戦国策 / 或謂黃齊
或謂黃齊曰:「人皆以謂公不善於富摯。公不聞老萊子之教孔子事君乎?示之其齒之堅也,六十而盡相靡也。今富摯能,而公重不相善也,是兩盡也。諺曰:『見君之乘,下之;見杖,起之。』今也,王愛富摯,而公不善也,是不臣也。」
新字:或謂黄斉曰:「人皆以謂公不善於富摯。公不聞老萊子之教孔子事君乎?示之其齒之堅也,六十而尽相靡也。今富摯能,而公重不相善也,是両尽也。諺曰:『見君之乗,下之;見杖,起之。』今也,王愛富摯,而公不善也,是不臣也。」
書き下し
或るひと、黄斉に謂いて曰く、「人皆以て公富摯に善からずと謂う。公聞かずや、老萊子の孔子に君に事うるを教えしを。之に其の歯の堅きを示すや、六十にして尽く相靡くなり。今、富摯能あり、而るに公重ねて相善からず、是れ両つながら尽きん。諺に曰く、『君の乗を見れば、之に下り、杖を見れば、之に起つ』と。今や、王富摯を愛す、而るに公善からざるは、是れ臣たらざるなり。」
現代語訳
ある人が黄斉に言った。「人々は皆、あなたが富摯と仲が良くないと言っています。あなたは老萊子が孔子に君主への仕え方を教えた故事を聞いたことがありませんか。老萊子は自分の堅い歯を(若く強いことの象徴として)孔子に示しましたが、六十歳になれば(その堅い歯も抜け落ち)すべて他に従うようになるものです(強さもいずれ折れて柔軟に従うことを説いた喩え)。今、富摯には能力があるのに、あなたが重ねて彼と不仲であり続ければ、両者ともに(評判や力を)使い果たしてしまうでしょう。諺にも『君主の乗り物を見れば車から降りて礼をし、君主の杖を見れば立ち上がって敬意を示す』と言います。今、王は富摯を寵愛しておられるのに、あなたが彼と仲良くしないのは、これは(王に対する)臣下としての道に外れることになります。」
解説
黄斉が、有能な富摯と不仲であることを周囲から指摘される話です。説得者は老萊子が孔子に語った「堅い歯もやがて折れ、柔らかい舌が最後まで残る」という故事(剛は久しからず、柔よく剛を制すの喩え)を引き、意固地に対立を続ければ両者共倒れになると警告します。さらに、君主が寵愛する者への礼を欠くことは、間接的に君主への不敬にあたるという諺を添え、私的な感情の対立が公的な立場での失点につながりかねないことを説いています。個人の好悪と組織内での処世上の礼儀とを分けて考える必要性は、現代の職場における人間関係にも通じる教訓です。有能な同僚との不和を放置することの代償の大きさを、当時の説得術らしい比喩を交えて示した一話です。
この章句が説くこと
黄斉富摯老萊子処世君臣関係
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