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戦国策 / 蘇秦為奉陽君說燕於趙以伐齊

蘇秦為奉陽君說燕於趙以伐齊,奉陽君不聽。乃入齊惡趙,令齊絕於趙。齊已絕於趙,因之燕,謂昭王曰:「韓為謂臣曰:『人告奉陽君曰:使齊不信趙者,蘇子也;今齊王召蜀子使不伐宋,蘇子也;與齊王謀道取秦以謀趙者,蘇子也;令齊守趙之質子以甲者,又蘇子也。請告子以請齊,果以守趙之質子以甲,吾必守子以甲。』其言惡矣。雖然,王勿患也。臣故知入齊之有趙累也。出為之以成所欲,臣死而齊大惡於趙,臣猶生也。令齊、趙絕,可大紛已。持臣非張孟談也,使臣也如張孟談也,齊、趙必有為智伯者矣。「奉陽君告朱讙與趙足曰:『齊王使公王曰命說曰,必不反韓珉,今召之矣。必不任蘇子以事,今封而相之。令不合燕,今以燕為上交。吾所恃者順也,今其言變有甚於其父,順始與蘇子為讎。見之知無厲,今賢之兩之,已矣,吾無齊矣!』「奉陽君之怒甚矣。如齊王王之不信趙,而小人奉陽君也,因是而倍之。不以今時大紛之,解而復合,則後不可柰何也。故齊、趙之合苟可循也,死不足以為臣患;逃不足以為臣恥;為諸侯,不足以為臣榮;被髮自漆為厲,不足以為臣辱。然而臣有患也,臣死而齊、趙不循,惡交分於臣也,而後相效,是臣之患也。若臣死而必相攻也,臣必勉之而求死焉。堯、舜之賢而死,禹、湯之知而死,孟賁之勇而死,烏獲之力而死,生之物固有不死者乎?在必然之物以成所欲,王何疑焉?「臣以為不若逃而去之。臣以韓、魏循自齊,而為之取秦,深結趙以勁之。如是則近於相攻。臣雖為之累燕,奉陽君告朱讙曰:『蘇子怒於燕王之不以吾故,弗予相,又不予卿也,殆無燕矣。』其疑至於此,故臣雖為之不累燕,又不欲王。伊尹再逃湯而之桀,再逃桀而之湯,果與鳴條之戰,而以湯為天子。伍子胥逃楚而之吳,果與伯舉之戰,而報其父之讎。今臣逃而紛齊、趙,始可著於春秋。且舉大事者,孰不逃?桓公之難,管仲逃於魯;陽虎之難,孔子逃於衛;張儀逃於楚;白珪逃於秦;望諸相中山也使趙,趙劫之求埊,望諸攻關而出逃;外孫之難,薛公釋戴逃出於關,三晉稱以為士。故舉大事,逃不足以為辱矣。」卒絕齊於趙,趙合於燕以攻齊,敗之。

新字:蘇秦為奉陽君説燕於趙以伐斉,奉陽君不聴。乃入斉悪趙,令斉絶於趙。斉已絶於趙,因之燕,謂昭王曰:「韓為謂臣曰:『人告奉陽君曰:使斉不信趙者,蘇子也;今斉王召蜀子使不伐宋,蘇子也;与斉王謀道取秦以謀趙者,蘇子也;令斉守趙之質子以甲者,又蘇子也。請告子以請斉,果以守趙之質子以甲,吾必守子以甲。』其言悪矣。雖然,王勿患也。臣故知入斉之有趙累也。出為之以成所欲,臣死而斉大悪於趙,臣猶生也。令斉、趙絶,可大紛已。持臣非張孟談也,使臣也如張孟談也,斉、趙必有為智伯者矣。「奉陽君告朱讙与趙足曰:『斉王使公王曰命説曰,必不反韓珉,今召之矣。必不任蘇子以事,今封而相之。令不合燕,今以燕為上交。吾所恃者順也,今其言変有甚於其父,順始与蘇子為讎。見之知無厲,今賢之両之,已矣,吾無斉矣!』「奉陽君之怒甚矣。如斉王王之不信趙,而小人奉陽君也,因是而倍之。不以今時大紛之,解而復合,則後不可柰何也。故斉、趙之合苟可循也,死不足以為臣患;逃不足以為臣恥;為諸侯,不足以為臣栄;被髪自漆為厲,不足以為臣辱。然而臣有患也,臣死而斉、趙不循,悪交分於臣也,而後相効,是臣之患也。若臣死而必相攻也,臣必勉之而求死焉。堯、舜之賢而死,禹、湯之知而死,孟賁之勇而死,烏獲之力而死,生之物固有不死者乎?在必然之物以成所欲,王何疑焉?「臣以為不若逃而去之。臣以韓、魏循自斉,而為之取秦,深結趙以勁之。如是則近於相攻。臣雖為之累燕,奉陽君告朱讙曰:『蘇子怒於燕王之不以吾故,弗予相,又不予卿也,殆無燕矣。』其疑至於此,故臣雖為之不累燕,又不欲王。伊尹再逃湯而之桀,再逃桀而之湯,果与鳴条之戦,而以湯為天子。伍子胥逃楚而之吳,果与伯舉之戦,而報其父之讎。今臣逃而紛斉、趙,始可著於春秋。且舉大事者,孰不逃?桓公之難,管仲逃於魯;陽虎之難,孔子逃於衛;張儀逃於楚;白珪逃於秦;望諸相中山也使趙,趙劫之求埊,望諸攻関而出逃;外孫之難,薛公釈戴逃出於関,三晉称以為士。故舉大事,逃不足以為辱矣。」卒絶斉於趙,趙合於燕以攻斉,敗之。

書き下し

蘇秦、奉陽君の為に燕を趙に説きて以て斉を伐たしめんとするも、奉陽君聴かず。乃ち斉に入りて趙を悪しざまに言い、斉をして趙に絶たしむ。斉已に趙に絶つや、之に因りて燕に之き、昭王に謂いて曰く、「韓珉臣に謂いて曰く、『人奉陽君に告げて曰く、「斉をして趙を信ぜざらしむる者は蘇子なり。今斉王蜀子をして宋を伐たしめざらしむるは蘇子なり。斉王と道を謀りて秦を取り以て趙を謀る者は蘇子なり。斉をして趙の質子を守らしむるに甲を以てするは、又蘇子なり」と。請う子に告げて以て斉に請わしめん。果して趙の質子を守るに甲を以てせば、吾必ず子を守るに甲を以てせん』と。其の言悪しきなり。然りと雖も、王患うる勿かれ。臣故より斉に入るに趙の累有るを知れり。出でて之を為すは以て欲する所を成さんとすればなり。臣死して斉大いに趙を悪まば、臣猶お生けるがごとし。斉・趙をして絶たしめば大いに紛らすべきのみ。臣を持するは張孟談に非ざるも、臣をして張孟談の如くならしめば、斉・趙必ず智伯たる者有らん。 「奉陽君朱讙と趙足とに告げて曰く、『斉王公王曰をして説を命ぜしめて曰く、必ず韓珉を反さず、今之を召せり。必ず蘇子に事を任ぜず、今封じて之を相とせり。燕に合せしめず、今燕を以て上交と為す。吾が恃む所の者は順なり、今其の言変ずること其の父より甚だし。順始め蘇子と讎を為せしに、之を見て厲無きを知れり。今之を賢として両にせり。已んぬるかな、吾に斉無し』と。 「奉陽君の怒り甚だし。斉王の趙を信ぜざるが如く、而して奉陽君を小人とするは、是に因りて之に倍く。今の時を以て大いに之を紛らさずんば、解けて復た合すれば、則ち後如何ともすべからざるなり。故に斉・趙の合、苟くも循るべくんば、死すとも以て臣の患と為すに足らず。逃ぐとも以て臣の恥と為すに足らず。諸侯と為るも、以て臣の栄と為すに足らず。髪を被り自ら漆して厲と為すも、以て臣の辱と為すに足らず。然れども臣に患有り。臣死して斉・趙循らずんば、交の臣に分かるるを悪みて、而して後相い効わん、是れ臣の患なり。若し臣死して必ず相攻めば、臣必ず之を勉めて死を求めん。堯・舜の賢も死し、禹・湯の知も死し、孟賁の勇も死し、烏獲の力も死す、生の物固より死せざる者有らんや。必然の物に在りて以て欲する所を成さば、王何ぞ疑わんや。 「臣以為えらく逃れて之を去るに如かず、と。臣韓・魏を以て斉に循い、之が為に秦を取り、深く趙に結びて以て之を勁くせん。是の如くんば則ち相攻むるに近し。臣之が為に燕を累わすと雖も、奉陽君朱讙に告げて曰く、『蘇子燕王の吾が故を以てせずして、予うるに相を以てせず、又予うるに卿を以てせざるを怒り、殆ど燕無からん』と。其の疑此に至る、故に臣之が為に燕を累わさずと雖も、又王を欲せず。伊尹再び湯を逃れて桀に之き、再び桀を逃れて湯に之き、果して鳴条の戦いに与りて、湯を以て天子と為せり。伍子胥楚を逃れて呉に之き、果して伯挙の戦いに与りて、其の父の讎に報いたり。今臣逃れて斉・趙を紛らさば、始めて春秋に著すべし。且つ大事を挙ぐる者、孰か逃れざらんや。桓公の難、管仲魯に逃れ、陽虎の難、孔子衛に逃れ、張儀楚に逃れ、白珪秦に逃れ、望諸中山の相たるや趙をして使いせしめしに、趙之を劫かして地を求め、望諸関を攻めて逃れ出で、外孫の難、薛公戴を釈きて関より逃れ出で、三晋称して以て士と為せり。故に大事を挙ぐるに、逃るるも以て辱と為すに足らざるなり」と。 卒に斉を趙に絶たしめ、趙燕に合して以て斉を攻め、之を敗る。

現代語訳

蘇秦は奉陽君のために燕を趙において説き、斉を討たせようとしたが、奉陽君は聞き入れなかった。そこで蘇秦は斉に入って趙の悪口を言い、斉に趙との国交を断たせた。斉が趙と断交すると、その勢いのまま燕に行き、昭王にこう告げた。 「韓珉が私にこう言いました。『ある人が奉陽君にこう告げたそうです。「斉に趙を信用させなくしたのは蘇子(蘇秦)だ。斉王が蜀子に宋討伐を思いとどまらせたのも蘇子だ。斉王と謀って秦の領地を奪い趙を図ろうとしたのも蘇子だ。斉に趙の人質を武装させて守らせているのも蘇子だ」と。どうかあなたから斉に問いただしてほしい。もし本当に趙の人質を武装で守っているなら、私も必ずあなたを武装で守ろう』と。この話は不穏なものです。しかし王よ、ご心配には及びません。私はもとより斉に入ることが趙との間に禍根を残すと承知の上でした。それでも実行したのは、望む結果を成し遂げるためです。私が死んで斉が大いに趙を憎むようになれば、私は生きているのと同じことです。斉と趙が断交すれば、大いにかき乱すことができるのです。私は張孟談ほどの器ではありませんが、もし私を張孟談のように用いていただければ、斉と趙はきっと智伯を滅ぼしたときのような関係になるでしょう。 奉陽君は朱讙と趙足にこう告げたそうです。『斉王は公王曰を使者に立てて必ず韓珉を復職させないと言い、いま召し戻した。必ず蘇子に政務を任せないと言い、いま封地を与えて宰相にした。燕とは同盟しないと言い、いま燕を最も重んじる相手にした。私が頼りにしていたのは順(人名)だったが、いまその言うことの変わりようは父親以上だ。順は初め蘇子と敵対していたのに、会ってみると害がないと知り、いまでは賢者として両属させている。もはやこれまでだ、私には斉がなくなった』と。 奉陽君の怒りは激しいものです。斉王が趙を信用しないのと同じように、奉陽君も私を小人とみなし、これを機に裏切るでしょう。今この時に大いにかき乱しておかなければ、いったん離れてもまた元通りに結びついてしまい、後で手の打ちようがなくなります。ですから、斉と趙の同盟が続けられるものであるなら、私が死のうと私の心配事にはなりません。逃げようと私の恥にはなりません。諸侯に取り立てられようと私の名誉にはなりません。髪を振り乱し漆で肌を塗って癩病人のふりをしようと私の屈辱にはなりません。しかし私には心配事があります。私が死んでも斉と趙が元通りになってしまえば、私との関係が険悪になったことを彼らが嫌って、後で仲直りしてしまう、これこそ私の心配事なのです。もし私が死んだ後で必ず斉と趙が攻め合うようになるなら、私は努めて死を選ぶことでしょう。堯・舜のような賢者も死に、禹・湯のような知者も死に、孟賁のような勇者も死に、烏獲のような力持ちも死ぬのです、生あるものに死なない者などいるでしょうか。必ずそうなると分かっている巡り合わせの中で望みを成し遂げられるなら、王は何を疑われるでしょうか。 私が思うに、逃げ去るに越したことはありません。私は韓・魏を斉に従わせ、そのために秦の領地を奪わせ、深く趙と結んで趙を強くします。こうすれば斉と趙は攻め合う関係に近づきます。私はこれによって燕に迷惑をかけるかもしれませんが、奉陽君は朱讙にこう告げるでしょう。『蘇子は燕王が自分のために計らわず、宰相の地位も卿の地位も与えないことに怒り、燕を見限りそうだ』と。奉陽君の疑いはここまで及ぶでしょうから、私はこれによって燕に迷惑をかけないとしても、王のために動いているとは思われたくありません。伊尹は二度湯王のもとを離れて桀王のもとに行き、二度桀王のもとを離れて湯王のもとに戻り、ついに鳴条の戦いに参加して湯王を天子にしました。伍子胥は楚を逃れて呉に行き、ついに伯挙の戦いに参加して父の仇を討ちました。いま私が逃げて斉と趙をかき乱せば、その功績は初めて歴史書に記されるでしょう。そもそも大事を成そうとする者で、逃げたことのない者がいるでしょうか。桓公の危難では管仲は魯に逃げ、陽虎の乱では孔子は衛に逃げ、張儀は楚に逃げ、白珪は秦に逃げ、望諸君(楽毅)が中山の宰相として趙に使いした際、趙に脅されて領地を求められると関を攻めて逃げ出し、外孫の乱では薛公は戴を捨てて関から逃げ出しましたが、三晋はこれらを立派な士人と称えました。ですから大事を成そうとするとき、逃げることは決して恥にはならないのです。」 こうして蘇秦はついに斉を趙から断交させ、趙は燕と結んで斉を攻め、これを打ち破った。

解説

本章は、蘇秦が斉と趙の関係を意図的に混乱させ、その言動の真意を燕の昭王に釈明する場面です。蘇秦はもともと奉陽君の依頼で燕を動かし斉を討たせようとしましたが失敗し、独断で斉に趙の悪口を吹き込み断交させました。奉陽君からは裏切りを疑われる立場に追い込まれますが、蘇秦は死や逃亡さえ恐れず「斉と趙の対立さえ続けば自分がどうなろうと構わない」と言い切り、管仲や孔子、伊尹らの故事を引いて「大事を成す者は身の保身より目的の達成を優先する」と正当化します。ここには、複雑な国際関係を操る遊説家の胆力と同時に、自らの行動を歴史的先例で権威づける弁論術の巧みさが表れています。権謀そのものを称賛するのではなく、目的のために自分の評判や安全すら賭ける覚悟の是非を、読者自身が吟味すべき箇所と言えるでしょう。現代の組織においても、短期的な誤解や孤立を恐れず長期的な成果を見据えて動く判断力は参考になりますが、その代償の大きさも忘れてはなりません。

この章句が説くこと

蘇秦合従連衡斉趙断交弁論術奉陽君

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