戦国策 / 齊人見田駢
齊人見田駢,曰:「聞先生高議,設為不宦,而願為役。」田駢曰:「子何聞之?」對曰:「臣聞之鄰人之女。」田駢曰:「何謂也?」對曰:「臣鄰人之女,設為不嫁,行年三十而有七子,不嫁則不嫁,然嫁過畢矣。今先生設為不宦,訾養千鍾,徒百人,不宦則然矣,而富過畢也」。田子辭。
新字:斉人見田駢,曰:「聞先生高議,設為不宦,而願為役。」田駢曰:「子何聞之?」対曰:「臣聞之鄰人之女。」田駢曰:「何謂也?」対曰:「臣鄰人之女,設為不嫁,行年三十而有七子,不嫁則不嫁,然嫁過畢矣。今先生設為不宦,訾養千鍾,徒百人,不宦則然矣,而富過畢也」。田子辞。
書き下し
齊人田駢に見えて曰く、「先生の高議を聞くに、不宦を設爲して、役爲らんことを願ふ。」田駢曰く、「子何を以て之を聞けるか。」對へて曰く、「臣之を鄰人の女に聞けり。」田駢曰く、「何の謂ひぞや。」對へて曰く、「臣の鄰人の女、不嫁を設爲するも、行年三十にして七子有り、嫁がざれば則ち嫁がざるも、然れども嫁を過ぐること畢はれり。今先生不宦を設爲するも、千鍾を訾養し、徒百人あり、宦せざれば則ち然り、而して富は畢はるに過ぎたり。」田子辭す。
現代語訳
斉のある人が田駢に会って言った。「先生の高潔な主張を聞くところによりますと、仕官しないことを標榜しつつ、実は仕える身になることを願っておられるとか。」田駢は「あなたはどこでそのようなことを聞いたのか」と尋ねた。その人は答えた。「私は隣家の娘からその話を聞きました。」田駢が「どういうことか」と尋ねると、その人は言った。「私の隣家の娘は、嫁がないことを標榜していましたが、三十歳になる頃には七人の子を産んでいました。嫁いでいないと言えば確かに嫁いではいませんが、実際には嫁ぐ以上のことをしていたのです。今、先生は仕官しないと標榜しておられますが、千鍾もの俸禄に相当する財を蓄え、従者百人を抱えておられます。仕官していないと言えば確かにそうかもしれませんが、実際には仕官する以上の富を得ておられるのです。」田駢はこれに対して弁明することができなかった。
解説
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