呂氏春秋 / 自知①
欲知平直,則必準繩;欲知方圓,則必規矩;人主欲自知,則必直士。故天子立輔弼,設師保,所以舉過也。夫人故不能自知,人主猶其。存亡安危,勿求於外,務在自知。
新字:欲知平直,則必準縄;欲知方円,則必規矩;人主欲自知,則必直士。故天子立輔弼,設師保,所以舉過也。夫人故不能自知,人主猶其。存亡安危,勿求於外,務在自知。
書き下し
平直を知らんと欲すれば、則ち準繩を必とし、方圓を知らんと欲すれば、則ち規矩を必とす。人主自ら知らんと欲すれば、則ち直士を必とす。故に天子、輔弼を立て、師保を設くるは、過ちを舉ぐる所以なり。夫れ人は故より自ら知ること能わず。人主獨り甚だし。存亡安危、外に求むること勿かれ。務めは自ら知るに在り。
現代語訳
水平と真っ直ぐを知ろうとするなら水盛りと墨縄が要り、四角と円を知ろうとするならさしがねとコンパスが要る。君主が自らを知ろうとするなら、直言する臣下が要る。だから天子が補佐役を立て、師保を設けるのは、過ちを指摘させるためである。そもそも人は本来自分を知ることができない。君主は特にそれが甚だしい。国の存亡安危は、外に原因を求めてはならない。肝心なのは自らを知ることにある。
解説
この段は、水平や方円を測るのに道具が要るように、君主が自分を知るには直言する臣下が不可欠だと説きます。天子が補佐役や師保を置くのは過ちを指摘させるためであり、人は本来自分を知れず、権力者ほどその傾向が強いと指摘します。背景には、諫言を受け入れる制度を統治の要とする思想があります。存亡の原因を外に求めず自己認識に努めよという結びが核心です。現代でも、地位が上がるほど耳に痛い意見は届きにくくなります。あえて直言する人を近くに置き、失敗の原因を外部でなく自らに省みる姿勢こそが、判断を誤らせない鍵だと教えてくれます。
この章句が説くこと
自知直士諫言輔弼師保自己認識
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