呂氏春秋 / 務大③
薄疑說衛嗣君以王術。嗣君應之曰:「所有者千乘也,願以受教。」薄疑對曰:「烏獲舉千鈞,又況一斤?」杜赫以安天下說周昭文君。昭文君謂杜赫曰:「願學所以安周。」杜赫對曰:「臣之所言者不可,則不能安周矣;臣之所言者可,則周自安矣。」此所謂以弗安而安者也。
新字:薄疑説衛嗣君以王術。嗣君応之曰:「所有者千乗也,願以受教。」薄疑対曰:「烏獲舉千鈞,又況一斤?」杜赫以安天下説周昭文君。昭文君謂杜赫曰:「願学所以安周。」杜赫対曰:「臣之所言者不可,則不能安周矣;臣之所言者可,則周自安矣。」此所謂以弗安而安者也。
書き下し
薄疑、衛の嗣君に説くに王術を以てす。嗣君之に應えて曰く、「有つ所の者は千乘なり。願わくは以て教えを受けん。」薄疑對えて曰く、「烏獲は千鈞を舉ぐ。又況んや一斤をや。」杜赫、天下を安んずるを以て周の昭文君に説く。昭文君、杜赫に謂いて曰く、「願わくは周を安んずる所以を學ばん。」杜赫對えて曰く、「臣の言う所の者可ならざれば、則ち周を安んずること能わず。臣の言う所の者可なれば、則ち周自ら安からん。」此れ所謂安んぜざるを以て安んずる者なり。
現代語訳
薄疑(はくぎ)が衛の嗣君に王者の道(王術)を説いた。嗣君は『私が持つのはわずか千乗の小国です。それに応じた教えをいただきたい』と答えた。薄疑は『力士の烏獲は千鈞もの重さを持ち上げます。まして一斤ごとき軽いものなどたやすいことです』と答えた(王術を身につければ小国を治めるくらい容易だ、の意)。杜赫(とかく)は天下を安んじる道を周の昭文君に説いた。昭文君は『周を安んじる方法を学びたい』と言った。杜赫は『私の申すことが用いられなければ周を安んじることはできませんが、私の申すことが用いられれば周はおのずと安泰になります』と答えた。これがいわゆる、あえて安んじようとしないことによって安んじる、ということである。
解説
薄疑と杜赫という遊説家の応答を通して、大きな根本の道を修めれば小さな事はおのずと治まる、という務大の主張が具体的に示されます。大力士が千鈞を持ち上げれば一斤など苦もないように、王者の道を身につければ小国を治めるのは容易だというのです。また杜赫は、根本の道理が用いられれば国はひとりでに安んじると説き、小手先で安んじようとあがくのではない在り方を、不安を以て安んずと表現します。呂氏春秋は根本を大切にする発想を貫きました。枝葉の対処に追われず本質を押さえよという教えは、経営や政策で目的と手段を見失いがちな現代にも通じる知恵です。
この章句が説くこと
薄疑杜赫王術烏獲昭文君根本
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