦死し、其の弟蘇代之に繼がんと欲し、乃ち北のかた燕王噲を見て曰く、「臣は東周の鄙人なり、竊かに王の義甚だ高く甚だ順なるを聞き、鄙人不敏なれども、竊かに鉏耨を釋てて大王に干む。邯鄲に至るに及び、邯鄲に聞く所の者、又東周に聞く所より高し。臣竊かに其の志を負い、乃ち燕廷に至り、王の群臣下吏を觀るに、大王は天下の明主なり」と。王曰く、「子の所謂天下の明主なる者は、何如なる者ぞや」と。對えて曰く、「臣之を聞く、明主は其の過ちを聞くに務め、其の善を聞かんと欲せずと。臣請う王の過ちを謁せん。夫れ齊・趙は、王の仇讎なり。楚・魏は、王の援國なり。今王仇讎を奉じて以て援國を伐つは、燕を利する所以に非ざるなり。王自ら此を慮らば則ち計過つ。以て諫むる無き者は、忠臣に非ざるなり」と。王曰く、「寡人の齊・趙に於けるや、敢えて伐たんと欲する所に非ざるなり」と。曰く、「夫れ人を謀るの心無くして、人をして之を疑わしむるは殆うし、人を謀るの心有りて、人をして之を知らしむるは拙なり、謀未だ發せずして外に聞こゆれば、則ち危うし。今臣聞く、王居處安からず、食飲甘からず、齊に報いんことを思念し、身自ら甲扎を削り、大數有りと曰い、妻自ら甲絣を組み、大數有りと曰うと。之れ有りや」と。王曰く、「子之を聞く、寡人敢えて隱さず。我齊に深怨積怒有りて、之に報いんと欲すること二年なり。齊は我が讎國なり、故に寡人の伐たんと欲する所なり。直だ國弊れ、力足らざるを患うるのみ。子能く燕を以て齊に敵せしめば、則ち寡人國を奉じて之を子に委ねん」と。對えて曰く、「凡そ天下の戰國七にして、燕弱に處る。獨り戰えば則ち能わず、附く所有れば則ち重んぜられざる無し。南のかた楚に附けば則ち楚重く、西のかた秦に附けば則ち秦重く、中ごろ韓・魏に附けば則ち韓・魏重し。且つ苟くも附く所の國重ければ、此れ必ず王をして重んぜられしめん。今夫れ齊王は、長主にして、自ら用うるなり。南のかた楚を攻むること五年、稸積散ず。西のかた秦を困しむこと三年、民憔瘁し、士罷弊す。北のかた燕と戰い、三軍を覆し、二將を獲たり。而して又其の餘兵を以て南面して五千乘の勁宋を舉げ、十二諸侯を包ぬ。此れ其の君の得んと欲する所なるも、其の民力竭くるなり、安くんぞ猶取らんや。且つ臣之を聞く、數戰えば則ち民勞し、久しく師すれば則ち兵弊ると」と。王曰く、「吾聞く齊に清濟・濁河有り、以て固しと為すべし、長城・鉅防有り、以て塞と為すに足ると。誠に之有りや」と。對えて曰く、「天時與せずんば、清濟・濁河有りと雖も、何ぞ以て固しと為すに足らんや。民力窮弊すれば、長城・鉅防有りと雖も、何ぞ以て塞と為すに足らんや。且つ異日は、濟西役せざるは、趙に備うる所以なり。河北師せざるは、燕に備うる所以なり。今濟西・河北、盡く以て役す、封內弊れり。夫れ驕主は必ず計を好まず、亡國の臣は財を貪る。王誠に能く寵子・母弟を愛しむこと毋くして以て質と為し、寶珠玉帛もて其の左右に事えしめば、彼且に燕を德とし宋を亡うを輕んぜんとし、則ち齊亡ぶべきのみ」と。王曰く、「吾終に子を以て天に命を受くとせん」と。曰く、「內寇與せずんば、外敵距ぐべからず。王自ら其の外を治め、臣自ら其の內に報いん、此れ乃ち之を亡ぼすの勢いなり」と。
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史記 蘇秦列伝対へて曰く、「天の時与せずんば、清済・濁河有りと雖も、悪くんぞ以て固めと為すに足らん。民力罷敝せば、長城・鉅防有りと雖も、悪くんぞ以て塞と為すに足らん。且つ異日済西に師せざるは、趙に備ふる所以なり。河北に師せざるは、燕に備ふる所以なり。今済西河北尽く已に役せり、封内敝れたり。夫れ驕君は必ず利を好み、而して亡国の臣は必ず財を貪る。王誠に能く子母弟を以て質と為すを羞づる無く、珠玉帛を宝として以て左右に事へば、彼将に燕を徳として宋を亡ぼすを軽んぜんとす、則ち斉亡ぼすべきのみ」と。燕王曰く、「吾終に子を以て命を天に受けたり」と。燕乃ち一子をして斉に質たらしむ。而して蘇厲燕の質子に因りて斉王に見えんことを求む。斉王蘇秦を怨み、蘇厲を囚へんと欲す。燕の質子為に謝し、已にして遂に質を委ねて斉の臣と為る。燕の相子之蘇代と婚し、而して燕の権を得んと欲し、乃ち蘇代をして質子に斉に侍せしむ。斉代をして燕に報ぜしむ、燕王噲問ひて曰く、「斉王其れ霸たらんか」と。曰く、「能はず」と。曰く、「何ぞや」と。曰く、「其の臣を信ぜず」と。是に於いて燕王専ら子之に任じ、已にして位を譲り、燕大いに乱る。斉燕を伐ち、王噲・子之を殺す。燕昭王を立て、而して蘇代・蘇厲遂に敢へて燕に入らず、皆終に斉に帰す、斉善く之を待す。蘇代魏を過る、魏燕の為に代を執ふ。斉人をして魏王に謂はしめて曰く、「斉宋の地を以て涇陽君を封ぜんことを請ふも、秦必ず受けず。秦斉を有ちて宋の地を得るを利とせざるに非ざるなり、斉王と蘇子とを信ぜざるなり。今斉魏の和せざること此くの如く其れ甚だしくば、則ち斉秦を欺かず。秦斉を信じ、斉秦合し、涇陽君宋の地を有するは、魏の利に非ざるなり。故に王蘇子を東するに如かず、秦必ず斉を疑ひて蘇子を信ぜざらん。斉秦合せずんば、天下変無く、斉を伐つの形成らん」と。是に於いて蘇代を出だす。代宋に之く、宋善く之を待す。