戦国策 / 張儀為秦破從連橫謂燕王
張儀為秦破從連橫,謂燕王曰:「大王之所親,莫如趙。昔趙王以其姊為代王妻,欲并代,約與代王遇於句注之塞。乃令工人作為金斗,長其尾,令之可以擊人。與代王飲,而陰告廚人曰:『即酒酣樂,進熱歠,即因反斗擊之。』於是酒酣樂進取熱歠。廚人進斟羹,因反斗而擊之,代王腦塗地。其姊聞之,摩笄以自刺也。故至今有摩笄之山,天下莫不聞。「夫趙王之狼戾無親,大王之所明見知也。且以趙王為可親邪?趙興兵而攻燕,再圍燕都而劫大王,大王割十城乃郤以謝。今趙王已入朝澠池,效河間以事秦。大王不事秦,秦下甲雲中、九原,驅趙而攻燕,則易水、長城非王之有也。且今時趙之於秦,猶郡縣也,不敢妄興師以征伐。今大王事秦,秦王必喜,而趙不敢妄動矣。是西有強秦之援,而南無齊、趙之患,是故願大王之熟計之也。」燕王曰:「寡人蠻夷辟處,雖大男子,裁如嬰兒,言不足以求正,謀不足以決事。今大客幸而教之,請奉社稷西面而事秦,獻常山之尾五城。」
新字:張儀為秦破従連横,謂燕王曰:「大王之所親,莫如趙。昔趙王以其姊為代王妻,欲并代,約与代王遇於句注之塞。乃令工人作為金斗,長其尾,令之可以擊人。与代王飲,而陰告廚人曰:『即酒酣楽,進熱歠,即因反斗擊之。』於是酒酣楽進取熱歠。廚人進斟羹,因反斗而擊之,代王脳塗地。其姊聞之,摩笄以自刺也。故至今有摩笄之山,天下莫不聞。「夫趙王之狼戻無親,大王之所明見知也。且以趙王為可親邪?趙興兵而攻燕,再囲燕都而劫大王,大王割十城乃郤以謝。今趙王已入朝澠池,効河間以事秦。大王不事秦,秦下甲雲中、九原,駆趙而攻燕,則易水、長城非王之有也。且今時趙之於秦,猶郡県也,不敢妄興師以征伐。今大王事秦,秦王必喜,而趙不敢妄動矣。是西有強秦之援,而南無斉、趙之患,是故願大王之熟計之也。」燕王曰:「寡人蠻夷辟処,雖大男子,裁如嬰児,言不足以求正,謀不足以決事。今大客幸而教之,請奉社稷西面而事秦,献常山之尾五城。」
書き下し
張儀秦の爲に從を破りて連橫し、燕王に謂いて曰く、「大王の親しむ所、趙に如くは莫し。昔趙王其の姊を以て代王の妻と為し、代を并せんと欲し、代王と句注の塞に遇わんことを約す。乃ち工人をして金斗を作らしめ、其の尾を長くし、之をして以て人を擊つべからしむ。代王と飲むに、陰かに廚人に告げて曰く、『酒酣樂に即かば、熱歠を進め、即ち斗を反して之を擊て』と。是に於て酒酣樂進みて熱歠を取る。廚人斟羹を進め、斗を反して之を擊ち、代王腦塗地す。其の姊之を聞き、笄を摩して以て自刺す。故に今に至るまで摩笄の山有り、天下聞かざるは莫し。夫れ趙王の狼戾にして親しむ無きは、大王の明らかに見知る所なり。且つ趙王を以て親しむべしと為すか。趙兵を興して燕を攻め、再び燕都を圍みて大王を劫かし、大王十城を割きて乃ち郤きて謝す。今趙王已に澠池に入朝し、河間を效して以て秦に事う。大王秦に事えずんば、秦雲中・九原に甲を下し、趙を驅りて燕を攻めしめば、則ち易水・長城王の有に非ざらん。且つ今の時、趙の秦に於けるや、猶郡縣のごとし、敢えて妄りに師を興して以て征伐せず。今大王秦に事えば、秦王必ず喜び、趙敢えて妄りに動かざらん。是れ西に強秦の援有りて、南に齊・趙の患無し、是の故に願わくは大王之を熟計せんことを」と。燕王曰く、「寡人蠻夷の辟處にして、大男子と雖も、裁ち嬰兒の如し、言正を求むるに足らず、謀事を決するに足らず。今大客幸いに之を教うれば、請う社稷を奉じて西面して秦に事え、常山の尾五城を獻ぜん」と。
現代語訳
張儀は秦のために合従を破って連衡策を進めようとし、燕王に説いて言った。「大王が親しくなさっている国で、趙ほどのものはございません。しかし昔、趙王は自分の姉を代王の妻にし、代の国を併合しようとして、代王と句注の塞で会見することを約束しました。そこで職人に金属の柄杓を作らせ、その柄を長くして、人を打ち殺せるようにしました。代王と酒を飲む際、ひそかに料理人に『酒宴が盛り上がり、熱い吸い物を勧める頃合いになったら、柄杓を逆さにして代王を打て』と命じておいたのです。やがて酒宴が盛り上がり、熱い吸い物が出される段になりました。料理人が羹を注ぎながら柄杓を逆さにして打ちかかり、代王は脳漿を地にまき散らして死にました。代王の姉はこれを聞くと、簪を研いで自ら喉を突いて死にました。それゆえ今でも『摩笄の山』という名が残り、天下に知らぬ者はありません。そもそも趙王が狼のように残忍で身内にすら情けをかけない人物であることは、大王が明らかにご存知の通りです。それでも趙王を親しむに足る相手だとお考えでしょうか。趙はかつて兵を興して燕を攻め、二度も燕の都を包囲して大王を脅し、大王は十の城を割いて差し出し、ようやく兵を退かせて詫びを入れられました。いま趙王はすでに澠池に参内し、河間の地を差し出して秦に仕えております。もし大王が秦にお仕えにならなければ、秦は雲中・九原に軍を進め、趙を駆り立てて燕を攻めさせるでしょう。そうなれば易水も長城も、もはや大王のものではなくなりましょう。そもそも今や趙は秦に対して、まるで一つの郡県のような存在にすぎず、みだりに兵を興して他国を征伐することなどできません。いま大王が秦にお仕えになれば、秦王は必ずお喜びになり、趙もみだりには動けなくなりましょう。そうすれば西には強秦という後ろ盾を得て、南には斉や趙からの脅威もなくなります。ですから大王には、どうかこのことをよくよくお考えいただきたいのです。」燕王は言った。「寡人は未開の辺境に住まう者で、いい年の男とはいえ、まるで嬰児のようなもので、言葉は物事の是非を判断するに足らず、計略は事を決するに足りません。いま貴殿がありがたくもお教えくださるので、どうか宗廟社稷を奉じて西を向いて秦にお仕えし、常山の裾にある五つの城を献上いたしましょう。」
解説
この章句が説くこと
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戦国策・張儀為秦連橫說趙王張儀秦の爲に連橫し、趙王に說きて曰く、「弊邑の秦王臣をして敢えて書を大王の御史に獻ぜしむ。大王天下を收率して以て秦を儐け、秦兵敢えて函谷關より出でざること十五年なり。大王の威、天下山東に行わる。弊邑恐懼懾伏し、甲を繕い兵を厲まし、車騎を飾り、馳射を習い、田に力めて粟を積み、四封の內を守り、愁居懾處し、敢えて動搖せず、唯だ大王の意有りて之を督過せんことを。今秦大王の力を以て、西のかた巴蜀を舉げ、漢中を并せ、東のかた兩周を收めて西のかた九鼎を遷し、白馬の津を守る。秦辟遠なりと雖も、然れども心忿悁して怒りを含むの日久し。今宣君微甲鈍兵有り、澠池に軍す、願わくは河を渡り漳を踰え、番吾に據り、邯鄲の下に迎戰せんことを。願わくは甲子の日を以て合戰し、以て殷紂の事を正さん。敬みて臣をして先に左右に聞かしむ。「凡そ大王の信じて以て從と爲す所の者は、蘇秦の計を恃めばなり。諸侯を熒惑し、是を以て非と爲し、非を以て是と爲す、齊國を反覆せんと欲して能わず、自ら齊の市に車裂せしむ。夫れ天下の一なる可からざるも亦明らかなり。今楚と秦とは昆弟の國と爲り、而して韓・魏東蕃の臣と稱し、齊魚鹽の地を獻ず、此れ趙の右臂を斷つなり。夫れ右臂を斷ちて人と鬬わんことを求む、其の黨を失いて孤居す、危無からんことを求むるも、豈に得可けんや。今秦三將軍を發し、一軍午道を塞ぎ、齊に告げて師を興し清河を度り、邯鄲の東に軍せしめ、一軍成臯に軍し、韓・魏を敺いて河外に軍せしめ、一軍澠池に軍す。約して曰く、四國一と爲りて趙を攻め、趙を破りて四に其の地を分かたんと。是の故に敢えて意を匿し情を隱さず、先に左右に聞かしむ。臣切に大王の爲に計るに、秦と澠池に遇い、面相い見て身相い結ぶに如くは莫し。臣請う兵を案じて攻めず、願わくは大王の計を定めんことを。」趙王曰く、「先王の時、奉陽君相たり、權を專らにし勢を擅にし、先王を蔽晦し、獨り官事を制す。寡人宮に居り、師傅に屬し、國を謀るに與る能わず。先王群臣を棄て、寡人年少く、祠祭を奉ずるの日淺し、私心固より竊かに之を疑う。以爲えらく一從して秦に事えざるは、國の長利に非ずと。乃ち且に心を變じ慮を易え、地を剖き前過を謝して以て秦に事えんとす。方に將に車を約して行に趨かんとするに、而して適々使者の明詔を聞く。」是に於て乃ち車三百乘を以て澠池に入朝し、河間を割きて以て秦に事う。
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戦国策・張儀為秦連橫齊王張儀秦の爲に齊王に連橫して曰く、「天下の強國齊に過ぐる無く、大臣父兄の殷眾富樂も、齊に過ぐる無し。然れども大王の爲に計る者、皆な一時の說を爲して萬世の利を顧みず。從人大王に說く者は、必ず齊西に強趙有り、南に韓・魏有り、海を負ふの國なり、地廣く人眾く、兵強く士勇なれば、百秦有りと雖も、將に我を奈何ともする無からんと謂ふ。大王其の說を覽て、其の至實を察せず。「夫れ從人朋黨比周し、從を以て可と爲さざる莫し。臣之を聞く、齊魯と三たび戰ひて魯三たび勝つも、國以て危ふく、亡其の後に隨ふ。勝の名有りと雖も亡の實有り、是れ何の故ぞや。齊大にして魯小なればなり。今趙の秦に於けるや、猶ほ齊の魯に於けるがごときなり。秦・趙河漳の上に戰ひて、再び戰ひて再び秦に勝つ。番吾の下に戰ひて、再び戰ひて再び秦に勝つ。四戰の後、趙亡卒數十萬、邯鄲僅かに存す。秦に勝つの名有りと雖も、國破れたり。是れ何の故ぞや。秦強くして趙弱ければなり。今秦・楚子を嫁し婦を取り、昆弟の國と爲る。韓宜陽を獻じ、魏河外を效し、趙黽池に入朝し、河間を割きて以て秦に事ふ。大王秦に事へずんば、秦韓・魏を驅りて齊の南地を攻め、趙を悉くして河關を涉り、摶關を指し、臨淄・即墨王の有に非ざらん。國一日攻めらるれば、秦に事へんと欲すと雖も、得べからず。是の故に願はくは大王の熟計せんことを。」齊王曰く、「齊僻陋にして東海の上に隱居し、未だ嘗て社稷の長利を聞かず。今大客幸ひに之を教ふ、請ふ社稷を奉じて以て秦に事へん。」魚鹽の地三百を秦に獻ずるなり。
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