戦国策 / 魏惠王起境內眾
魏惠王起境內眾,將太子申而攻齊。客謂公子理之傳曰:「何不令公子泣王太后,止太子之行?事成則樹德,不成則為王矣。太子年少,不習於兵。田朌宿將也,而孫子善用兵。戰必不勝,不勝必禽。公子爭之於王,王聽公子,公子不封;不聽公子,太子必敗;敗,公子必立;立,必為王也。」
新字:魏恵王起境内眾,将太子申而攻斉。客謂公子理之伝曰:「何不令公子泣王太后,止太子之行?事成則樹徳,不成則為王矣。太子年少,不習於兵。田朌宿将也,而孫子善用兵。戦必不勝,不勝必禽。公子争之於王,王聴公子,公子不封;不聴公子,太子必敗;敗,公子必立;立,必為王也。」
書き下し
魏の惠王境内の衆を起こし、太子申を将として齊を攻めしめんとす。客公子理の傅(ふ)に謂いて曰く、「何ぞ公子をして王太后に泣かしめ、太子の行くを止めしめざる。事成らば則ち徳を樹(た)て、成らざれば則ち王と為らん。太子年少にして、兵に習わず。田朌は宿将なり、而して孫子善く兵を用う。戦えば必ず勝たず、勝たざれば必ず禽(とりこ)にせられん。公子之を王に争わば、王公子に聴かば、公子封ぜられず。聴かざれば、太子必ず敗れん。敗るれば、公子必ず立たん。立たば、必ず王と為らん」と。
現代語訳
魏の恵王は国中の兵を起こし、太子申を大将として斉を攻めさせようとした。ある客が公子理の傅役にこう説いた。「なぜ公子に王太后のもとで涙ながらに訴えさせ、太子の出陣を止めさせないのですか。もし止めることに成功すれば公子は徳を立てたことになり、成功しなくても結局は公子が王になるでしょう。太子は年若く、まだ兵事に慣れていません。田朌は経験豊富な老将であり、孫子(孫臏)は用兵に長けています。戦えば魏軍は必ず勝てず、勝てなければ太子は必ず捕虜にされてしまいます。公子がこのことを王に訴え、王が公子の言に従えば、公子が(戦の失敗の責を負って)封ぜられないだけで済みます。もし王が従わず太子が出陣すれば、太子は必ず敗れます。太子が敗れれば、公子が必ず後継に立てられます。後継に立てば、いずれ必ず王となるでしょう。」
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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戦国策・齊魏戰於馬陵齊・魏馬陵に戦い、齊大いに魏に勝ち、太子申を殺し、十万の軍を覆す。魏王惠施を召して之に告げて曰く、「夫れ齊は、寡人の讎(あだ)なり、之を怨むこと死に至るまで忘れず。国小なりと雖も、吾常に悉く兵を起こして之を攻めんと欲す、何如(いかん)」と。対(こた)えて曰く、「不可なり。臣之を聞く、王者は度を得、覇者は計を知る、と。今王の臣に告ぐる所の者は、度に疏(うと)くして計に遠し。王固より先ず怨みを趙に属(つ)けて、而る後齊と戦えり。今戦いて勝たず、国に守戦の備え無くして、王又悉く起こして齊を攻めんと欲す、此れ臣の謂う所に非ざるなり。王若し齊に報いんと欲せば、則ち変服折節して齊に朝するに如かず、楚王必ず怒らん。王游人にして其の鬥(たたか)いを合わせしめば、則ち楚必ず齊を伐たん。休楚を以て罷齊を伐たしめば、則ち必ず楚の禽(とりこ)と為らん。是れ王楚を以て齊を毀(やぶ)るなり」と。魏王曰く、「善し」と。乃ち人をして齊に報ぜしめ、臣畜(しんちく)して朝せんことを願う。田嬰許諾す。張丑曰く、「不可なり。戦いて魏に勝たずして、朝礼を得るは、魏と和して楚を下すなり、此れ以て大勝と為す可し。今戦いて魏に勝ち、十万の軍を覆し、太子申を禽にす。万乗の魏を臣とし、秦・楚を卑(いや)しくす、此れ其の暴なること戾定(れいてい)に於いてなり。且つ楚王の人と為りや、用兵を好みて甚だ名を務む、終に齊の患いと為る者は、必ず楚なり」と。田嬰聴かず、遂に魏王を内(い)れて、之と並びに齊侯に朝すること再三す。趙氏之を醜(は)ず。楚王怒り、自ら将として齊を伐ち、趙之に応じ、大いに齊を徐州に敗る。
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戦国策・田忌為齊將田忌齊の將と爲り、梁の太子申を係し、龐涓を禽にす。孫子田忌に謂ひて曰く、「將軍以て大事を爲すべきか。」田忌曰く、「奈何。」孫子曰く、「將軍兵を解かずして齊に入れ。彼をして先んじて主に守るに罷弊せしめよ。主なる者は、循軼の途なり、鎋摩車を擊ちて相過ぐ。彼をして罷弊して先んじて主に守るに弱くせしめば、必ず一にして十に當り、十にして百に當り、百にして千に當らん。然る後太山を背にし、左は濟、右は天唐にして、軍重ねて高宛を踵み、輕車銳騎をして雍門を衝かしめよ。是くの若くんば、則ち齊君正すべく、成侯走らすべし。然らずんば、則ち將軍齊に入るを得ざらん。」田忌聽かず、果して齊に入らず。
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戦国策・魏太子自將過宋外黃魏の太子自ら将たり、宋の外黄を過ぐ。外黄の徐子曰く、「臣に百戦百勝の術有り、太子能く臣に聴くか」と。太子曰く、「願わくは之を聞かん」と。客曰く、「固より之を効さんことを願う。今太子自ら将として斉を攻め、大いに勝ちて莒を并せば、則ち富は魏を有つに過ぎず、貴きは王為るに益さず。若し戦いて勝たざれば、則ち万世魏無からん。此れ臣の百戦百勝の術なり」と。太子曰く、「諾。請う必ず公の言に従いて還らん」と。客曰く、「太子還らんと欲すと雖も、得ざらん。彼太子の戦攻を利とし、其の意を満たさんと欲する者衆ければ、太子還らんと欲すと雖も、恐らくは得ざらん」と。太子車に上りて還らんことを請う。其の御曰く、「将に出でて還るは、北ぐると同じ。遂に行くに如かず」と。遂に行く。斉人と戦いて死し、卒に魏を得ず。
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史記 孫子呉起列伝後十三歳、魏と趙、韓を攻む。韓、急を斉に告ぐ。斉、田忌をして将として往かしめ、直ちに大梁に走る。魏の将龐涓、之を聞き、韓を去りて帰る。斉の軍既に已に過ぎて西す。孫子、田忌に謂ひて曰く、「彼の三晋の兵は素悍勇にして斉を軽んじ、斉をば号して怯と為す。善く戦ふ者は其の勢いに因りて之を利導す。兵法に、百里にして利に趣く者は上将を蹶し、五十里にして利に趣く者は軍半ば至る、と。斉の軍をして魏の地に入りて十万の竈を為り、明日五万の竈を為り、又明日三万の竈を為らしめよ」と。龐涓、行くこと三日、大いに喜びて曰く、「我固より斉の軍の怯なるを知る。吾が地に入りて三日、士卒の亡ぐる者半ばを過ぐ」と。乃ち其の歩軍を棄て、其の軽鋭と倍日并行して之を逐ふ。孫子、其の行を度るに、暮に当に馬陵に至るべし、と。馬陵の道陜くして旁ら阻隘多く、兵を伏す可し。乃ち大樹を斫り白げて之に書して曰く、「龐涓、此の樹の下に死せん」と。是に於いて斉の軍の善く射る者萬弩をして、道を夾みて伏せしめ、期して曰く、「暮に火の挙がるを見て倶に発せよ」と。龐涓果たして夜、斫木の下に至り、白書を見、乃ち火を鑽りて之を燭す。其の書を読むこと未だ畢らざるに、斉の軍の萬弩倶に発す。魏の軍大いに乱れて相ひ失す。龐涓、自ら智窮まり兵敗るるを知り、乃ち自剄して曰く、「遂に豎子の名を成せり」と。斉、因りて勝ちに乗じて尽く其の軍を破り、魏の太子申を虜にして以て帰る。孫臏、此れを以て名、天下に顕れ、世、其の兵法を伝ふ。
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戦国策・成侯鄒忌為齊相成侯鄒忌齊の相と爲り、田忌將と爲り、相說ばず。公孫閈鄒忌に謂ひて曰く、「公何ぞ王の爲に魏を伐つを謀らざるや。勝たば、則ち是れ君の謀なり、君以て功有るべし。戰ひて勝たずんば、田忌進まず、戰ひて死せずんば、曲撓して誅せられん。」鄒忌以て然りと爲し、乃ち王に說きて田忌をして魏を伐たしむ。田忌三たび戰ひて三たび勝つ。鄒忌以て公孫閈に告ぐ。公孫閈乃ち人をして十金を操りて往きて市に卜せしめて曰く、「我田忌の人なり。吾三たび戰ひて三たび勝ち、聲威天下にす。大事を爲さんと欲す、亦た吉か否か。」卜者出づ。因りて人をして人の爲に卜する者を捕へしめ、亦た其の辭を王の前に驗す。田忌遂に走る。
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