戦国策 / 三晉已破智氏
三晉已破智氏,將分其地。段規謂韓王曰:「分地必取成皋。」韓王曰:「成皋,石溜之地也,寡人無所用之。」段規曰:「不然,臣聞一里之厚,而動千里之權者,地利也。萬人之眾,而破三軍者,不意也。王用臣言,則韓必取鄭矣。」王曰:「善。」果取成皋。至韓之取鄭也,果從成皋始。
新字:三晉已破智氏,将分其地。段規謂韓王曰:「分地必取成皋。」韓王曰:「成皋,石溜之地也,寡人無所用之。」段規曰:「不然,臣聞一里之厚,而動千里之権者,地利也。万人之眾,而破三軍者,不意也。王用臣言,則韓必取鄭矣。」王曰:「善。」果取成皋。至韓之取鄭也,果従成皋始。
書き下し
三晋已に智氏を破り、将に其の地を分かたんとす。段規、韓王に謂いて曰く、「地を分かつに必ず成皋を取れ。」韓王曰く、「成皋は石溜の地なり、寡人之を用うる所無し。」段規曰く、「然らず。臣聞く、一里の厚きにして千里の権を動かす者は地の利なり。万人の衆にして三軍を破る者は不意なりと。王臣が言を用いば、則ち韓必ず鄭を取らん。」王曰く、「善し。」果たして成皋を取る。韓の鄭を取るに至るや、果たして成皋より始まる。
現代語訳
韓・魏・趙の三晋がすでに智氏を打ち破り、その領地を分割しようとしていた。段規が韓王に言った。「領地を分けるにあたっては、必ず成皋を取るべきです。」韓王は言った。「成皋は石だらけの荒れ地であり、わたしにはそれを用いる術がない。」段規は言った。「そうではありません。わたくしはこう聞いております。わずか一里四方の土地でありながら千里四方の権勢を動かすことができるのは、その土地の地の利によるものであり、一万人ほどの兵力で三軍という大軍を打ち破ることができるのは、相手の不意を突くからだと。王がわたくしの言葉をお用いになれば、韓はきっと鄭の地を取ることになりましょう。」王は言った。「なるほど、もっともだ。」そこで果たして成皋を手に入れた。後に韓が鄭を取ることになったとき、それは案の定、この成皋を足がかりとして始まったのである。
解説
この章句が説くこと
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戦国策・韓公叔有齊魏韓の公叔、斉・魏を有し、太子は楚・秦を有して以て国を争う。鄭申、楚の為に韓に使いし、矯めて新城・陽人を以て太子に予う。楚王怒りて、将に之を罪せんとす。対えて曰わく、「臣矯めて之を予えしは、以て国の為なり。臣太子の為に新城・陽人を得しめ、以て公叔と国を争いて之を得しめたり。斉・魏必ず韓を伐たん。韓氏急ならば、必ず命を楚に懸けん、又何ぞ新城・陽人の敢えて求めんや。太子勝たずとも、然れども死せず、今将に冠を倒しまにして至らんとす、又安くんぞ敢えて地を言わんや。」楚王曰わく、「善し。」乃ち罪せず。
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戦国策・韓魏易地韓、魏地を易ふ、西周利あらず。樊餘楚王に謂ひて曰く、「周必ず亡びん。韓、魏の地を易ふるは、韓二縣を得て、魏二縣を亡ふ。これを為す所以の者は、尽く二周を包み、二縣より多く、九鼎焉に存す。且つ魏南陽、鄭地、三川有りて二周を包めば、則ち楚方城の外危ふし。韓兩上黨を兼ねて以て趙に臨めば、即ち趙羊腸以上危ふし。故に易成るの日、楚、趙皆軽んぜらる」と。楚王恐れ、趙に因りて以て易を止む。
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戦国策・韓公叔與幾瑟爭國鄭強為楚王使於韓韓の公叔幾瑟と國を爭う。鄭強楚王の為に韓に使いし、矯りて新城・陽人を以て世子に合し、以て公叔と國を爭わしむ。楚怒りて、將に之を罪せんとす。鄭強曰く、「臣の矯りて之に與うるは、國の為なり。臣曰く、世子新城・陽人を得て、以て公叔と國を爭い、全きを得ば、魏必ず韓氏を急にせん。韓氏急ならば、必ず命を楚に縣けん、又何ぞ新城・陽人敢えて索めんや。若し戰いて勝たず、走りて死せずんば、今且に以て至らんとす、又安んぞ敢えて地を言わんや。」楚王曰く、「善し。」乃ち罪せず。
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戦国策・謂鄭王鄭王に謂いて曰く、「昭釐侯は、一世の明君なり。申不害は、一世の賢士なり。韓と魏とは敵侔の國なり、申不害昭釐侯と珪を執りて梁君に見ゆるは、卑を好みて尊を惡むに非ず、慮過ちて議失するに非ざるなり。申不害の事を計るや、曰く、『我魏に珪を執らば、魏君必ず志を韓に得て、必ず外天下に靡かん、是れ魏弊るるなり。諸侯魏を惡みて必ず韓に事えん、是れ我一人の下を免れて、萬人の上に信ぜらるるなり。夫れ魏の兵を弱め、韓の權を重くするは、魏に朝するに如くは莫し』と。昭釐侯聽きて之を行う、明君なり。申不害事を慮りて之を言う、忠臣なり。今の韓は始の韓より弱く、今の秦は始の秦より強し。今秦梁君の心有り、而して王と諸臣秦を尊びて韓を定むるを事とせざる者は、臣竊かに以為らく王の明昭釐侯に如かず、王の諸臣の忠申不害に若く莫しと。「昔者穆公一たび韓原に勝ちて西州に霸たり、晉の文公一たび城濮に勝ちて天下を定む、此れ一勝を以て尊令を立て、功名を天下に成す。今秦數世強し、大勝千を以て數え、小勝百を以て數うるも、大にして王たらず、小にして霸たらず、名尊立つる所無く、制令行わるる所無し、然れども春秋兵を用うる者は、以て主の尊きを求め名を天下に成すに非ざるなり。昔先王の攻めるや、名の為にする者有り、實の為にする者有り。名の為にする者は其の心を攻め、實の為にする者は其の形を攻む。昔者呉と越と戰い、越人大いに敗れ、會稽の上に保つ。呉人越に入りて戶ごとに之を撫す。越王大夫種をして呉に行成せしめ、男は臣と為り、女は妾と為り、身禽を執りて諸御に隨わんことを請う。呉人果たして其の辭を聽き、成を與うるも盟わず、此れ其の心を攻むる者なり。其の後越呉と戰い、呉人大いに敗れ、亦男は臣と為り、女は妾と為らんことを請い、反りて越の呉に事うるの禮を以て越に事えんとす。越人聽かず、遂に呉國を殘いて夫差を禽にす、此れ其の形を攻むる者なり。今將に其の心を攻めんとするか、宜しく呉の如くならしむべし。其の形を攻めんとするか、宜しく越の如くならしむべし。夫れ形を攻むるは越に如かず、心を攻むるは呉に如かず、而して君臣・上下・少長・貴賤、畢く霸王を呼ぶは、臣竊かに以て猶井中に之きて謂いて曰わく、『我將に爾が為に火を求めんとす』と言うがごとしと為す。「東孟の會、聶政・陽堅相兼君を刺す。許異哀侯を蹴りて之を殪し、立てて鄭君と為す。韓氏の眾令を聽かざる者無きは、則ち許異之が先を為ればなり。是の故に哀侯君と為り、而して許異終身相たり。而して韓氏の許異を尊ぶや、猶其の哀侯を尊ぶがごとし。今日鄭君と為るを得可からざるも、終身之に相たりと雖も、然れども吾為さずと云う者、豈過謀を為すに非ざらんや。昔齊の桓公九たび諸侯を合するも、未だ嘗て周の襄王の命を以てせずんばあらず。然らば則ち襄王を尊ぶと雖も、桓公も亦霸を定む。九合の桓公を尊ぶや、猶其の襄王を尊ぶがごとし。今日天子と為るを得可からざるも、桓公と為ると雖も吾為さずと云う者、豈過謀にして尊を知らざるを為すに非ざらんや。韓氏の士數十萬、皆哀侯を戴きて以て君と為すも、許異獨り相を取る者は、他無し。諸侯の君、周室に事を任ぜざる無きも、桓公獨り霸を取る者も、亦他無し。今強國將に帝王の亹有らんとし、而して國を以て先んずる者は、此れ桓公・許異の類なり。豈善謀と謂わざる可けんや。夫れ強國の利に先んじ與するは、強國能く王たれば、則ち我必ず之が霸為らん。強國王たる能わずんば、則ち以て其の兵を辟け、之をして我を伐つ無からしむ可し。然らば則ち強國の事成らば、則ち我帝を立てて霸たらん。強國の事成らずとも、猶之れ我を厚德せん。今強國に與するに、強國の事成らば則ち福有り、成らずんば則ち患無し、然らば則ち強國に先んじ與する者は、聖人の計なり。」
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戦国策・知伯索地於魏桓子知伯、地を魏桓子に索(もと)む、魏桓子予えず。任章曰わく、「何の故にか予えざる。」桓子曰わく、「故無くして地を索む、故に予えず。」任章曰わく、「故無くして地を索むれば、隣国必ず恐れん。重欲厭くこと無ければ、天下必ず懼れん。君之に地を予えば、知伯必ず憍(おご)らん。憍りて敵を軽んずれば、隣国懼れて相親しまん。相親しむの兵を以て、敵を軽んずるの国を待たば、知氏の命長からず。周書に曰わく、『将に之を敗らんとせば、必ず姑(しばら)く之を輔(たす)け、将に之を取らんとせば、必ず姑く之に与えよ』と。君之に与うるに如かず、以て知伯を驕らしめよ。君何ぞ天下を以て知氏を図るを釈(す)てて、独り吾が国を以て知氏の質と為すか。」君曰わく、「善し。」乃ち之に万家の邑一つを与う。知伯大いに説(よろこ)ぶ。因りて蔡・皋梁を趙に索むるも、趙与えず、因りて晋陽を囲む。韓・魏外に反き、趙氏之に内に応じ、知氏遂に亡ぶ。
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