戦国策 / 秦二・陘山之事
陘山之事,趙且與秦伐齊。齊懼,令田章以陽武合於趙,而以順子為質。趙王喜,乃案兵告於秦曰:「齊以陽武賜弊邑而納順子,欲以解伐。敢告下吏。」秦王使公子他之趙,謂趙王曰:「齊與大國救魏而倍約,不可信恃,大國不義,以告弊邑,而賜之二社之地,以奉祭祀。今又案兵,且欲合齊而受其地,非使臣之所知也。請益甲四萬,大國裁之。」蘇代為齊獻書穰侯曰:「臣聞往來之者言曰:『秦且益趙甲四萬人以伐齊。』臣竊必之弊邑之王曰:『秦王明而熟於計,穰侯智而習於事,必不益趙甲四萬人以伐齊。』是何也?夫三晉相結,秦之深讎也。三晉百背秦,百欺秦,不為不信,不為無行。今破齊以肥趙,趙,秦之深讎,不利於秦。一也。秦之謀者必曰:『破齊弊晉,而後制晉、楚之勝。』夫齊,罷國也,以天下擊之,譬猶以千鈞之弩潰癰也。秦王安能制晉、楚哉!二也。秦少出兵,則晉、楚不信;多出兵,則晉、楚為制於秦。齊恐,則必不走於秦且走晉、楚。三也。齊割地以實晉、楚,則晉、楚安。齊舉兵而為之頓劍,則秦反受兵。四也。是晉、楚以秦破齊,以齊破秦,何晉、楚之智而齊、秦之愚!五也。秦得安邑,善齊以安之,亦必無患矣。秦有安邑,則韓、魏必無上黨哉。夫取三晉之腸胃與出兵而懼其不反也,孰利?故臣竊必之弊邑之王曰:『秦王明而熟於計,穰侯智而習於事,必不益趙甲四萬人以伐齊矣。』」
新字:陘山之事,趙且与秦伐斉。斉懼,令田章以陽武合於趙,而以順子為質。趙王喜,乃案兵告於秦曰:「斉以陽武賜弊邑而納順子,欲以解伐。敢告下吏。」秦王使公子他之趙,謂趙王曰:「斉与大国救魏而倍約,不可信恃,大国不義,以告弊邑,而賜之二社之地,以奉祭祀。今又案兵,且欲合斉而受其地,非使臣之所知也。請益甲四万,大国裁之。」蘇代為斉献書穰侯曰:「臣聞往来之者言曰:『秦且益趙甲四万人以伐斉。』臣窃必之弊邑之王曰:『秦王明而熟於計,穰侯智而習於事,必不益趙甲四万人以伐斉。』是何也?夫三晋相結,秦之深讎也。三晋百背秦,百欺秦,不為不信,不為無行。今破斉以肥趙,趙,秦之深讎,不利於秦。一也。秦之謀者必曰:『破斉弊晋,而後制晋、楚之勝。』夫斉,罷国也,以天下撃之,譬猶以千鈞之弩潰癰也。秦王安能制晋、楚哉!二也。秦少出兵,則晋、楚不信;多出兵,則晋、楚為制於秦。斉恐,則必不走於秦且走晋、楚。三也。斉割地以実晋、楚,則晋、楚安。斉舉兵而為之頓剣,則秦反受兵。四也。是晋、楚以秦破斉,以斉破秦,何晋、楚之智而斉、秦之愚!五也。秦得安邑,善斉以安之,亦必無患矣。秦有安邑,則韓、魏必無上党哉。夫取三晋之腸胃与出兵而懼其不反也,孰利?故臣窃必之弊邑之王曰:『秦王明而熟於計,穰侯智而習於事,必不益趙甲四万人以伐斉矣。』」
書き下し
陘山の事、趙且に秦と齊を伐たんとす。齊懼れ、田章をして陽武を以て趙に合せしめ、順子を以て質と為さしむ。趙王喜び、乃ち兵を案じて秦に告げて曰わく、「齊陽武を以て弊邑に賜いて順子を納れ、以て伐を解かんと欲す。敢えて下吏に告ぐ。」秦王公子他をして趙に之かしめ、趙王に謂いて曰わく、「齊大國と魏を救いて約に倍けり、信恃すべからず。大國不義なるを以て、弊邑に告げ、之に二社の地を賜いて、以て祭祀を奉ぜしむ。今又兵を案じ、且つ齊に合して其の地を受けんと欲す、使臣の知る所に非ざるなり。請う甲四萬を益さん、大國之を裁せよ。」蘇代齊の為に書を穰侯に獻じて曰わく、「臣往來する者の言うを聞くに曰わく、『秦且に趙の甲四萬人を益して以て齊を伐たんとす』と。臣竊かに之を弊邑の王に必して曰わく、『秦王明にして計に熟し、穰侯智にして事に習う、必ず趙の甲四萬人を益して以て齊を伐たざらん』と。是れ何ぞや。夫れ三晉相結ぶは、秦の深讎なり。三晉百たび秦に背き、百たび秦を欺くも、不信と為さず、無行と為さず。今齊を破りて趙を肥やせば、趙は、秦の深讎なり、秦に利あらず。一なり。秦の謀者必ず曰わん、『齊を破り晉を弊れしめて、而る後に晉・楚の勝を制せん』と。夫れ齊は、罷れたる國なり、天下を以て之を擊つは、譬えば千鈞の弩を以て癰を潰すがごとし。秦王安んぞ能く晉・楚を制せんや。二なり。秦兵を出だすこと少なければ、則ち晉・楚信ぜず。多く出だせば、則ち晉・楚秦に制せらる。齊恐れなば、則ち必ず秦に走らずして且つ晉・楚に走らん。三なり。齊地を割きて以て晉・楚を實たせば、則ち晉・楚安んず。齊兵を舉げて之が為に劍を頓せば、則ち秦反りて兵を受けん。四なり。是れ晉・楚秦を以て齊を破り、齊を以て秦を破らしむるなり、何ぞ晉・楚の智にして齊・秦の愚なるや。五なり。秦安邑を得て、齊を善くして以て之を安んずれば、亦た必ず患い無からん。秦安邑有れば、則ち韓・魏必ず上黨無からんや。夫れ三晉の腸胃を取ると、兵を出だして其の反らざるを懼るると、孰れか利あらん。故に臣竊かに之を弊邑の王に必して曰わく、『秦王明にして計に熟し、穰侯智にして事に習う、必ず趙の甲四萬人を益して以て齊を伐たざらん』と。」
現代語訳
陘山の一件で、趙は秦とともに斉を討とうとしていた。斉はこれを恐れ、田章に命じて陽武の地を趙に差し出させて連携させ、順子を人質として趙に送らせた。趙王は喜び、そこで軍を控えさせて秦に告げて言った。「斉は陽武の地をわが国に与え、順子を人質として差し出し、それによって討伐をやめさせようとしております。あえて貴国の役人にご報告申し上げます。」秦王は公子他を趙に遣わし、趙王に言った。「斉はかつて大国(趙)とともに魏を救いながら盟約に背いたことがあり、信頼するに値しません。大国が不義を働いたことをわが国に告げ、二社分の土地を大国に与えて祭祀を続けさせたのです。ところが今、あなたの国は軍を控えさせ、しかも斉と結んでその土地を受け取ろうとしている。これはわが使者として理解しかねることです。どうかさらに甲冑の兵四万を増派させていただきたい。大国はよくお考えください。」蘇代は斉のために穣侯へ書状を献じて言った。「私が行き来する人々の話を聞くに、こう言われております。『秦はまもなく趙の甲冑の兵四万人を増派して斉を討たせようとしている』と。私はひそかに、わが国(斉)の王にこう申し上げております。『秦王は聡明で計略に熟達しており、穣侯は知略に富み実務に通じておられる。だから必ず趙の兵四万人を増派して斉を討つようなことはなさらないだろう』と。それはなぜか。そもそも三晋(韓・魏・趙)が互いに結びつくことは、秦にとって深い脅威です。三晋は百度も秦に背き、百度も秦を欺いてきましたが、それでも彼らは信義に欠けるとも、不品行だとも見なされておりません。今、斉を打ち破って趙を肥え太らせれば、その趙こそ秦にとっての深い仇敵となり、秦にとって不利益となります。これが一つ目の理由です。秦の謀臣たちは必ずこう言うでしょう、『斉を打ち破り晋(韓魏趙)を疲弊させ、その後で晋・楚のどちらが勝つかを制御しよう』と。しかし斉はすでに疲弊しきった国であり、天下の力を挙げてこれを討つのは、たとえば千鈞もの強弩をもってできものを潰すようなもので、労力に見合いません。秦王がどうして晋・楚を制御できましょうか。これが二つ目の理由です。秦が出す兵が少なければ、晋・楚は秦を信用しません。多く出せば、晋・楚は秦に制御されることを恐れます。斉が恐怖すれば、必ず秦に頼ろうとはせず、かえって晋・楚に頼ろうとするでしょう。これが三つ目の理由です。斉が領地を割いて晋・楚に与えれば、晋・楚は安泰になります。斉が兵を挙げて剣を鈍らせるほど戦えば、かえって秦がその矛先を受けることになります。これが四つ目の理由です。これでは晋・楚が秦を利用して斉を打ち破らせ、その後で斉を利用して秦を打ち破らせるようなものであり、どうして晋・楚だけが賢く、斉と秦だけが愚かであってよいでしょうか。これが五つ目の理由です。秦が安邑を手に入れ、斉と友好を結んでこれを安定させれば、それだけで必ず憂いはなくなるはずです。秦が安邑を領有すれば、韓・魏は必ず上党を保てなくなるのではありませんか。三晋の中枢である腹の部分を手に入れることと、兵を出しながらそれが無駄になることを恐れることと、どちらが利益になるでしょうか。だから私はひそかに、わが国の王にこう申し上げているのです。『秦王は聡明で計略に熟達しており、穣侯は知略に富み実務に通じておられる。だから必ず趙の兵四万人を増派して斉を討つようなことはなさらないだろう』と。」
解説

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戦国策・趙收天下且以伐齊趙天下を收め、且に以て齊を伐たんとす。蘇秦齊の爲に書を上りて趙王に說きて曰く、「臣聞く、古の賢君は、德行海內に施すに非ざるなり、教順慈愛、萬民に布くに非ざるなり、祭祀時享、鬼神に當たるに非ざるなり。甘露降り、風雨時に至り、農夫登り、年穀豐盈すれば、眾人之を喜べども、賢主は之を惡む。今足下の功力、數ば秦國に痛く加うるに非ずして、怨毒惡を積むこと、曾て韓を深く凌ぐに非ざるなり。臣竊かに外に大臣及び下吏の議を聞くに、皆言う、主前に專ら據りて、秦を以て趙を愛して韓を憎むと爲すと。臣竊かに事を以て之を觀るに、秦豈に趙を愛して韓を憎むを得んや。韓を亡ぼして兩周の地を吞まんと欲す、故に韓を以て餌と爲し、先ず聲を天下に出だし、鄰國の聞きて之を觀んことを欲するなり。其の事の成らざるを恐る、故に兵を出だして以て趙・魏に佯示す。天下の驚覺せんことを恐る、故に韓を微にして以て之を貳にす。天下の己を疑わんことを恐る、故に質を出だして以て信と爲す。德を與國に聲し、而して實は空しき韓を伐つ。臣竊かに其の之を圖るを觀るに、秦を議して謀計を以てせば、必ず是に出でん。「且つ夫れ說士の計、皆曰わく、韓三川を亡い、魏晉國を滅ぼす、韓を恃みて未だ窮せざるに、禍趙に及ぶと。且つ物固より勢異にして患同じき者有り、又勢同じくして患異なる者有り。昔者、楚人久しく伐ちて中山亡べり。今燕韓の河南を盡くし、沙丘に距り、鉅鹿の界に至ること三百里、扞關に距り、榆中に至ること千五百里。秦韓・魏の上黨を盡くさば、則ち地の國都邦屬と壤挈する者七百里。秦三軍强弩を以て羊唐の上に坐せば、即ち地邯鄲を去ること二十里。且つ秦三軍を以て王の上黨を攻めて其の北を危うくせば、則ち句注の西、王の有に非ず。今魯句注常山を禁して守り、三百里燕の唐・曲吾に通ず、此れ代馬胡駒東せず、崑山の玉出でざるなり。此の三寶なる者、又王の有に非ず。今彊秦國の齊を伐つに從わば、臣恐らくは其の禍是に出でん。昔者、五國の王、嘗て合橫して趙を伐たんことを謀り、趙國の壤地を參分して、之を盤盂に著し、之を讎柞に屬す。五國の兵日有り、韓乃ち西師して以て秦國を禁じ、秦をして令を發し素服して聽かしめ、溫・枳・高平を魏に反し、三公・什清を趙に反す、王の明知を以てなり。夫れ韓の趙に事うる宜しく正に上交と爲すべし、今乃ち罪に抵れて伐たるるを取る、臣恐らくは其の後王に事うる者の敢えて自ら必とせざらんことを。今王天下を收むれば、必ず王を以て得たりと爲す。韓社稷を危うくして以て王に事うれば、天下必ず王を重んず。然らば則ち韓王を義として天下を以て之に就き、下は韓の王を慕いて天下を以て之を收むるに至る、是れ一世の命、王に制せらるるのみ。臣願わくは大王深く左右群臣と卒計して重謀し、事に先んじて慮を成して熟ら之を圖らんことを。」
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戦国策・秦召燕王秦、燕王を召す。燕王往かんと欲す。蘇代、燕王に約して曰く、「楚、枳を得て国亡び、斉、宋を得て国亡ぶ。斉・楚、枳・宋を有つを以て秦に事えざる者は、何ぞや。是れ則ち功有る者は、秦の深讎なり。秦の天下を取るは、義を行うに非ざるなり、暴なり。 秦の暴を天下に行うや、正しく楚に告げて曰く、『蜀地の甲、軽舟にて汶に浮かび、夏水に乗じて江を下れば、五日にして郢に至らん。漢中の甲、舟に乗じて巴より出で、夏水に乗じて漢を下れば、四日にして五渚に至らん。寡人甲を宛に積み、東のかた隨に下れば、知者も謀るに及ばず、勇者も怒るに及ばず、寡人の隼を射るが如し。王乃ち天下の函谷を攻むるを待たば、亦た遠からずや』と。楚王是が為の故に、十七年秦に事う。 秦正しく韓に告げて曰く、『我少曲より起ちて、一日にして太行を断つ。我宜陽より起ちて平陽に触るれば、二日にして繇わざる莫し。我両周を離れて鄭に触るれば、五日にして国挙がらん』と。韓氏以て然りと為し、故に秦に事う。 秦正しく魏に告げて曰く、『我安邑を挙げ、女戟を塞げば、韓氏・太原巻かる。我枳を下し、南陽・封・冀に道すれば、両周を包み、夏水に乗じ、軽舟に浮かべ、強弩前に在り、銛戈後に在り、榮口を決すれば、魏に大梁無く、白馬の口を決すれば、魏に済陽無く、宿胥の口を決すれば、魏に虚・頓丘無し。陸攻すれば則ち河内を撃ち、水攻すれば則ち大梁を滅ぼさん』と。魏氏以て然りと為し、故に秦に事う。 秦安邑を攻めんと欲し、斉の之を救わんことを恐れ、則ち宋を以て斉に委ねて曰く、『宋王無道にして、木人を為りて以て寡人に写し、其の面を射しむ。寡人地絶ち兵遠くして、攻むる能わざるなり。王苟くも能く宋を破りて之を有たば、寡人自ら之を得たるが如し』と。已に安邑を得て女戟を塞ぐや、因りて宋を破るを以て斉の罪と為す。 秦斉を攻めんと欲し、天下の之を救わんことを恐れ、則ち斉を以て天下に委ねて曰く、『斉王四たび寡人と約して、四たび寡人を欺けり。必ず天下を率いて寡人を攻むる者三たびなり。斉有りて秦無く、斉無くして秦有らば、必ず之を伐ち、必ず之を亡ぼさん』と。已に宜陽・少曲を得て、藺・石を致すや、因りて斉を破るを以て天下の罪と為す。 秦魏を攻めんと欲し、楚を重んずれば、則ち南陽を以て楚に委ねて曰く、『寡人固より韓と且に絶えんとす。均陵を残ない、鄳隘を塞げば、苟くも楚に利あらば、寡人自ら之を有つが如し』と。魏与国を棄てて秦に合すれば、因りて鄳隘を塞ぐを以て楚の罪と為す。 兵林中に困しみ、燕・趙を重んずれば、膠東を以て燕に委ね、済西を以て趙に委ぬ。趙魏に講を得て、公子延に至り、因りて犀首行を属して趙を攻む。兵離石に傷つき、馬陵に敗を遇い、而して魏を重んずれば、則ち葉・蔡を以て魏に委ぬ。已に趙に講を得れば、則ち魏を劫かし、魏割かず。困しめば則ち太后・穰侯をして和せしめ、羸うれば則ち舅と母とを兼ねて欺く。燕に適く者は曰く、『膠東を以てす』と。趙に適く者は曰く、『済西を以てす』と。魏に適く者は曰く、『葉・蔡を以てす』と。楚に適く者は曰く、『鄳隘を塞ぐを以てす』と。斉に適く者は曰く、『宋を以てす』と。此れ必ず其の言をして循環の如くならしめ、兵を用うること蜚繡を刺すが如く、母も制する能わず、舅も約する能わず。龍賈の戦、岸門の戦、封陸の戦、高商の戦、趙荘の戦、秦の殺す所の三晋の民数百万。今其の生くる者、皆秦の孤に死せし者なり。西河の外、上雒の地、三川は、晋国の禍にして、三晋の半ばなり。秦の禍此くの如く其れ大なるに、燕・趙の秦する者、皆秦に事うるを争うを以て其の主に説く、此れ臣の大いに患うる所なり」と。 燕昭王行かず、蘇代復た燕に重んぜらる。燕反りて諸侯に約して従親せしむること、蘇秦の時の如く、或いは従い或いは従わざれども、天下是に由りて蘇氏の従約を宗とす。代・厲皆寿を以て死し、名諸侯に顕る。