戦国策 / 周文君免士工師籍
周文君免士工師藉,相呂倉,國人不說也。君有閔閔之心。謂周文君曰:「國必有誹譽,忠臣令誹在己,譽在上。宋君奪民時以為臺,而民非之,無忠臣以掩蓋之也。子罕釋相為司空,民非子罕而善其君。齊桓公宮中七市,女閭七百,國人非之。管仲故為三歸之家,以掩桓公,非自傷於民也?春秋記臣弒君者以百數,皆大臣見譽者也。故大臣得譽,非國家之美也。故眾庶成彊,增積成山。」周君遂不免。
新字:周文君免士工師藉,相呂倉,国人不説也。君有閔閔之心。謂周文君曰:「国必有誹誉,忠臣令誹在己,誉在上。宋君奪民時以為台,而民非之,無忠臣以掩蓋之也。子罕釈相為司空,民非子罕而善其君。斉桓公宮中七市,女閭七百,国人非之。管仲故為三帰之家,以掩桓公,非自傷於民也?春秋記臣弒君者以百数,皆大臣見誉者也。故大臣得誉,非国家之美也。故衆庶成彊,增積成山。」周君遂不免。
書き下し
周の文君士工師藉を免じ、呂倉を相とす、国人説ばず。君閔閔の心有り。周文君に謂ひて曰く、「国必ず誹譽有り、忠臣誹を己に令め、譽を上に在らしむ。宋君民の時を奪ひて以て臺を為り、民これを非とす、忠臣以て掩蓋する無ければなり。子罕相を釋きて司空と為り、民子罕を非として其の君を善しとす。齊桓公宮中七市、女閭七百、国人これを非とす。管仲故に三帰の家を為り、以て桓公を掩ふ、自ら民に傷つけらるるに非ずや。春秋君を弒する臣を記す者百数、皆大臣譽を見はさるる者なり。故に大臣譽を得るは、国家の美に非ざるなり。故に衆庶彊を成し、増積山を成す」と。周君遂に免ぜず。
現代語訳
周の文君は士の工師藉を罷免し、呂倉を宰相としたが、国人はこれを喜ばなかった。文君は気に病む様子であった。ある者が文君に説いた。「国には必ず非難と称賛があるものです。忠臣は非難を自分の身に引き受け、称賛を主君に帰します。宋の君主は民の農繁期を奪って高台を造らせ、民はこれを非難しましたが、忠臣がそれを覆い隠すことをしなかったからです。子罕は宰相の位を退いて司空となり、民は子罕を非難しつつも、その君主のことは良く言いました。齊の桓公は宮中に七つの市場、七百の遊女屋を設け、国人はこれを非難しましたが、管仲はわざわざ三帰の邸宅を建てて、自分に非難を集め桓公の悪評を覆い隠しました。これは自ら進んで民の批判の的になったのではないでしょうか。春秋には主君を弑した臣が百人と記されていますが、それらは皆、大臣として称賛を独り占めしていた者たちです。ですから大臣が称賛を得ることは、国家にとって美事ではないのです。こうして民衆が結束すれば強さとなり、積み重なれば山となるのです」。周君はこうして工師藉の罷免を撤回しなかった。
解説

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孔子家語・致思子路孔子に問いて曰わく、「管仲の人と為り何如。」 子曰わく、「仁なり。」 子路曰わく、「昔管仲襄公に説くも、公受けず、是れ辯ならざるなり。公子糾を立てんと欲するも能わず、是れ智ならざるなり。家斉に残わるるも、憂色無し、是れ慈ならざるなり。桎梏せられて檻車に居るも、慚づる心無し、是れ醜無きなり。射る所の君に事う、是れ貞ならざるなり。召忽之に死し、管仲死せず、是れ忠ならざるなり。仁人の道、固より是くの若きか。」 孔子曰わく、「管仲襄公に説くも、襄公受けざるは、公の闇きなり。子糾を立てんと欲するも能わざるは、時に遇わざるなり。家斉に残わるるも憂色無きは、是れ権命を知ればなり。桎梏せられて慚づる心無きは、自ら裁くこと審らかなればなり。射る所の君に事うるは、変に通ずればなり。子糾に死せざるは、軽重を量ればなり。夫れ子糾未だ君と成らず、管仲未だ臣と成らず。管仲は義を才度し、管仲束縛に死せずして功名を立つるは、未だ非とす可からざるなり。召忽死すと雖も、過ちて仁を取る、未だ多しとするに足らざるなり。」
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