呂氏春秋 / 贊能③
孫叔敖、沈尹莖相與友。叔敖遊於郢三年,聲問不知,修行不聞。沈尹莖謂孫叔敖曰:「說義以聽,方術信行,能令人主上至於王,下至於霸,我不若子也。耦世接俗,說義調均,以適主心,子不若我也。子何以不歸耕乎?吾將為子游。」沈尹莖遊於郢五年,荊王欲以為令尹,沈尹莖辭曰:「期思之鄙人有孫叔敖者,聖人也。王必用之,臣不若也。」荊王於是使人以王輿迎叔敖以為令尹,十二年而莊王霸,此沈尹莖之力也。功無大乎進賢。
新字:孫叔敖、沈尹茎相与友。叔敖遊於郢三年,声問不知,修行不聞。沈尹茎謂孫叔敖曰:「説義以聴,方術信行,能令人主上至於王,下至於覇,我不若子也。耦世接俗,説義調均,以適主心,子不若我也。子何以不帰耕乎?吾将為子游。」沈尹茎遊於郢五年,荊王欲以為令尹,沈尹茎辞曰:「期思之鄙人有孫叔敖者,聖人也。王必用之,臣不若也。」荊王於是使人以王輿迎叔敖以為令尹,十二年而荘王覇,此沈尹茎之力也。功無大乎進賢。
書き下し
孫叔敖・沈尹莖相與に友たり。叔敖、郢に遊ぶこと三年、聲問知られず、修行聞こえず。沈尹莖、孫叔敖に謂いて曰く、「義を說きて以て聽かれ、方術信行せられ、能く人主をして上は王に至らしめ、下は霸に至らしむるは、我、子に若かざるなり。世に耦し俗に接し、義を說くこと調均にして、以て主の心に適うは、子、我に若かざるなり。子何ぞ以て歸耕せざるか。吾將に子の為に游ばんとす。」沈尹莖、郢に遊ぶこと五年。荊王、以て令尹と為さんと欲す,沈尹莖辭して曰く、「期思の鄙人に孫叔敖なる者有り。聖人なり。王必ず之を用いよ。臣は若かざるなり。」荊王、是に於て人をして王輿を以て叔敖を迎えしめて、以て令尹と為す。十二年にして莊王霸たり。此れ沈尹莖の力なり。功、賢を進むるよりも大なるは無し。
現代語訳
孫叔敖と沈尹莖は互いに友であった。孫叔敖は都の郢に三年遊学したが、評判も立たず、修めた行いも世に聞こえなかった。沈尹莖は孫叔敖に言った、「義を説いて聞き入れられ、方策を実際に行わせ、君主を上は王、下は覇者にまで至らせる力は、私はあなたに及ばない。だが世間とうまく付き合い、俗世に交わり、義を程よく説いて主君の心にかなうことでは、あなたは私に及ばない。あなたはなぜ故郷へ帰って耕さないのか。私があなたのために君主に働きかけよう」。沈尹莖は郢に五年遊説した。荊王が彼を令尹(宰相)にしようとすると、沈尹莖は辞退して言った、「期思の田舎に孫叔敖という者がいます。聖人です。王は必ず彼を用いてください。私は及びません」。荊王はそこで王の車で孫叔敖を迎え、令尹とした。十二年して荘王は覇者となった。これは沈尹莖の力である。功績で、賢者を推挙することより大きいものはない。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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呂氏春秋・貴當②荊に善く人を相する者あり,言う所に遺策無く、國に聞こゆ。莊王見て焉に問う。對えて曰く、「臣は能く人を相するに非ざるなり。能く人の友を觀るなり。布衣を觀るに、其の友皆孝悌純謹、令を畏る。此の如き者は、其の家必ず日に益し、身は必ず日に榮ゆ、所謂吉人なり。君に事うる者を觀るに、其の友皆誠信有行、善を好む。此の如き者は、君に事えて日に益し、官職日に進む。此れ所謂吉臣なり。人主を觀るに、其の朝臣に賢多く、左右に忠多く、主に失あれば、皆交々爭い証諫す。此の如き者は、國日に安く、主日に尊く、天下日に服す。此れ所謂吉主なり。臣能く人を相するに非ざるなり。能く人の友を觀るなり。」莊王之を善しとし、是に於て疾めて士を收め、日夜懈らず、遂に天下に霸たり。故に賢主の時に文藝の人を見るや、特に之を具うるのみに非ざるなり。大務を就す所以なり。夫れ事は大小と無く、固より相與に通ず。田獵馳騁、弋射走狗、賢者為さざるに非ざるなり。之を為して智日に得、不肖の主は之を為して、智日に惑う。志に曰く、「驕惑を之れ事とす、亡びずして奚をか待たん。」
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『新序』雜事第五楚人に善く人を相する有り。言う所遺策無し。國に聞こゆ。莊王見て情を問う。對えて曰く、臣は能く人を相するに非ず。能く人の交わりを觀るなり。布衣なるは、其の交わり皆な孝悌にして、篤謹に令を畏る。此くの如き者は其の家必ず日ミ益し、身必ず日ミ安し。此れ所謂吉人なり。官もて君に事うる者は、其の交わり皆な誠信にして、善を好む有り。此くの如き者は、君に事うること日ミ益し、官職日ミ益す。此れ所謂吉士なり。主明らかに臣賢く、左右に忠多く、主に失有れば皆な敢えて分かち爭いて正諫す。此くの如き者は國日ミ安く、主日ミ尊く、天下日ミ富む。此れ之を吉主と謂う。臣は能く人を相するに非ず。能く人の交わりを觀るなり、と。莊王曰く、善し、と。是に於いて乃ち四方の士を招聘し、夙夜懈らず。遂に孫叔敖、將軍子重の屬を得て、以て卿相に備え、遂に霸功を成す。詩に曰く、濟濟たる多士、文王以て寧し、と。此の謂いなり。
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呂氏春秋・情欲④世人の君に事うる者、皆孫叔敖の荊の莊王に遇えるを以て幸と為す。有道の者自り之を論ずれば則ち然らず。此れ荊國の幸なり。荊の莊王、周遊田獵、馳騁弋射を好み、歡樂遺す無く、盡く其の境內の勞と諸侯の憂いとを孫叔敖に傅せり。孫叔敖日夜息まず、生に便するを以て故と為すを得ず。故に莊王の功跡をして竹帛に著わし、後世に傳せしめたり。
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説苑・至公楚の令尹虞丘子莊王に復して曰く、「臣聞く、公を奉じ法を行えば、以て榮を得べく、行き淺く薄ければ、上位を望む無く、仁智を名とせず、顯榮を求むる無く、才の著れざる所、其の處に當たる無しと。臣令尹たること十年、國治を加えず、獄訟息まず、處士升らず、淫禍討たれず、久しく高位を踐み、群賢の路を妨げ、尸祿素餐、貪欲饜くこと無し、臣の罪當に理に稽すべし。臣竊かに國俊下里の士孫叔敖を選ぶに、秀羸多能、其の性欲無し、君舉げて之に政を授くれば、則ち國治めしむべく士民附かしむべし」と。莊王曰く、「子寡人を輔け、寡人以て中國に長じ、令絕域に行われ、遂に諸侯に霸たるを得たり、子に非ずんば如何ん」と。虞丘子曰く、「久しく祿位に固まる者は、貪なり。賢達能を進めざる者は、誣なり。位を以て讓らざる者は、廉ならざるなり。三者に能わざれば、忠ならざるなり。人臣為りて忠ならずんば、君王又何を以て忠と為さんや。臣願わくは固く辭せん」と。莊王之に從い、虞子に采地三百を賜い、號して「國老」と曰い、孫叔敖を以て令尹と為す。少焉、虞丘子家法を干す、孫叔敖執えて之を戮す。虞丘子喜び、入りて王に見えて曰く、「臣言えらく孫叔敖果たして國政を持たしむべく、國法を奉じて黨せず、刑戮を施して骫まず、公平と謂うべし」と。莊王曰く、「夫子の賜なるかな」と。
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『新書』先醒昔楚の荘王即位し、自ら静かなること三年、以て得失を講じ、乃ち邪を退け忠正を進め、能者は事に任じて而る後に高位に在り、内に国政を領し、草を辟き教えを施し、百姓富み、民恒に一にして、路に遺を拾わず、国に獄訟無し。是の時に当たりて、周室壊微し、天子制を失い、宋・鄭は無道にして、諸侯を欺昧す。荘王宋を囲み鄭を伐つ。鄭伯肉袒し羊を牽き、簪を奉じて国を献ず。荘王曰く、『古の伐つ者は、乱るれば則ち之を整え、服すれば則ち之を舎く。之を利するに非ざるなり』と。遂に受けず、乃ち晋人と両棠に戦い、大いに晋人に克ち、諸侯を漢陽に会し、天子の辟禁を申べ、諸侯説服す。荘王帰り、申侯の邑に過る。申侯飯を進む。日中にして王食らわず。申侯罪を請いて曰く、『臣は斎して食を具うること甚だ潔し。日中にして飯せず。臣敢えて罪を請う』と。荘王喟然として嘆じて曰く、『子の罪に非ざるなり。吾之を聞く。曰く、其の君は賢君にして、又た師有る者は王たり。其の君は中君にして、師有る者は伯たり。其の君は下君にして、群臣又た若く莫き者は亡ぶ。今我は下君なり。而して群臣又た不穀に若く莫し。恐らくは亡有らん。吾之を聞く、世に賢を絶たず。
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呉子・図国篇武侯嘗て事を謀るに、群臣能く及ぶ莫く、朝を罷めて喜色有り。起進みて曰く、「昔、楚の荘王嘗て事を謀るに、群臣能く及ぶ莫く、朝を退きて憂色有り。申公問いて曰く、『君に憂色有るは、何ぞや』と。曰く、『寡人之を聞く、世に聖を絶たず、国に賢を乏しからず。能く其の師を得る者は王たり、其の友を得る者は霸たり、と。今、寡人は不才にして、群臣の及ぶ莫きは、楚国其れ殆うからん』と。此れ楚の荘王の憂うる所にして、君は之を説ぶ。臣竊かに懼るるなり」と。是に於いて武侯に慚色有り。

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