戦国策 / 翟章從梁來
翟章從梁來,甚善趙王。趙王三延之以相,翟章辭不受。田駟謂柱國韓向曰:「臣請為卿刺之。客若死,則王必怒而誅建信君。建信君死,則卿必為相矣。建信君不死,以為交,終身不敝,卿因以德建信君矣。」
新字:翟章従梁来,甚善趙王。趙王三延之以相,翟章辞不受。田駟謂柱国韓向曰:「臣請為卿刺之。客若死,則王必怒而誅建信君。建信君死,則卿必為相矣。建信君不死,以為交,終身不敝,卿因以徳建信君矣。」
書き下し
翟章梁より来たり、甚だ趙王に善くせらる。趙王三たび之を延きて相たらしめんとするも、翟章辞して受けず。田駟、柱国韓向に謂いて曰わく、「臣請う卿の為に之を刺さん。客若し死せば、則ち王必ず怒りて建信君を誅せん。建信君死せば、則ち卿必ず相為らん。建信君死せずんば、以て交わりを為し、終身敝れず、卿因りて以て建信君に徳とせられん。」
現代語訳
翟章が魏(梁)からやって来て、趙王にたいそう気に入られた。趙王は三度にわたって彼を招いて宰相にしようとしたが、翟章は辞退して受けなかった。田駟は柱国の韓向にこう言った。「私があなた様のために、この客人(翟章)を刺し殺してさしあげましょう。もしこの客人が死ねば、王は必ず怒って建信君を誅殺するでしょう。建信君が死ねば、あなた様は必ず宰相になれます。もし建信君が死ななければ、それはそれであなた様は建信君と誼を結んだことになり、生涯その関係が損なわれることはなく、あなた様はかえって建信君から恩義を受けることになるでしょう。」
解説
この一篇は、魏から来た翟章が趙王に厚遇され三度も宰相に推されながら固辞したという話に続けて、田駟が柱国の韓向に対し、翟章を暗殺することで自分の政敵である建信君を陥れ、韓向を宰相の地位に就けようとする陰謀を持ちかける場面を描いています。田駟の提案は、翟章を殺せば王の怒りが建信君に向かい建信君が失脚して韓向が得をし、たとえ建信君が処罰を免れたとしても、韓向は建信君に恩を売ったことになるという、どちらに転んでも自分の側に利益が生まれる計算に基づいています。人の死すら政争の道具として利用しようとする発想は、権力闘争の非情さを端的に示しており、目的のためにどんな結果になっても得をするよう仕組む発想の恐ろしさを教えてくれます。現代の組織内政治でも、こうした「両方転んでも得をする」式の策謀に加担しないことは、自らの良心と信用を守るために重要です。
この章句が説くこと
戦国策趙四翟章田駟権力闘争
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