呂氏春秋 / 貴當②
荊有善相人者,所言無遺策,聞於國,莊王見而問焉。對曰:「臣非能相人也,能觀人之友也。觀布衣也,其友皆孝悌純謹畏令,如此者,其家必日益,身必日榮,矣所謂吉人也。觀事君者也,其友皆誠信有行好善,如此者,事君日益,官職日進,此所謂吉臣也。觀人主也,其朝臣多賢,左右多忠,主有失,皆交爭証諫,如此者,國日安,主日尊,天下日服,此所謂吉主也。臣非能相人也,能觀人之友也。」莊王善之,於是疾收士,日夜不懈,遂霸天下。故賢主之時見文藝之人也,非特具之而已也,所以就大務也。夫事無大小,固相與通。田獵馳騁,弋射走狗,賢者非不為也,為之而智日得焉,不肖主為之而智日惑焉。志曰:「驕惑之事,不亡奚待?」
新字:荊有善相人者,所言無遺策,聞於国,荘王見而問焉。対曰:「臣非能相人也,能観人之友也。観布衣也,其友皆孝悌純謹畏令,如此者,其家必日益,身必日栄,矣所謂吉人也。観事君者也,其友皆誠信有行好善,如此者,事君日益,官職日進,此所謂吉臣也。観人主也,其朝臣多賢,左右多忠,主有失,皆交争証諫,如此者,国日安,主日尊,天下日服,此所謂吉主也。臣非能相人也,能観人之友也。」荘王善之,於是疾収士,日夜不懈,遂覇天下。故賢主之時見文芸之人也,非特具之而已也,所以就大務也。夫事無大小,固相与通。田猟馳騁,弋射走狗,賢者非不為也,為之而智日得焉,不肖主為之而智日惑焉。志曰:「驕惑之事,不亡奚待?」
書き下し
荊に善く人を相する者あり,言う所に遺策無く、國に聞こゆ。莊王見て焉に問う。對えて曰く、「臣は能く人を相するに非ざるなり。能く人の友を觀るなり。布衣を觀るに、其の友皆孝悌純謹、令を畏る。此の如き者は、其の家必ず日に益し、身は必ず日に榮ゆ、所謂吉人なり。君に事うる者を觀るに、其の友皆誠信有行、善を好む。此の如き者は、君に事えて日に益し、官職日に進む。此れ所謂吉臣なり。人主を觀るに、其の朝臣に賢多く、左右に忠多く、主に失あれば、皆交々爭い証諫す。此の如き者は、國日に安く、主日に尊く、天下日に服す。此れ所謂吉主なり。臣能く人を相するに非ざるなり。能く人の友を觀るなり。」莊王之を善しとし、是に於て疾めて士を收め、日夜懈らず、遂に天下に霸たり。故に賢主の時に文藝の人を見るや、特に之を具うるのみに非ざるなり。大務を就す所以なり。夫れ事は大小と無く、固より相與に通ず。田獵馳騁、弋射走狗、賢者為さざるに非ざるなり。之を為して智日に得、不肖の主は之を為して、智日に惑う。志に曰く、「驕惑を之れ事とす、亡びずして奚をか待たん。」
現代語訳
楚に人相をよく見る者がいて、その言うことに外れがなく、国中に知られていた。荘王が会って尋ねた。彼は答えた、「臣は人相をよく見るのではありません。その人の友を観るのです。庶民を観るに、その友が皆、親孝行で兄弟仲がよく純朴で慎み深く、法令を畏れる。こういう者は、その家が必ず日ごとに栄え、身も日ごとに栄える。いわゆる吉人です。主君に仕える者を観るに、その友が皆、誠実で信義があり行いを持し、善を好む。こういう者は、主君に仕えて日ごとに信任され、官職も日ごとに進む。いわゆる吉臣です。君主を観るに、朝廷の臣に賢者が多く、側近に忠臣が多く、主君に過失があれば皆こもごも争って諫める。こういう者は、国が日ごとに安らかに、主君は日ごとに尊く、天下は日ごとに従う。いわゆる吉主です。臣は人相を見るのではなく、その人の友を観るのです」。荘王はこれをよしとし、そこで努めて人材を集め、昼夜怠らず、ついに天下の覇者となった。だから賢主が時に技芸の人に会うのは、単にそれを備えるためだけではなく、大事業を成すためである。そもそも事は大小を問わず、もともと互いに通じ合っている。狩猟や馬を駆ること、弋(いぐるみ)や犬を走らせる遊びも、賢者がしないわけではない。それを行っても知恵は日ごとに増すが、暗愚な君主はそれを行って知恵が日ごとに惑う。古の記録にいう、「おごりと迷いを事とすれば、滅びずして何を待とうか」と。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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孟子・梁惠王章句下孟子、齊の宣王に見えて曰く、「所謂故國とは、喬木有るの謂を謂うに非ざるなり。世臣有るの謂なり。王には親臣無し。昔者(セキ・ジャ)進むる所、今日其の亡を知らざるなり。」王曰く、「吾、何を以て其の不才を識りて之を舍てん。」曰く、「國君、賢を進むること已むを得ざるが如くす。將に卑をして尊を踰え、疏をして戚を踰えしめんとす。慎まざる可けんや。左右皆賢なりと曰うも、未だ可ならざるなり。諸大夫皆賢と曰うも、未だ可ならざるなり。國人皆賢と曰う、然る後に之を察し、賢なるを見て、然る後に之を用いよ。左右皆不可と曰うも、聽く勿れ。諸大夫皆不可と曰うも、聽く勿れ。國人皆不可と曰う、然る後に之を察し、不可なるを見て、然る後に之を去れ。左右皆殺す可しと曰うも、聽く勿れ。諸大夫皆殺す可しと曰うも、聽く勿れ。國人皆殺す可しと曰う、然る後に之を察し、殺す可きを見て、然る後に之を殺せ。故に曰く、國人之を殺すなり、と。此の如くにして、然る後以て民の父母為る可し。」
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孟子・盡心章句下孟子曰く、「仁賢を信ぜざれば、則ち國空虚なり。禮義無ければ、則ち上下亂る。政事無ければ、則ち財用足らず。」 <解説> 国の大事として、仁賢・禮義・政事の三者を挙げているが、尹氏云う、「三者、仁賢を以て本と為す、仁賢無ければ、則ち禮義・政事、之に處りて皆其の道を以てせず。」と。乃ち三者の中でも仁賢が最も根本であり、仁者・賢者がおればこそ、国の禮義や政治政策は善く行われるということである。
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『韓非子』亡徵第十五境内の傑、事とされずして、封外の士を求め、功伐を以て課試せずして、好んで名問を以て舉錯し、羈旅起り貴くして以て故常を陵ぐ者は、亡ぶ可きなり。
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史記 管晏列伝管仲夷吾は、潁上の人なり。少き時常に鮑叔牙と游び、鮑叔、其の賢なるを知れり。管仲貧困にして、常に鮑叔を欺くも、鮑叔、終に善く之を遇し、以て言を為さず。已にして鮑叔、斉の公子小白に事へ、管仲は公子糾に事ふ。小白立ちて桓公と為り、公子糾死するに及び、管仲囚はる。鮑叔遂に管仲を進む。管仲既に用ひられ、政に斉に任ず。斉の桓公以て覇たり、諸侯を九合し、天下を一匡したるは、管仲の謀なり。
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史記 孫子呉起列伝呉起是に於いて魏の文侯の賢なるを聞き、之に事へんと欲す。文侯、李克に問ひて曰く、「呉起は何如なる人ぞ」と。李克曰く、「起は貪にして色を好む。然れども兵を用ゐるは、司馬穰苴も過ぐる能はざるなり」と。是に於いて魏の文侯以て将と為し、秦を撃ち、五城を抜く。
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大学《秦誓》(しんせい)に曰く、「若(も)し一つの臣有らん。断断(だんだん)として他技無く、其の心休休焉(きゅうきゅうえん)として、其れ容るる有るが如し。人の技有るを、己之れ有るが如くし、人の彦聖(げんせい)なるを、其の心之を好むこと、啻(ただ)に其の口より出づるが如きのみならず。実に能く之を容(い)る。以て我が子孫黎民(れいみん)を保(やすん)ずべし、尚(な)お亦た利有らん哉(かな)。人の技有るを、媢嫉(ぼうしつ)して以て之を悪み、人の彦聖なるを、之を違(さまた)げて通ぜざらしむ。実に容るる能わず。以て我が子孫黎民を保つ能わず、亦た殆(あやう)き哉」と。唯(ただ)仁人(じんじん)のみ之を放流(ほうりゅう)し、四夷に迸(しりぞ)け、与(とも)に中国を同じくせず。此れ唯仁人のみ能く人を愛し、能く人を悪むと謂う。賢を見て挙ぐる能わず、挙げて先んずる能わざるは、命(慢)なり。不善を見て退くる能わず、退けて遠ざくる能わざるは、過ちなり。人の悪む所を好み、人の好む所を悪む、是れ人の性を拂(もと)ると謂う。災い必ず夫(そ)の身に逮(およ)ばん。是の故に君子に大道有り、必ず忠信なるを以て之を得、驕泰(きょうたい)なるを以て之を失う。