呂氏春秋 / 不苟④
秦繆公相百里奚,晉使叔虎、齊使東郭蹇如秦,公孫枝請見之。公曰:「請見客,子之事歟?」對曰:「非也。」「相國使子乎?」對曰:「不也。」公曰:「然則子事非子之事也。秦國僻陋戎夷,事服其任,人事其事,猶懼為諸侯笑。今子為非子之事,退,將論而罪。」公孫枝出,自敷於百里氏。百里奚請之。公曰:「此所聞於相國歟。枝無罪奚請?有罪奚請焉?」百里奚歸,辭公孫枝。公孫枝徙,自敷於街。百里奚令吏行其罪。定分官,此古人之所以為法也。今繆公鄉之矣,其霸西戎,豈不宜哉?
新字:秦繆公相百里奚,晋使叔虎、斉使東郭蹇如秦,公孫枝請見之。公曰:「請見客,子之事歟?」対曰:「非也。」「相国使子乎?」対曰:「不也。」公曰:「然則子事非子之事也。秦国僻陋戎夷,事服其任,人事其事,猶懼為諸侯笑。今子為非子之事,退,将論而罪。」公孫枝出,自敷於百里氏。百里奚請之。公曰:「此所聞於相国歟。枝無罪奚請?有罪奚請焉?」百里奚帰,辞公孫枝。公孫枝徙,自敷於街。百里奚令吏行其罪。定分官,此古人之所以為法也。今繆公郷之矣,其覇西戎,豈不宜哉?
書き下し
秦の繆公、百里奚を相とす。晉は叔虎を使いとし、齊は東郭蹇を使いとし、秦に如かしむ。公孫枝、之を見んと請う。公曰く、「客を見るを請うは、子の事か。」對えて曰く、「非なり。」「相國、子を使しむるか。」對えて曰く、「不らざるなり。」公曰く、「然らば則ち子の事とするは子の事に非ざるなり。秦國は僻陋の戎夷、事、其の任に服し、人、其の事を事とするも、猶ほ諸侯の笑いと為らんことを懼る。今子、子の事に非ざるを為す。退け。將に而の罪を論ぜんとす。」公孫枝出でて、自ら百里氏に敷す。百里奚、之を請う。公曰く、「此れ相國に聞く所か。枝、罪無くば奚ぞ請わん。罪有らば奚ぞ請わん。」百里奚歸り、公孫枝に辭す。公孫枝徙りて、自ら街に敷す。百里奚、吏をして其の罪を行わしむ。分官を定むるは、此れ古人の法を為す所以なり。今、繆公、之に鄉う。其の西戎に覇たること、豈に宜ならずや。
現代語訳
秦の繆公は百里奚を宰相とした。晋は叔虎を、斉は東郭蹇を使者として秦に遣わした。公孫枝がこの客人に会いたいと願い出た。繆公は「客に会いたいというのは、お前の職務か」と問うた。「違います」と答える。「宰相がお前を遣わすのか」「いいえ」。繆公は言った、「ならばお前がしようとするのはお前の職務ではない。秦は辺鄙な戎夷の国で、事はその任にかなうように行い、人は各々の職務を務めても、なお諸侯の笑い者になることを恐れている。今お前は職分外のことをしようとしている。退け。お前の罪を問おう」。公孫枝は退き、自ら百里奚の家に赴いて許しを乞うた。百里奚がとりなそうとすると、繆公は「これは宰相の指図か。枝に罪がないならなぜ願い出る、罪があるならなぜ願い出る」と言った。百里奚は帰り、公孫枝への口添えを断った。公孫枝は町へ移って自ら罪を認めた。百里奚は役人にその罪を執行させた。職分を定めることこそ、古人が法を立てたゆえんである。今、繆公はこれに従った。西戎に覇を唱えたのも、当然ではないか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『韓非子』六反第四十六前は苦しくして長く利あり。仁の道為る、偸楽にして後に窮す。聖人其の軽重を権り、其の大利を出だす、故に法の相忍ぶを用ひて、仁人の相憐れむを弃つるなり。
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孫子・形篇善く兵を用うる者は、道を修めて法を保つ。故に能く勝敗の政を為す。
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『政談』大坂在番の事且又大坂にては下々の欠落常にある事なり、欠落は大方は御城下へ出てゝ定の刻限に帰らぬ故直に欠落になるなり、又行きかた知れず失することもあり、大方は博奕などの意趣によりで海へ突落して殺す成るへし、又欠落したるものが十日計りも過きて後御城内へ来り、其の儘又何方へやらん行くこともありと承はる、不思議千万なることなり、畢竟御堀を越え来るべきやうなし、御門より出入するか、御城中にかくれ居るか、此の二つを出つべからず、惣じて余りに法厳しく、一事あれば詮議六ケ敷故、面々に事のなきやうにと心得ることを、御番衆の伝授にすることにて斯の如きこと却て知れぬと見えたり、法を末にて厳しくして、元来法の立てやうに行届かぬ所有れば、必ず斯の如くなるものなり、大坂御番に限らず、当時は何方も〳〵斯の如し、心得あるべきこと也、
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『君子訓』巻之中一家を治め民を治むるには、厳なるを善とす。厳とはまづ我が身を正しくし、軽々しからず、法を立つるにゆるがせならず、民の僻事を制して赦さざるをいふ。厳なれば人恐るる故に、法立ちて破れず、民悪をなさず、罪に陥るもの稀なり。厳ならずしてゆるがせなれば、初は民も家人も悦んで誉むれども、後には怠りおそれず、法ゆるまりて立たず、罪を犯す者多し。始厳なれば後に事なし。始緩なれば後に事多くなる。厳はきびしきなり、不仁なるにあらず。民を悪に入れぬため、きびしくするなり。譬へば水は柔かなるゆゑ、人侮りて溺死する者多し。火は厳なるゆゑ、人恐れて近づかず、焼死する者少し。法も亦如斯。
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『新論』國體上(令に云ふ、「凡そ僧尼、上玄象を観て、仮りに災祥を説き、語国家に及びて、百姓を妖惑し、并せて兵書を習読し、殺人奸盗し、及び詐りて聖道を得たりと称するは、並びに官司に附して罪を科す。別に道場を立てて衆を聚め教化し、妄りに罪福を説き、官司知りて禁止せざる者は、律に依りて罪を科す。僧尼、吉凶を卜相し、及び小道巫術もて病を療する者、飲酒酔乱し、及び人と闘打する者は、皆還俗せしむ。三宝の物を将て官人に餉遺し、若しくは合して朋党と称し、徒衆を擾乱し、音楽博戯を作す者、綾羅錦綺を服用する者、僧房に婦女を停め、尼房に男夫を停むる者、阿党朋扇して、浪りに無徳の者を挙ぐる者、俗人をして門を歴て教化せしむる者は、皆苦使すること日数有り。凡そ僧尼は私に園宅財物を畜へ、及び興販出息するを得ず」と。凡そ是くの如きの類、其の禁防を設けて以て身体を保ち罪戻を免れしむる所以の者、一にして足らず。如し能く僧尼をして謹みて律令を守り、仏家の法に従はしめば、則ち樹下石上、楽しみて以て歯を没するも亦可なり。但其の邦憲を奉ぜず、是を以て其の害此に至るのみ。)
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『韓非子』外儲説右上第三十四文公曰く、「吾が民の喪資有る者は、寡人親ら郎中をして事を視しめ、罪有る者は之を赦し、貧窮にして足らざる者は之に与ふ、其れ以て民を戦はしむるに足るか」と。狐子対へて曰く、「足らず。此れ皆産を慎む所以なり。而して之を戦はしむるは、之を殺すなり。民の公に従ふや、産を慎むが為なり、公因りて迎へて之を殺さば、公に従ふを為す所以を失はん」と。曰く、「然らば則ち何如にして以て民を戦はしむるに足るか」と。狐子対へて曰く、「戦はざるを得ること無からしめよ」と。公曰く、「戦はざるを得ること無きは奈何」と。狐子対へて曰く、「信賞必罰、其れ以て戦はしむるに足る」と。公曰く、「刑罰の極は安くにか至る」と。対へて曰く、「親貴を辟けず、法愛する所に行はる」と。文公曰く、「善し」と。明日令して圃陸に田し、期するに日中を以て期と為し、期に後るる者は軍法を行はんとす。是に於て公の愛する所の者有り顛頡と曰ふ、期に後る、吏其の罪を請ふ、文公涕を隕して憂ふ。吏曰く、「請ふ事を用ひん」と。遂に顛頡の脊を斬りて、以て百姓に徇へ、以て法の信を明らかにするなり。而る後百姓皆懼れて曰く、「君顛頡の貴重に於けること彼の如く甚だしきなり、而るに君猶ほ法を行ふ、況んや我に於てをや則ち何か有らん」と。文公民の戦はしむ可きを見るや、是に於て遂に兵を興して原を伐ち、之に克つ。衛を伐ち、其の畝を東にし、五鹿を取る。陽を攻め、虢に勝つ。曹を伐ち、南のかた鄭を囲み、之が陴を反す。宋の囲みを罷む。還りて荊人と城濮に戦ひ、大いに荊人を敗り、返りて践土の盟を為し、遂に衡雍の義を成す。一挙にして八たび攻有り。然る所以の者は、他の故異物無し、狐偃の謀に従ひ、顛頡の脊を仮るなり。夫れ痤疽の痛みや、骨髄を刺すに非ざれば、則ち煩心支ふ可からざるなり。是の如くに非ざれば、人をして半寸の砥石を以て之を弾せしむる能はず。今人主の治に於けるも亦然り、苦有れば則ち安きを知らざるに非ず、其の国を治めんと欲するも、是の如くに非ざれば聖知を聴きて乱臣を誅する能はず。

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