戦国策 / 蘇秦為趙王使於秦
蘇秦為趙王使於秦,反,三日不得見。謂趙王曰:「秦乃者過柱山,有兩木焉。一蓋呼侶,一蓋哭。問其故,對曰:『吾已大矣,年已長矣,吾苦夫匠人,且以繩墨案規矩刻鏤我。一蓋曰:『此非吾所苦也,是故吾事也。吾所苦夫鐵鉆然,自入而出夫人者。』今臣使於秦,而三日不見,無有謂臣為鐵鉆者乎?」
新字:蘇秦為趙王使於秦,反,三日不得見。謂趙王曰:「秦乃者過柱山,有両木焉。一蓋呼侶,一蓋哭。問其故,対曰:『吾已大矣,年已長矣,吾苦夫匠人,且以縄墨案規矩刻鏤我。一蓋曰:『此非吾所苦也,是故吾事也。吾所苦夫鉄鉆然,自入而出夫人者。』今臣使於秦,而三日不見,無有謂臣為鉄鉆者乎?」
書き下し
蘇秦趙王の爲に秦に使いし、反るに、三日見ゆるを得ず。趙王に謂いて曰く、「秦乃者柱山を過ぐるに、兩木有り。一つは蓋し侶を呼び、一つは蓋し哭す。其の故を問うに、對えて曰く、『吾已に大にして、年已に長ぜり、吾夫の匠人に苦しめられ、且に繩墨を以て規矩を案じて我を刻鏤せんとす。』一つ曰く、『此れ吾が苦しむ所に非ず、是れ故より吾が事なり。吾が苦しむ所は夫の鐵鉆の然きなり、自ら入りて夫の人を出だす者なり。』今臣秦に使いして、三日見えず、臣を謂いて鐵鉆と爲す者有る無からんや。」
現代語訳
蘇秦は趙王のために秦へ使者として赴いたが、帰国したのち、三日たっても王に謁見することができなかった。そこで蘇秦は趙王にこう語りかけた。「秦へ行く途中、たまたま柱山を通りかかりましたところ、二本の木がありました。一方は仲間を呼ぶかのようにざわめき、もう一方は泣くような音を立てていました。その理由を尋ねますと、一方が答えて言いました。『私はすでに大きく育ち、年月も経った。それなのに、あの木こりに苦しめられ、まもなく墨縄で寸法を測られ、規矩(コンパスと定規)をあてがわれて、彫り刻まれようとしている。』するともう一方が言いました。『それは私の苦しむところではない。それはもとより私の役目なのだ。私が苦しんでいるのは、あの鉄の鉆(のみ、または金床)のようなものだ。自分の身を差し出しながら、他人を世に送り出す役目を果たすものだからだ。』今、私は秦への使いを果たして帰ってきましたのに、三日たっても謁見が叶いません。まさか私のことを、あの鉄の鉆のように扱おうという者がいるのではありますまいか。」
解説
この章句が説くこと
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戦国策・蘇秦之楚三日蘇秦、楚に之き、三日にして乃ち王に見ゆるを得たり。談じ卒わりて、辞して行かんとす。楚王曰く、「寡人、先生を聞くこと、古人を聞くが若し。今、先生乃ち千里を遠しとせずして寡人に臨めるに、曽ち留まるを肯んぜず。願わくはその説を聞かん。」対えて曰く、「楚国の食は玉より貴く、薪は桂より貴く、謁者は見ゆるを得難きこと鬼の如く、王は見ゆるを得難きこと天帝の如し。今、臣をして玉を食い桂を炊かしめ、鬼に因りて帝に見えしむ。」王曰く、「先生舎に就け、寡人命を聞けり。」
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戦国策・蘇秦說李兌蘇秦李兌に說きて曰く、「雒陽乘軒車の蘇秦、家貧しく親老いたり、罷れたる車駑馬無く、桑輪蓬篋羸幐、書を負い橐を擔い、塵埃に觸れ、霜露を蒙り、漳・河を越え、足に繭を重ね、日に百くして舍り、外闕に造りて、前に見えんことを願い、口に天下の事を道わんとす。」李兌曰く、「先生鬼の言を以て我に見えば則ち可なり、若し人の事を以てせば、兌盡く之を知れり。」蘇秦對えて曰く、「臣固より鬼の言を以て君に見ゆ、人の言を以てするに非ざるなり。」李兌之に見ゆ。蘇秦曰く、「今日臣の來るや暮る、郭門に後れ、藉席得る所無く、人の田中に寄宿す、傍らに大叢有り。夜半、土梗木梗と鬬いて曰く、『汝我に如かず、我なる者は乃ち土なり。我をして疾風淋雨に逢わしめ、壞沮せば、乃ち復た土に歸せん。今汝木の根に非ずんば、則ち木の枝のみ。汝疾風淋雨に逢わば、漂いて漳・河に入り、東流して海に至り、汜濫して止まる所無からん。』臣竊かに以為らく土梗勝てりと。今君主父を殺して之を族す、君の天下に立つ、累卵より危うし。君臣が計を聽かば則ち生き、臣が計を聽かずんば則ち死せん。」李兌曰く、「先生舍に就け、明日復た來りて兌に見えよ。」蘇秦出づ。李兌の舍人李兌に謂いて曰く、「臣竊かに君と蘇公との談を觀るに、其の辯君に過ぎ、其の博君に過ぐ、君能く蘇公の計を聽くか。」李兌曰く、「能わず。」舍人曰く、「君即ち能わずんば、願わくは君兩耳を堅く塞ぎ、其の談を聽くこと無かれ。」明日復た見え、終日談じて去る。舍人出でて蘇君を送る、蘇秦舍人に謂いて曰く、「昨日我談ずること粗にして君動き、今日精にして君動かず、何ぞや。」舍人曰く、「先生の計大にして規高し、吾が君用うる能わざるなり。乃ち我君に兩耳を塞ぎ、談ずる者を聽くこと無からんことを請う。然りと雖も、先生明日復た來らば、吾請う先生を資くるに厚用を以てせん。」明日來り、掌を抵ちて談ず。李兌蘇秦に明月の珠、和氏の璧、黑貂の裘、黃金百鎰を送る。蘇秦得て以て用と爲し、西のかた秦に入る。
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史記 張儀列伝蘇秦已に趙王に説きて相ひ約して従親するを得。然れども秦の諸侯を攻めて約を敗り後に負けんことを恐れ、秦に使用す可き者莫きを念ひ、乃ち人をして微かに張儀を感ぜしめて曰く、「子始め蘇秦と善し、今秦已に路に当たる、子何ぞ往きて游び、以て子の願を通ずるを求めざる」と。張儀是に於いて趙に之き、謁を上りて蘇秦に見えんことを求む。蘇秦乃ち門下人を誡めて通ぜず、又去るを得ざらしむること数日。已にして之に見え、之を堂下に坐せしめ、僕妾の食を賜ひ、因りて数々之を讓む。謝して之を去らしむ。張儀怒り、諸侯の事ふ可き莫く、独り秦のみ能く趙を苦しむと念ひ、乃ち遂に秦に入る。蘇秦已にして其の舍人に告げて曰く、「張儀は天下の賢士なり、吾殆ど如かざるなり。今吾幸ひに先づ用ゐらる、而れども能く秦の柄を用ゐる者は独り張儀のみ。然れども貧にして進む因無し。吾其の小利を楽しみて遂げざるを恐る、故に召して之を辱め、以て其の意を激す。子我が為に陰かに之を奉ぜよ」と。張儀既に秦に相たり。舍人辞去し、実を以て儀に告ぐ。張儀曰く、「嗟乎、此れ吾が術中に在りて悟らず、吾蘇君に及ばざること明らかなり」と。
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戦国策・孟嘗君將入秦孟嘗君將に秦に入らんとす、止むる者千數なるも聽かず。蘇秦之を止めんと欲す、孟嘗曰く、「人事は、吾已に盡く之を知る。吾未だ聞かざる所の者は、獨り鬼事のみ。」蘇秦曰く、「臣の來るや、固より敢へて人事を言はず、固より且に鬼事を以て君に見えんとす。」孟嘗君之に見ゆ。孟嘗君に謂ひて曰く、「今者臣來たるに、淄上を過ぐるに、土偶人と桃梗と相與に語る有り。桃梗、土偶人に謂ひて曰く、『子は西岸の土なり、子を挺(こ)ねて以て人と爲す、歳八月に至り、雨降り下り、淄水至らば、則ち汝殘なはれん。』土偶曰く、『然らず。吾は西岸の土なり、土なれば則ち復た西岸に復せんのみ。今子は東國の桃梗なり、子を刻削して以て人と爲す、雨降り下り、淄水至らば、子を流して去らん、則ち子漂漂として將に何如とせん。』今秦は四塞の國、譬へば虎口のごとし、而して君之に入らば、則ち臣君の出づる所を知らず。」孟嘗君乃ち止む。
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史記 蘇秦列伝蘇秦既に六国を約して従親し、趙に帰る。趙の粛侯封じて武安君と為す。乃ち従約書を秦に投ず。秦兵敢て函谷関を闚はざること十五年。人に蘇秦を毀る者有りて曰く、「左右売国反覆の臣なり、将に乱を作さんとす」と。蘇秦、燕王に見えて曰く、「臣聞く、忠信なる者は自ら為にする所以なり、進取なる者は人の為にする所以なり、と。臣老母を東周に棄つるは、固より自ら為にするを去りて進取を行ふなり。孝なること曾参の如きは、義として其の親を離れて一宿も外にせず、王又安ぞ能く之をして千里を歩行して弱燕の危王に事へしめんや。臣所謂忠信を以て上に罪を得る者なり」と。燕王曰く、「若し忠信ならざるのみ、豈に忠信を以て罪を得る者有らんや」と。蘇秦曰く、「然らず。臣聞く、客に遠く吏と為りて其の妻人に私する者有り、妾薬酒を挙げて之を進むるに、詳りて僵れて酒を棄て、上は主父を存し下は主母を存す、然れども笞を免れず。悪くにか忠信の罪無きに在らんや。夫れ臣の過ちも、不幸にして是に類するか」と。燕王曰く、「先生故官に就け」と。益々厚く之を遇す。
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戦国策・秦一・蘇秦始將連橫蘇秦始めて連橫を將(も)って秦の惠王に說きて曰わく、「大王の國、西に巴・蜀・漢中の利有り、北に胡貉・代馬の用有り、南に巫山・黔中の限有り、東に肴・函の固有り。田肥美にして、民殷富、戰車萬乘、奮擊百萬、沃野千里、蓄積饒多、地勢形便なり、此れ所謂天府、天下の雄國なり。大王の賢、士民の眾、車騎の用、兵法の教を以て、以て諸侯を并せ、天下を吞み、帝と稱して治むべし。願わくは大王少しく留意せられ、臣請う其の效を奏せん。」秦王曰わく、「寡人之を聞く、毛羽豐滿ならざる者は以て高く飛ぶべからず、文章成らざる者は以て誅罰すべからず、道德厚からざる者は以て民を使うべからず、政教順ならざる者は以て大臣を煩わすべからずと。今先生儼然として千里を遠しとせずして庭に之を教う、願わくは異日を以てせん。」蘇秦曰わく、「臣固より大王の用うる能わざるを疑えり。昔者神農補遂を伐ち、黃帝涿鹿を伐ちて蚩尤を禽にし、堯驩兜を伐ち、舜三苗を伐ち、禹共工を伐ち、湯有夏を伐ち、文王崇を伐ち、武王紂を伐ち、齊桓戰に任じて天下に伯たり。此に由りて之を觀れば、惡んぞ戰わざる者有らんや。古者車轂擊馳し、言語相結び、天下一と爲る、從を約し橫を連ね、兵革藏さず、文士並び餝り、諸侯亂惑し、萬端俱に起こり、勝げて理むべからず、科條既に備わりて、民偽態多く、書策稠濁して、百姓足らず、上下相愁い、民聊む所無く、明言理を章らかにして、兵甲愈々起こり、辯言偉服にして、戰攻息まず、繁く文辭を稱して、天下治まらず、舌弊れ耳聾いて、成功を見ず、義を行い信を約すれど、天下親しまず。是に於いて、乃ち文を廢して武に任じ、死士を厚く養い、甲を綴り兵を厲まし、勝を戰場に效す。夫れ徒らに處りて利を致し、安んじて坐して地を廣むるは、古の五帝・三王・五伯、明主賢君と雖も、常に坐して之を致さんと欲するも、其の勢い能わず、故に戰を以て之に續ぐ。寬なれば則ち兩軍相攻め、迫れば則ち杖戟相橦(う)ち、然る後に大功を建つべし。是の故に兵は外に勝ち、義は內に強く、威は上に立ち、民は下に服す。今天下を并せ、萬乘を凌ぎ、敵國を詘し、海內を制し、元元を子とし、諸侯を臣とせんと欲せば、兵に非ざれば可ならず。今の嗣主、至道に忽にして、皆教に惛く、治に亂れ、言に迷い、語に或い、辯に沈み、辭に溺る。此を以て之を論ずれば、王固より行う能わざるなり。」秦王に說くこと書十たび上りて說行われず。黑貂の裘弊れ、黃金百斤盡き、資用乏絕して、秦を去りて歸る。縢を羸(や)せしめ蹻を履き、書を負い橐を擔い、形容枯槁し、面目犂黑にして、歸る色有り。家に歸り至るに、妻紝より下らず、嫂炊を為さず、父母與に言わず。蘇秦喟然として歎じて曰わく、「妻我を以て夫と為さず、嫂我を以て叔と為さず、父母我を以て子と為さず、是れ皆秦の罪なり。」乃ち夜書を發き、篋數十を陳べ、太公陰符の謀を得て、伏して之を誦し、簡練して以て揣摩を為す。書を讀みて睡らんと欲すれば、錐を引きて自ら其の股を刺し、血流れて足に至る。曰わく、「安んぞ人主に說きて其の金玉錦繡を出さしめず、卿相の尊を取る者有らんや。」期年にして揣摩成り、曰わく、「此れ真に以て當世の君に說くべし。」是に於いて乃ち燕烏集の闕を摩し、趙王に華屋の下に見えて說き、掌を抵ちて談ず。趙王大いに悅び、封じて武安君と為す。相印を受け、革車百乘、綿繡千純、白壁百雙、黃金萬溢、以て其の後に隨い、從を約し橫を散じ、以て強秦を抑う。故に蘇秦趙に相たりて關通ぜず。此の時に當たりて、天下の大、萬民の眾、王侯の威、謀臣の權、皆蘇秦の策に決せんと欲す。斗糧を費やさず、未だ一兵を煩わさず、未だ一士を戰わさず、未だ一絃を絕たず、未だ一矢を折らずして、諸侯相親しむこと、兄弟より賢れり。夫れ賢人在りて天下服し、一人用いられて天下從う。故に曰わく、政に式(もち)いて勇に式いず、廊廟の內に式いて四境の外に式いずと。秦の隆んなるに當たりて、黃金萬溢用を為し、轂を轉じ騎を連ね、道に炫熿し、山東の國、風に從いて服し、趙をして大いに重からしむ。且つ夫れ蘇秦特だ窮巷掘門、桑戶棬樞の士のみ。軾に伏し銜を撙(おさ)え、天下を橫歷し、諸侯の王に廷說し、左右の口を杜(ふさ)ぎ、天下之に伉うる能わず。將に楚王に說かんとし、路洛陽を過ぐ。父母之を聞き、宮を清め道を除き、樂を張り飲を設け、郊迎すること三十里。妻側目して視、耳を傾けて聽く、嫂蛇行匍伏し、四拜して自ら跪きて謝す。蘇秦曰わく、「嫂、何ぞ前には倨りて後には卑きや。」嫂曰わく、「季子の位尊くして金多きを以てなり。」蘇秦曰わく、「嗟乎、貧窮なれば則ち父母も子とせず、富貴なれば則ち親戚も畏懼す。人世上に生まるるや、勢位富貴、蓋し忽にすべけんや。」