斉家論 / 上
子西は政を糺す賢大夫なり、楚は一國の君なれば、昭侯と稱べきを王號を僭し、昭王と稱へさす、是を以他によき事あれど、孔子彼をや彼をやと、子西が事は論ずるに不足とのたまふ、世上に、名に奢り有ことをしらざるもの多し、都て分に過るは皆奢り也、何ほど奢りかざるとも、農人は農人、町人は町人にて、等の踰らるゝものにあらず、夫をしらざるは愚痴なり、鸚鵡能言ども、飛鳥を離れず、猩々能言ども、禽獸をはなれず、可恐可愼、
新字:子西は政を糺す賢大夫なり、楚は一国の君なれば、昭侯と称べきを王号を僭し、昭王と称へさす、是を以他によき事あれど、孔子彼をや彼をやと、子西が事は論ずるに不足とのたまふ、世上に、名に奢り有ことをしらざるもの多し、都て分に過るは皆奢り也、何ほど奢りかざるとも、農人は農人、町人は町人にて、等の踰らるゝものにあらず、夫をしらざるは愚痴なり、鸚鵡能言ども、飛鳥を離れず、猩々能言ども、禽獣をはなれず、可恐可慎、
書き下し
子西は政を糺す賢大夫なり。楚は一国の君なれば、昭侯と称ふべきを王号を僭し、昭王と称へさす。是を以て他によき事あれど、孔子彼をや彼をやと、子西が事は論ずるに足らずとのたまふ。世上に、名に奢り有ることをしらざるもの多し。都て分に過ぐるは皆奢り也。何ほど奢りかざるとも、農人は農人、町人は町人にて、等の踰えらるるものにあらず。夫をしらざるは愚痴なり。鸚鵡能く言へども、飛鳥を離れず。猩々能く言へども、禽獣をはなれず。恐るべし慎むべし。
現代語訳
子西は政治を正した賢い大夫でした。楚は一国の君主なのだから昭侯と称すべきところを、王号を僭称して昭王と呼ばせました。そのため、ほかに良いことがあっても、孔子は「あの人か、あの人か」と、子西のことは論じるに足りないとおっしゃったのです。世の中には、名に奢りがあることを知らない者が多い。およそ分を過ぎるものはみな奢りです。どれほど奢って飾っても、農民は農民、町人は町人であって、身分の等級を越えられるものではありません。それを知らないのは愚痴です。鸚鵡はよく言葉を話しても鳥であることを離れず、猩々はよく言葉を話しても獣であることを離れない。恐れ慎むべきことです。
解説
この章句が説くこと
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