呂氏春秋 / 務大④
鄭君問於被瞻曰:「聞先生之義,不死君,不亡君,信有之乎?」被瞻對曰:「有之。夫言不聽,道不行,則固不事君也。若言聽道行,又何死亡哉?」故被瞻之不死亡也,賢乎其死亡者也。
新字:鄭君問於被瞻曰:「聞先生之義,不死君,不亡君,信有之乎?」被瞻対曰:「有之。夫言不聴,道不行,則固不事君也。若言聴道行,又何死亡哉?」故被瞻之不死亡也,賢乎其死亡者也。
書き下し
鄭君、被瞻に問いて曰く、「聞く、先生の義は、君に死せず、君に亡せず、と。信に之れ有るか。」被瞻對えて曰く、「之れ有り。夫れ言聽かれず、道行われざれば、則ち固より君に事えざるなり。若し言聽かれ道行わるれば、又何ぞ死亡せんや。」故に被瞻の死亡せざるや、其の死亡する者に賢れり。
現代語訳
鄭の君主が被瞻(ひせん)に尋ねた。『あなたの信条は、君主のために死なず、君主とともに亡命もしない、と聞くが、本当にそうか』。被瞻は答えた。『そのとおりです。そもそも進言が聞き入れられず道が行われないなら、初めからその君主には仕えません。もし進言が聞かれ道が行われるなら、どうして(君主が滅んで)死んだり亡命したりすることがありましょうか』。だから被瞻が死にも亡命もしないのは、いたずらに死んだり亡命したりする者よりも賢明なのである。
解説
被瞻の問答を通じて、君主のために無駄に殉じたり亡命したりするより、そもそも道が行われる主君にのみ仕えるという見識が説かれます。進言が用いられ道が実現するなら国が滅ぶはずもなく、用いられないなら初めから仕えないのだから、犬死には無用だというのです。戦国期には主君への忠死が美徳とされる一方、本書は仕えるに値するかを見極める臣下の主体性を重んじました。忠義を形式的な殉死に還元せず、道の実現という本質から評価するこの態度は、盲目的な忠誠と自律的な判断の違いを鋭く問います。何のために働くのかを自らに問う姿勢は、現代の職業倫理にも通じます。
この章句が説くこと
被瞻鄭君忠義諫言道臣下の主体性
関連する章句
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説苑・正諫易に曰わく、「王臣蹇蹇たるは、躬の故に匪ず」と。人臣の蹇蹇として難しと為す所以にして、其の君を諫むる者は身の為に非ざるなり、将に以て君の過を匡し、君の失を矯めんと欲すればなり。君に過失有るは、危亡の萌なり。君の過失を見て諫めざるは、是れ君の危亡を軽んずるなり。夫れ君の危亡を軽んずる者は、忠臣の忍びて為さざる所なり。三たび諫めて用いられざれば則ち去り、去らざれば則ち身亡ぶ。身亡ぶは、仁人の為さざる所なり。是の故に諫に五有り。一に曰わく正諫、二に曰わく降諫、三に曰わく忠諫、四に曰わく戇諫、五に曰わく諷諫。孔子曰わく、「吾は其れ諷諫に従わんか」と。夫れ諫めざれば則ち君を危うくし、固く諫むれば則ち身を危うくす。其の君を危うくせんよりは、寧ろ身を危うくせよ。身を危うくして終に用いられざれば、則ち諫も亦た功無し。智者は君を度り時を権り、其の緩急を調えて其の宜しきに処る。上は敢えて君を危うくせず、下は以て身を危うくせず、故に国に在りて国危うからず、身に在りて身殆うからず。昔陳の霊公は泄冶の諫を聴かずして之を殺し、曹羈は三たび曹君を諫めて聴かれずして去る。春秋の義を序するに賢を倶にすと雖も、曹羈は礼に合えり。
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葉隠・聞書第二将監(しょうげん)常々申し候は、「諫(かん)と言う詞(ことば)、早や私(わたくし)なり。諫はなきものなり」と申し候。また一度も理詰(りづ)めにて申し上げたる事なし。御序(おついで)に潜(ひそ)かに申し上げ候由。前々(まえまえ)数馬(かずま)も終(つい)に御用と申して罷(まか)り出で、御意見申し上げたる事なし。外に存じたる者これなく候故、御誤(おんあやまり)終に知れ申さず候。理詰めにて申し上ぐるは、皆我が忠節だて、主君の悪名を顕し申すに付き、大不忠なり。御請けなされざる時は、いよいよ御悪名になり、申し上げざるには劣るにて候。御請けなされざる時は、力及ばざる儀と存じ果て、いよいよ隠密致し、色々工夫を以て又申し上げ、又御請けなされず御悪事これある時、いよいよ御味方仕り、何卒(なにとぞ)世上に知れ申さざる様に仕るべき事なりと。
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葉隠・聞書第二事によりては、主君の仰付(おおせつ)けをも、諸人の愛想(あいそ)をも尽(つ)かして、だだを踏廻(ふみまわ)りて打破(うちやぶ)つのけねばならぬ事あり。畢竟(ひっきょう)は、御為一偏(おんためいっぺん)の心入(こころい)れさえ出来(しゅったい)すれば、紛(まぎ)れぬものなり。何某(なにがし)、御前様附(ごぜんさまづき)にて御死去の時、上(かみ)より差留(さしと)めらるると申し候て、髪を剃り申されず、表より相附(あいつ)けられ候人さえ剃髪(ていはつ)仕り、無興(ぶきょう)に候故、附役(つけやく)共剃り申し候。斯様(かよう)の時などは、御意(ぎょい)にても差図(さしず)にても聞入(ききい)れず、上にも、御家老衆も御存じあるまじく候、八並武蔵(やつなみむさし)覚悟仕り候。上の御外聞(ごがいぶん)にて候えば、承引(しょういん)仕らずと申し切る筈(はず)となり。
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貞観政要・忠義貞観五年、太宗侍臣に謂いて曰く、「忠臣烈士、何の代か之れ無からん。公等、隋朝の誰か忠貞たるを知るか」と。王珪曰く、「臣聞く、太常丞元善達、京に在りて留守す。群賊の縦横するを見て、遂に騎を転じて遠く江都に詣り、煬帝を諫め、京師に還らしめんとす。既に其の言を受けず。後に更に涕泣して極諫す。煬帝怒りて、乃ち遠く使わして兵を追わしむ。身は瘴癘の地に死す。虎賁郎中独孤盛有り。江都に在りて宿衛す。宇文化及逆を起こす。盛は惟だ一身のみ。抗拒して死す」と。太宗曰く、「屈突通は隋の将と為り、国家と潼関に戦う。京城の陥るを聞き、乃ち兵を引きて東に走る。義兵、桃林に追及す。朕は其の家人を遣わして往きて招慰せしむ。遽かに其の奴を殺す。又た其の子を遣わして往かしむ。乃ち云う、『我は隋家の駆使を蒙り、已に両帝に事う。今は吾が死節の秋なり。汝は旧は我が家に於て父子と為るも、今は則ち我が家に於て仇讎と為る』と。因りて之を射る。其の子避け走る。領する所の士卒多く潰散す。通は惟だ一身のみ。東南に向かいて慟哭し哀を尽くす。曰く、『臣は国恩を荷(にな)い、任は将帥に当たる。智力倶に尽き、此の敗亡を致す。臣が誠を国に竭くさざるに非ず』と。言尽きて、追兵之を擒(とら)う。太上皇其の官を授くるも、毎に疾に託して固辞す。此の忠節、嘉尚するに足るべし」と。因りて所司に敕し、大業中の直諫して誅せられし者の子孫を采訪し、聞奏せしむ。
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