呂氏春秋 / 務大①
嘗試觀於上志,三王之佐,其名無不榮者,其實無不安者,功大故也。俗主之佐,其欲名實也與三王之佐同,其名無不辱者,其實無不危者,無功故也。皆患其身不貴於其國也,而不患其主之不貴於天下也,此所以欲榮而逾辱也,欲安而逾危也。
新字:嘗試観於上志,三王之佐,其名無不栄者,其実無不安者,功大故也。俗主之佐,其欲名実也与三王之佐同,其名無不辱者,其実無不危者,無功故也。皆患其身不貴於其国也,而不患其主之不貴於天下也,此所以欲栄而逾辱也,欲安而逾危也。
書き下し
嘗試みに上志を觀るに、三王の佐、其の名榮ならざる者無く、其の實安らかざる者無きは、功大なるが故なり。俗主の佐、其の名實を欲すること、三王の佐と同じきも、其の名、辱められざる者無く、其の實、危うからざる者無きは、功無きが故なり。皆其の身の其の國に貴からざるを患えて、其の主の天下に貴からざるを患えず。此れ榮を欲して逾々辱められ、安きを欲して逾々危き所以なり。
現代語訳
試みに古い記録(上志)をひもといてみると、夏・殷・周三代の王を補佐した者は、その名声が栄えぬ者はなく、その身が安泰でなかった者もない。これは功績が大きかったからである。俗な君主の補佐役も、名声と実利を求める点では三王の補佐役と同じだが、その名は辱められぬ者がなく、その身は危うくならぬ者がない。これは功績がなかったからである。彼らはみな、自分の身が国内で尊ばれないことを心配するばかりで、自分の主君が天下に尊ばれないことを心配しない。これこそ栄達を望んでかえって辱められ、安泰を望んでかえって危うくなる原因なのである。
解説
この篇は務大(大に務む)と題し、臣下たる者は目先の自分の地位ではなく、大きな功業をこそ追い求めよと説きます。三代の名補佐役が栄え安泰だったのは功績が大きかったからで、俗物の補佐役が辱められ危ういのは功がないからだ、と対比します。呂氏春秋は君臣一体の政治観に立ち、臣下の栄達は主君と国家の隆盛と切り離せないと考えました。自分の出世ばかり気にして主君を天下に高めることを忘れる者は、望みと反対の結果を招くと戒めます。個人の利益よりも組織全体への貢献を優先せよというこの発想は、現代の仕事観や組織人の在り方にも通じる教訓といえます。
この章句が説くこと
務大三王の佐功業君臣栄辱公
関連する章句
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呂氏春秋・務本①嘗試に上古の記を觀るに、三王の佐、其の名榮ならざる者無く、其の實安からざる者無きは、功大なればなり。詩に云う、「晻たる有りて淒淒たり、雲を興すこと祁祁たり、我が公田に雨ふり、遂に我が私に及ぶ。」三王の佐は、皆能く公を以て其の私に及ぶ。俗主の佐は、其の名實を欲すること、三王の佐と同じくして、其の名辱められざる者無く、其の實危うからざる者無きは、公無きが故なり。皆其の身の國に貴からざるを患えて、其の主の天下に貴からざるを患えざるなり。皆其の家の富まざるを患えて、其の國の大ならざるを患えず。此れ榮を欲して愈々辱められ、安きを欲して益々危き所以なり。安危榮辱の本は主に在り、主の本は宗廟に在り、宗廟の本は民に在り、民の治亂は有司に在り。易に曰く、「復ること道に自る、何ぞ其れ咎あらん、吉なり。」以て本異なること無ければ則ち動きて卒に喜び有るを言うなり。今官に處れば則ち荒亂し、財に臨めば則ち得るを貪ぼり、近きに列すれば則ち諫を持し、衆を將いれば則ち罷怯なり。此を以て厚く主に望むは、豈に難からずや。
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呂氏春秋・務大⑤昔者、舜は海外を服せんと欲して成らざるに、既に以て帝と成るに足れり。禹は帝たらんと欲して成らざるに、既に以て海內に王たるに足れり。湯・武は禹を繼がんと欲して成らざるに、既に以て通達に王たるに足れり。五伯は湯・武を繼がんと欲して成らざるに、既に以て諸侯の長為るに足れり。孔・墨は大道を世に行わんと欲して成らざるに、既に以て顯榮を成すに足れり。夫れ大義の成らざるは、既に成ること有るのみ。故に務めは大を事とせよ。
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呂氏春秋・務本②今此に人有り、修身會計すれば則ち恥づ可く、財物資盡に臨めば、則ち己の為にす。此くの若くにして富む者は、盜に非ざれば則ち取る所無し。故に榮富は自ら至るに非ざるなり。功伐に縁るなり。今功伐甚だ薄くして望む所厚きは、誣なり。功伐無くして榮富を求むるは、詐なり。詐誣の道は、君子由いず。人の議に多く曰く、「上、我を用うれば、則ち國必らず患無からん。」己を用うる者未だ必らずしも是ならざれば、其の身自ら賢とするに若くは莫し。而し己猶ほ患い有らば、己を國に用うるに、惡くんぞ患い無きを得んや。己は制する所なり。其の制する所を釋てて、其の制せざる所に奪わるるは誖れり。未だ國を治め官を治むるを得ざるも可なり。若し夫れ內は親に事え、外は友に交わるは、必ず得可きなり。苟しくも親に事えて未だ孝ならず、友に交わりて未だ篤からざれば、是れ未だ得ざる所のもの、惡くんぞ能く之を善くせん。故に人を論ずるには、其の未だ得ざる所を以てすること無くして、其の已に得る所を用てすれば、以て其の未だ得ざる所を知る可し。
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呂氏春秋・諭大①昔、舜は古今を旗めんと欲して成らざるに、既に以て帝と成るに足れり。禹は帝たらんと欲して成らざるに、既に以て殊俗を正すに足れり。湯は禹を繼がんと欲して成らざるに、既に以て四荒を服するに足れり。武王は湯に及ばんと欲して成らざるに、既に以て王道たるに足れり。五伯は三王を繼がんと欲して成らざるに、既に以て諸侯の長為るに足れり。孔丘・墨翟は大道を世に行わんと欲して成らざるに、既に以て顯名を成すに足れり。夫れ大義の成らざるに、既に成ること有り。夏書に曰く、「天子の德廣運にして、乃ち神、乃ち武乃ち文。」故に務は事に在り、事は大に在り。
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呂氏春秋・務本③古の君に事えし者は、必ず先づ能に服して然る後任ず。必ず情に反りて然る後受く。主過與すと雖も、臣徒らには取らず。大雅に曰く、「上帝汝に臨めり、爾の心を貮にする無かれ。」以て忠臣の行いを言うなり。解は鄭君の被瞻の義を問い、薄疑の衛の嗣君に應うるに税を重くする無きを以てするに在り。此の二士は、皆本を知るに近し。
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呂氏春秋・務大③薄疑、衛の嗣君に説くに王術を以てす。嗣君之に應えて曰く、「有つ所の者は千乘なり。願わくは以て教えを受けん。」薄疑對えて曰く、「烏獲は千鈞を舉ぐ。又況んや一斤をや。」杜赫、天下を安んずるを以て周の昭文君に説く。昭文君、杜赫に謂いて曰く、「願わくは周を安んずる所以を學ばん。」杜赫對えて曰く、「臣の言う所の者可ならざれば、則ち周を安んずること能わず。臣の言う所の者可なれば、則ち周自ら安からん。」此れ所謂安んぜざるを以て安んずる者なり。