呂氏春秋 / 士容④
唐尚敵年為史,其故人謂唐尚願之,以謂唐尚。唐尚曰:「吾非不得為史也,羞而不為也。」其故人不信也。及魏圍邯鄲,唐尚說惠王而解之圍,以與伯陽,其故人乃信其羞為史也。居有間,其故人為其兄請。唐尚曰:「衛君死,吾將汝兄以代之。」其故人反興再拜而信之。夫可信而不信,不可信而信,此愚者之患也。知人情,不能自遺,以此為君,雖有天下何益?故敗莫大於愚。愚之患,在必自用。自用則戇陋之人從而賀之。有國若此,不若無有。古之與賢,從此生矣。非惡其子孫也,非徼而矜其名也,反其實也。
新字:唐尚敵年為史,其故人謂唐尚願之,以謂唐尚。唐尚曰:「吾非不得為史也,羞而不為也。」其故人不信也。及魏囲邯鄲,唐尚説恵王而解之囲,以与伯陽,其故人乃信其羞為史也。居有間,其故人為其兄請。唐尚曰:「衛君死,吾将汝兄以代之。」其故人反興再拝而信之。夫可信而不信,不可信而信,此愚者之患也。知人情,不能自遺,以此為君,雖有天下何益?故敗莫大於愚。愚之患,在必自用。自用則戇陋之人従而賀之。有国若此,不若無有。古之与賢,従此生矣。非悪其子孫也,非徼而矜其名也,反其実也。
書き下し
唐尚の敵年、史と為る。其の故人、唐尚も之を願えりと謂い、以て唐尚に謂う。唐尚曰く、「吾、史と為るを得ざるに非ざるなり。羞ぢて為らざるなり。」其の故人信ぜず。魏、邯鄲を圍むに及び、唐尚、惠王に説きて之が圍いを解かしめ、以て伯陽を與えらる。其の故人乃ち其の史と為るを羞じしことを信ぜり。居ること間有りて、其の故人、其の兄の為に請う。唐尚曰く、「衛君死せば、吾將に汝の兄をして以て之に代えしめんとす。」其の故人反り興ち再拜して之を信ぜり。夫れ信ず可くして信ぜず、信ず可からずして信ず。此れ愚者の患なり。人の情知りて、自ら遺つること能わず。此を以て君と為らば、天下を有つと雖も何ぞ益せん。故に敗は愚なるより大なるは莫し。愚の患いは、必ず自ら用うるに在り。自ら用うれば、則ち戇陋の人從いて之に賀す。國を有つこと此の若くなれば、有つこと無きに若かず。古の賢に與うは、此れ從り生ず。其の子孫を惡むに非ざるなり。徼めて其の名を矜るに非ざるなり。其の實に反ればなり。
現代語訳
唐尚(とうしょう)と同年輩の者が史官になった。唐尚の旧友は、唐尚も史官になりたがっていると思ってそう言った。唐尚は『私は史官になれなかったのではない。恥じてならなかったのだ』と言ったが、旧友は信じなかった。やがて魏が(趙の都)邯鄲を包囲したとき、唐尚は魏の恵王に説いてその包囲を解かせ、その功で伯陽の地を与えられた。旧友はそこでようやく、唐尚が史官になるのを恥じたという話を信じた。しばらくして旧友が自分の兄のために仕官を頼むと、唐尚は『衛の君主が死んだら、あなたの兄をその後任にしよう』と言った。旧友は改めて立ち上がり再拝してこれを信じた。そもそも信じてよいことを信じず、信じてはならないことを信じる、これが愚か者の弊害である。人の心情を見抜きながら自分のそれは捨てられない。こんな者が君主となれば、天下を持っても何の益があろう。ゆえに失敗のうち愚かさより大きいものはない。愚かさの弊害は必ず独りよがりにある。独断すれば、愚かでつまらぬ者が付き従って祝いにやって来る。国をこのように保つくらいなら、持たないほうがましだ。古人が位を賢者に譲ったのは、こうした道理から生まれた。子孫を憎むのでも、名声を求めて誇るのでもなく、ただ真実(道理)に立ち返るからである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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史記 五帝本紀堯曰く、「鯀は命に負き族を毀る、不可なり」と。嶽曰く、「异なるかな、試みて用ゐる可からずんば已まんのみ」と。堯是に於て嶽に聴きて鯀を用ゐる。九載にして、功用成らず。堯曰く、「嗟、四嶽、朕位に在ること七十載、汝能く命を庸ゐ、朕が位を践まんか」と。嶽応へて曰く、「鄙徳にして帝位を忝くせん」と。堯曰く、「悉く貴戚及び疏遠隠匿なる者を挙げよ」と。衆皆堯に言ひて曰く、「矜なる有りて民間に在り、虞舜と曰ふ」と。堯曰く、「然り、朕之を聞けり。其れ何如」と。嶽曰く、「盲者の子なり。父は頑、母は嚚、弟は傲なるも、能く和するに孝を以てし、烝烝として治め、姦に至らしめず」と。堯曰く、「吾其れ試みんかな」と。是に於て堯之に二女を妻はせ、其の徳を二女に観る。舜二女を嬀汭に飭め下し、婦の礼の如くせしむ。
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史記 魯仲連鄒陽列伝是を以て聖王は覚寤し、子之の心を捐て、而して田常の賢を説ばざる能ふ。比干の後を封じ、孕婦の墓を修む。故に功業復た天下に就る。何となれば、善を欲して厭く無ければなり。夫れ晋の文公は其の讎を親しみて、諸侯に彊霸たり。斉の桓公は其の仇を用ひて、天下を一匡す。何となれば、慈仁慇懃、誠に心に加はり、虚辞を以て借るべからざればなり。夫の秦の商鞅の法を用ひて、東は韓・魏を弱め、兵天下に彊きも、而して卒に之を車裂にし、越の大夫種の謀を用ひて、勁き呉を禽にし、中国に霸たるも、而して卒に其の身を誅するに至る。是を以て孫叔敖は三たび相を去りて悔いず、於陵子仲は三公を辞して人の為に園に灌ぐ。今、人主誠に能く驕傲の心を去り、報ゆべきの意を懐き、心腹を披き、情素を見し、肝胆を堕し、徳を施すこと厚く、終に之と窮達を与にし、士を愛しむこと無くんば、則ち桀の狗も堯に吠えしむべく、蹠の客も由を刺さしむべし。況んや万乗の権に因り、聖王の資を仮るをや。然らば則ち荊軻の七族を湛め、要離の妻子を焼く、豈に道ふに足らんや。
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孔子家語・五帝德宰我曰わく、「請う帝堯を問う。」孔子曰わく、「高辛氏の子にして、陶唐と曰う。其の仁は天の如く、其の智は神の如し。之に就けば日の如く、之を望めば雲の如し。富みて驕らず、貴くして能く降る。伯夷礼を典どり、夔龍楽を典どる。舜時にして仕え、四時を趨視し、元民の之を始むるに務む。四凶を流して天下服し、其の言忒わず、其の徳回らず。四海の内、舟輿の及ぶ所、夷説せざる莫し。」
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尚書・堯典帝曰く、「咨(ああ)、四岳。湯湯(しやうしやう)たる洪水方(まさ)に割(そこな)ひ、蕩蕩として山を懐(つつ)み陵に襄(のぼ)り、浩浩として天に滔(はびこ)る。下民其れ咨(なげ)く。能く乂(をさ)めしむる有らんか」と。僉(みな)曰く、「於(ああ)、鯀(こん)なるかな」と。帝曰く、「吁(ああ)、咈(もと)れるかな。命に方(さか)らひ族を圮(やぶ)る」と。岳曰く、「异(や)めんかな。試みて可なれば乃ち已(や)まん」と。帝曰く、「往け、欽(つつし)まんかな」と。九載、績用(もつ)て成らず。帝曰く、「咨、四岳。朕位に在ること七十載。汝能く命を庸(もち)ゐる、朕が位を巽(ゆづ)らん」と。岳曰く、「否徳、帝位を忝(はづかし)めん」と。曰く、「明明を明らかにし、側陋を揚げよ」と。師錫(あた)へて帝に曰く、「鰥(やもを)の下に在る有り、虞舜と曰ふ」と。帝曰く、「俞(しか)り、予聞けり。如何」と。岳曰く、「瞽(こ)の子なり。父は頑(かたくな)に、母は嚚(おろか)に、象は傲(おご)る。克く諧(やはら)ぐるに孝を以てし、烝烝(じようじよう)として乂(をさ)め、姦に格(いた)らしめず」と。帝曰く、「我其れ試みんかな」と。時(これ)に女(めあは)せ、厥(そ)の刑(のり)を二女に観る。二女を嬀汭(きぜい)に釐降(りかう)し、虞に嬪(よめ)せしむ。帝曰く、「欽まんかな」と。
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史記 燕召公世家湣公三十一年にして卒し、釐公立つ。是の歳、三晋列して諸侯と為る。釐公の三十年、伐ちて斉を林営に敗る。釐公卒し、桓公立つ。桓公十一年にして卒し、文公立つ。是の歳、秦の献公卒す。秦益々彊し。文公の十九年、斉の威王卒す。二十八年、蘇秦始めて来たり見え、文公に説く。文公車馬金帛を予へて以て趙に至らしむ。趙の粛侯之を用ふ。因りて六国を約し、従長と為る。秦の恵王其の女を以て燕の太子の婦と為す。二十九年、文公卒し、太子立つ。是を易王と為す。易王初めて立つや、斉の宣王燕の喪に因りて我を伐ち、十城を取る。蘇秦斉に説き、復た燕に十城を帰さしむ。十年、燕君王と為る。蘇秦燕の文公の夫人と私通し、誅せられんことを懼れ、乃ち王に説きて斉に使ひして反間を為し、以て斉を乱さんと欲す。易王立ちて十二年にして卒し、子の燕噲(かい)立つ。燕噲既に立ち、斉人蘇秦を殺す。蘇秦の燕に在るや、其の相子之と婚を為し、而して蘇代子之と交はる。蘇秦死するに及びて、斉の宣王復た蘇代を用ふ。燕噲の三年、楚・三晋と秦を攻め、勝たずして還る。子之燕に相として、貴重にして断を主る。蘇代斉の為に燕に使ひす。燕王問ひて曰く、「斉王は奚如(いかん)」と。対へて曰く、「必ず覇たらず」と。燕王曰く、「何ぞや」と。対へて曰く、「其の臣を信ぜず」と。蘇代以て燕王を激して以て子之を尊ばしめんと欲するなり。是に於て燕王大いに子之を信ず。子之因りて蘇代に百金を遺り、而して其の使ふ所を聴く。鹿毛寿燕王に謂ふ、「国を以て相の子之に譲るに如かず。人の堯を賢と謂ふ者は、其の天下を許由に譲るを以てなり。許由受けず。天下を譲るの名有りて、実は天下を失はず。今王国を以て子之に譲らば、子之必ず敢て受けず。是れ王堯と行を同じくするなり」と。燕王因りて国を子之に属す。子之大いに重し。
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史記 燕召公世家或ひと曰く、「禹、益を薦め、已にして啓の人を以て吏と為す。老ゆるに及びて、啓の人を以て天下を任ずるに足らずと為し、之を益に伝ふ。已にして啓交党と益を攻めて之を奪ふ。天下謂ふ、禹名は天下を益に伝へ、已にして実は啓をして自ら之を取らしむと。今王国を子之に属すと言ふも、吏は太子の人に非ざる者無し。是れ名は子之に属して、実は太子事を用ふるなり」と。王因りて印を三百石の吏より已上収めて之を子之に效(いた)す。子之南面して王事を行ひ、噲は老いて政を聴かず、顧って臣と為り、国事皆子之に決す。三年、国大いに乱れ、百姓恫恐す。将軍市被、太子平と謀り、将に子之を攻めんとす。諸将斉の湣王に謂ひて曰く、「因りて之に赴かば、燕を破ること必せり」と。斉王因りて人をして燕の太子平に謂はしめて曰く、「寡人聞く、太子の義、将に私を廃して公を立て、君臣の義を飭(ととの)へ、父子の位を明らかにせんとすと。寡人の国小にして、以て先後を為すに足らず。然りと雖も、則ち唯だ太子の之に令する所のままならん」と。太子因りて党を要し衆を聚め、将軍市被公宮を囲み、子之を攻むるも克たず。将軍市被及び百姓反って太子平を攻め、将軍市被死して、以て徇ふ。因りて難を搆ふること数月、死する者数万、衆人恫恐し、百姓志を離る。孟軻斉王に謂ひて曰く、「今燕を伐つは、此れ文・武の時なり、失ふべからず」と。王因りて章子をして五都の兵を将ゐ、以て北地の衆に因りて以て燕を伐たしむ。士卒戦はず、城門閉ぢず、燕君噲死し、斉大いに勝つ。燕の子之亡びて二年、燕人共に太子平を立つ。是を燕の昭王と為す。燕の昭王燕を破らるるの後に於て即位し、身を卑くし幣を厚くして以て賢者を招く。

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