戦国策 / 田忌為齊將
田忌為齊將,係梁太子申,禽龐涓。孫子謂田忌曰:「將軍可以為大事乎?」田忌曰:「奈何?」孫子曰:「將軍無解兵而入齊。使彼罷弊於先弱守於主。主者,循軼之途也,鎋擊摩車而相過。使彼罷弊先弱守於主,必一而當十,十而當百,百而當千。然後背太山,左濟,右天唐,軍重踵高宛,使輕車銳騎衝雍門。若是,則齊君可正,而成侯可走。不然,則將軍不得入於齊矣。」田忌不聽,果不入齊。
新字:田忌為斉将,係梁太子申,禽龐涓。孫子謂田忌曰:「将軍可以為大事乎?」田忌曰:「奈何?」孫子曰:「将軍無解兵而入斉。使彼罷弊於先弱守於主。主者,循軼之途也,鎋擊摩車而相過。使彼罷弊先弱守於主,必一而当十,十而当百,百而当千。然後背太山,左済,右天唐,軍重踵高宛,使軽車銳騎衝雍門。若是,則斉君可正,而成侯可走。不然,則将軍不得入於斉矣。」田忌不聴,果不入斉。
書き下し
田忌齊の將と爲り、梁の太子申を係し、龐涓を禽にす。孫子田忌に謂ひて曰く、「將軍以て大事を爲すべきか。」田忌曰く、「奈何。」孫子曰く、「將軍兵を解かずして齊に入れ。彼をして先んじて主に守るに罷弊せしめよ。主なる者は、循軼の途なり、鎋摩車を擊ちて相過ぐ。彼をして罷弊して先んじて主に守るに弱くせしめば、必ず一にして十に當り、十にして百に當り、百にして千に當らん。然る後太山を背にし、左は濟、右は天唐にして、軍重ねて高宛を踵み、輕車銳騎をして雍門を衝かしめよ。是くの若くんば、則ち齊君正すべく、成侯走らすべし。然らずんば、則ち將軍齊に入るを得ざらん。」田忌聽かず、果して齊に入らず。
現代語訳
田忌が斉の将軍となり、魏の太子申を捕らえ、龐涓を捕虜にした(馬陵の戦いの勝利)。孫子(孫臏)が田忌に言った。「将軍は、この機に大事を成し遂げることができますか。」田忌が「どうすればよいのか」と尋ねると、孫子は言った。「将軍は軍を解散させずに、そのまま斉の都へ入るのです。まず敵に先んじて要衝(主)の守りに疲れさせましょう。要衝とは車が行き交う要路であり、車の轂が触れ合うほど混雑する場所です。彼らを疲弊させ、先んじて手薄な守りに就かせれば、我が軍は必ず一人で十人に当たり、十人で百人に当たり、百人で千人に当たるほどの力を発揮できます。そのうえで泰山を背にし、左に済水、右に天唐の地を置き、軍をさらに高宛まで進め、軽装の戦車と精鋭騎兵に雍門を突かせるのです。こうすれば、斉の君主(を惑わす奸臣)を正すことができ、成侯(鄒忌)を追放することもできましょう。しかしそうしなければ、将軍は(粛清されて)斉の都に入ることすらできなくなるでしょう。」田忌はこの進言を聞き入れず、結局(この計略のとおりには)斉の都に入らなかった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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戦国策・成侯鄒忌為齊相成侯鄒忌齊の相と爲り、田忌將と爲り、相說ばず。公孫閈鄒忌に謂ひて曰く、「公何ぞ王の爲に魏を伐つを謀らざるや。勝たば、則ち是れ君の謀なり、君以て功有るべし。戰ひて勝たずんば、田忌進まず、戰ひて死せずんば、曲撓して誅せられん。」鄒忌以て然りと爲し、乃ち王に說きて田忌をして魏を伐たしむ。田忌三たび戰ひて三たび勝つ。鄒忌以て公孫閈に告ぐ。公孫閈乃ち人をして十金を操りて往きて市に卜せしめて曰く、「我田忌の人なり。吾三たび戰ひて三たび勝ち、聲威天下にす。大事を爲さんと欲す、亦た吉か否か。」卜者出づ。因りて人をして人の爲に卜する者を捕へしめ、亦た其の辭を王の前に驗す。田忌遂に走る。
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史記 孫子呉起列伝後十三歳、魏と趙、韓を攻む。韓、急を斉に告ぐ。斉、田忌をして将として往かしめ、直ちに大梁に走る。魏の将龐涓、之を聞き、韓を去りて帰る。斉の軍既に已に過ぎて西す。孫子、田忌に謂ひて曰く、「彼の三晋の兵は素悍勇にして斉を軽んじ、斉をば号して怯と為す。善く戦ふ者は其の勢いに因りて之を利導す。兵法に、百里にして利に趣く者は上将を蹶し、五十里にして利に趣く者は軍半ば至る、と。斉の軍をして魏の地に入りて十万の竈を為り、明日五万の竈を為り、又明日三万の竈を為らしめよ」と。龐涓、行くこと三日、大いに喜びて曰く、「我固より斉の軍の怯なるを知る。吾が地に入りて三日、士卒の亡ぐる者半ばを過ぐ」と。乃ち其の歩軍を棄て、其の軽鋭と倍日并行して之を逐ふ。孫子、其の行を度るに、暮に当に馬陵に至るべし、と。馬陵の道陜くして旁ら阻隘多く、兵を伏す可し。乃ち大樹を斫り白げて之に書して曰く、「龐涓、此の樹の下に死せん」と。是に於いて斉の軍の善く射る者萬弩をして、道を夾みて伏せしめ、期して曰く、「暮に火の挙がるを見て倶に発せよ」と。龐涓果たして夜、斫木の下に至り、白書を見、乃ち火を鑽りて之を燭す。其の書を読むこと未だ畢らざるに、斉の軍の萬弩倶に発す。魏の軍大いに乱れて相ひ失す。龐涓、自ら智窮まり兵敗るるを知り、乃ち自剄して曰く、「遂に豎子の名を成せり」と。斉、因りて勝ちに乗じて尽く其の軍を破り、魏の太子申を虜にして以て帰る。孫臏、此れを以て名、天下に顕れ、世、其の兵法を伝ふ。
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史記 孫子呉起列伝斉の使者、梁に如く。孫臏、刑徒を以て陰かに見え、斉の使に説く。斉の使、以て奇と為し、窃かに載せて之と斉に之く。斉の将田忌、善として之を客待す。忌、数々斉の諸公子と馳逐して重射す。孫子、其の馬足の甚だしくは相ひ遠からず、馬に上・中・下の輩有るを見る。是に於いて孫子、田忌に謂ひて曰く、「君弟だ重射せよ。臣能く君をして勝たしめん」と。田忌、信じて之を然りとし、王及び諸公子と千金を逐射す。質に臨むに及び、孫子曰く、「今、君の下駟を以て彼の上駟に与し、君の上駟を取りて彼の中駟に与し、君の中駟を取りて彼の下駟に与せよ」と。既に馳すること三輩して畢り、田忌一たび勝たずして再び勝ち、卒に王の千金を得たり。是に於いて忌、孫子を威王に進む。威王、兵法を問ひ、遂に以て師と為す。
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戦国策・魏惠王起境內眾魏の惠王境内の衆を起こし、太子申を将として齊を攻めしめんとす。客公子理の傅(ふ)に謂いて曰く、「何ぞ公子をして王太后に泣かしめ、太子の行くを止めしめざる。事成らば則ち徳を樹(た)て、成らざれば則ち王と為らん。太子年少にして、兵に習わず。田朌は宿将なり、而して孫子善く兵を用う。戦えば必ず勝たず、勝たざれば必ず禽(とりこ)にせられん。公子之を王に争わば、王公子に聴かば、公子封ぜられず。聴かざれば、太子必ず敗れん。敗るれば、公子必ず立たん。立たば、必ず王と為らん」と。
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史記 孫子呉起列伝其の後、魏、趙を伐ち、趙急なり、救ひを斉に請ふ。斉の威王、孫臏を将とせんと欲す。臏、辞謝して曰く、「刑余の人は不可なり」と。是に於いて乃ち田忌を以て将と為し、孫子を師と為し、輜車の中に居り、坐して計謀を為す。田忌、兵を引きて趙に之かんと欲す。孫子曰く、「夫れ雑乱紛糾を解く者は控棬せず、闘を救ふ者は搏撠せず。亢を批け虚を擣ち、形格り勢い禁ずれば、則ち自ら解くを為さんのみ。今、梁・趙相ひ攻む。軽兵鋭卒は必ず外に竭き、老弱は内に罷せん。君、兵を引きて疾く大梁に走り、其の街路に拠り、其の方に虚なるを衝くに若かず。彼必ず趙を釈てて自ら救はん。是れ我が一挙にして趙の囲みを解きて弊を魏に収むるなり」と。田忌之に従ふ。魏果たして邯鄲を去り、斉と桂陵に戦ひ、大いに梁の軍を破る。
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説苑・尊賢田忌斉を去りて楚に奔る。楚王郊に迎えて舎に至り、問いて曰く、「楚は万乗の国なり、斉も亦万乗の国なり、常に相并せんと欲す、之を奈何せん」と。対えて曰く、「知り易きのみ。斉申孺をして将たらしめば、則ち楚五万人を発し、上将軍をして之を将いしめ、禽将軍の首に至りて反るのみ。斉田居をして将たらしめば、則ち楚二十万人を発し、上将軍をして之を将いしめ、分別して相い去るなり。斉眄子をして将たらしめば、楚四封の内を発し、王自ら出でて将たり、忌従い、相国上将軍左右司馬たり。是の如くんば則ち王僅かに存するを得んのみ」と。是に於いて斉申孺をして将たらしめ、楚五万人を発し、上将軍をして至らしめ、擒将軍の首を反す。是に於いて斉王忿然とし、乃ち更めて眄子をして将たらしめ、楚四封の内を悉く発し、王自ら将たり、田忌従い、相国上将軍左右司馬たり、王の車属九乗を益し、僅かに免るるを得たり。舎に至り、王北面して正しく斉袪を領え、問いて曰く、「先生何ぞ之を知るの早きや」と。田忌曰く、「申孺の人と為りや、賢者を侮りて不肖者を軽んず、賢不肖俱に用いられず、是を以て亡ぶるなり。田居の人と為りや、賢者を尊びて不肖者を賤しむ、賢者は任を負い、不肖者は退く、是を以て分別して相い去るなり。眄子の人と為りや、賢者を尊びて不肖者を愛す、賢不肖俱に任を負う、是を以て王僅かに存するを得しのみ」と。