呂氏春秋 / 序意②
趙襄子游於囿中,至於梁,馬卻不肯進,青荓為參乘,襄子曰:“進視梁下,類有人。”青荓進視梁下。豫讓卻寢,佯為死人,叱青荓曰:“去!長者吾且有事。”青荓曰:“少而與子友,子且為大事,而我言之,是失相與友之道。子將賊吾君,而我不言之,是失為人臣之道。如我者惟死為可。”乃退而自殺。青荓非樂死也,重失人臣之節,惡廢交友之道也。青荓、豫讓可謂之友也。
新字:趙襄子游於囿中,至於梁,馬卻不肯進,青荓為参乗,襄子曰:“進視梁下,類有人。”青荓進視梁下。予譲卻寝,佯為死人,叱青荓曰:“去!長者吾且有事。”青荓曰:“少而与子友,子且為大事,而我言之,是失相与友之道。子将賊吾君,而我不言之,是失為人臣之道。如我者惟死為可。”乃退而自殺。青荓非楽死也,重失人臣之節,悪廃交友之道也。青荓、予譲可謂之友也。
書き下し
趙襄子、囿中に游び、梁に至る。馬卻きて肯て進まず。青荓、參乘為り。襄子曰く、「進んで梁下を視よ。人有るに類たり。」青荓進みて梁下を視る。豫讓卻ぎて寢ね、佯りて死人と為り、青荓を叱して曰く、「去れ。長者、吾且に事有らんとす。」青荓曰く、「少にして子と友たり。子且に大事を為さんとす、而るに我之を言えば、是れ相與に友の道を失うなり。子將に吾が君を賊せんとす、而るに我之を言わずんば、是れ人臣為るの道を失うなり。我が如き者は惟だ死のみ可なりと為す。」乃ち退きて自殺す。青荓、死を樂しむに非ざるなり。人臣の節を失うことを重んじ、交友の道を廢することを惡めばなり。青荓と豫讓とは、之を友なりと謂う可きなり。
現代語訳
趙襄子が庭園(囿)に遊び、橋(梁)にさしかかった。馬がしり込みして進もうとしない。青荓(せいけい)が参乗(同乗の護衛)であった。襄子は言った、「進んで橋の下を見よ。人がいるようだ」。青荓は進んで橋の下を見た。豫譲が仰向けに寝て死人のふりをしており、青荓を叱って言った、「去れ。ご老人、私はこれから事を起こそうとしているのだ」。青荓は言った、「私は幼い頃からあなたと友であった。あなたはこれから大事を為そうとしている。それを私が主君に告げれば、友としての道を失うことになる。だが、あなたは私の主君を害そうとしている。それを私が告げなければ、人臣としての道を失うことになる。私のような者は、ただ死ぬことだけが道だ」。そう言って退いて自殺した。青荓は死を望んだのではない。人臣の節を失うことを重く見、また友の道を捨てることを憎んだからである。青荓と豫譲とは、まことの友と呼んでよいであろう。
解説
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