戦国策 / 楚王將出張子
楚王將出張子,恐其敗己也,靳尚謂楚王曰:「臣請隨之。儀事王不善,臣請殺之。」楚小臣,靳尚之仇也,謂張旄曰:「以張儀之知,而有秦、楚之用,君必窮矣。君不如使人微要靳尚而刺之,楚王必大怒儀也。彼儀窮,則子重矣。楚、秦相難,則魏無患矣。」張旄果令人要靳尚刺之。楚王大怒,秦構兵而戰。秦、楚爭事魏,張旄果大重。
新字:楚王将出張子,恐其敗己也,靳尚謂楚王曰:「臣請随之。儀事王不善,臣請殺之。」楚小臣,靳尚之仇也,謂張旄曰:「以張儀之知,而有秦、楚之用,君必窮矣。君不如使人微要靳尚而刺之,楚王必大怒儀也。彼儀窮,則子重矣。楚、秦相難,則魏無患矣。」張旄果令人要靳尚刺之。楚王大怒,秦構兵而戦。秦、楚争事魏,張旄果大重。
書き下し
楚王将に張子を出ださんとす、其の己を敗らんことを恐る。靳尚、楚王に謂いて曰わく、「臣請う之に随わん。儀王に事えて善からずんば、臣請う之を殺さん。」楚の小臣は、靳尚の仇なり、張旄に謂いて曰わく、「張儀の知を以て、秦・楚の用有らば、君必ず窮せん。君は人をして微かに靳尚を要して之を刺さしむるに如かず、楚王必ず大いに儀を怒らん。彼儀窮すれば、則ち子重んぜられん。楚・秦相い難ずれば、則ち魏患い無からん。」張旄果たして人をして靳尚を要して之を刺さしむ。楚王大いに怒り、秦兵を構えて戦う。秦・楚魏に事えんと争い、張旄果たして大いに重んぜらる。
現代語訳
楚王がまさに張儀を釈放しようとしたとき、王は張儀が自分に逆らって害をなすのではないかと恐れた。靳尚は楚王にこう言った。「私が張儀に付き添いましょう。もし彼が王のために誠実に働かないようなら、私が彼を殺しましょう。」ところで楚の(ある)小臣は靳尚の仇であったので、張旄にこう言った。「張儀ほどの知略の持ち主が、秦と楚の両方に用いられるようになれば、あなたは必ず窮地に陥るでしょう。あなたは人にひそかに靳尚を待ち伏せさせて刺し殺させるのがよいでしょう。そうすれば楚王は必ず張儀に対して大いに怒るはずです。張儀が窮地に陥れば、あなたは重んじられるようになります。楚と秦とが互いに争えば、魏には憂いがなくなります。」張旄は果たして人にひそかに靳尚を襲わせて刺し殺させた。楚王は大いに怒り、秦との間で兵を構えて戦った。秦と楚は競って魏に取り入ろうとし、張旄は果たして大いに重んじられるようになった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『韓非子』備內第十七故に人主は以て心を己の死するを利とする者に加えざる可からず。
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『韓非子』難一第三十六夫れ臣を兩用する者國の憂いならば、則ち是れ桓公は霸たらず、成湯は王たらざらん。... 主に術有らば、兩用すとも患を為さざらん。術無くば、兩用せば則ち事を爭い、一ならば則ち制を専らにせん。
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戦国策・犀首見梁君犀首、梁君に見(まみ)えて曰く、「臣力を尽くし知を竭(つく)し、以て王の為に土を広め尊名を取らんと欲するに、田需中より君を敗(やぶ)り、王又之を聴く、是れ臣終に成功無きなり。需亡(さ)らば、臣将に侍(つか)えんとす。需侍(はべ)らば、臣請う亡らん」と。王曰く、「需は寡人の股掌の臣なり。子の不便の為に、之を殺し之を亡すも、天下に何と謂わんや、群臣を内(い)るるに何如(いかん)せんや。今吾子の為に之を外にし、敢えて子の事に入らしめざらしめん。子の事に入る者は、吾子の為に之を殺し之を亡さん、胡如(いかん)」と。犀首許諾す。是(ここ)に於いて東のかた田嬰に見え、之と約結す。文子を召して之を魏に相とし、身は韓に相たり。
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戦国策・秦二・秦惠王死公孫衍欲窮張儀秦の惠王死し、公孫衍張儀を窮せしめんと欲す。李讎公孫衍に謂いて曰わく、「甘茂を魏に召し、公孫顯を韓に召し、樗里子を國に起こすに如かず。三人なる者は、皆張儀の讎なり。公之を用いなば、則ち諸侯必ず張儀の秦に無きを見ん。」
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