呂氏春秋 / 過理①
亡國之主一貫,天時雖異,其事雖殊,所以亡同者,樂不適也。樂不適則不可以存。糟丘酒池,肉圃為格,雕柱而桔諸侯,不適也。刑鬼侯之女而取其環,截涉者脛而視其髓,殺梅伯而遺文王其醢,不適也。文王貌受以告諸侯。作為琁室,築為頃宮,剖孕婦而觀其化,殺比干而視其心,不適也。孔子聞之曰:「其竅通則比干不死矣。」夏、商之所以亡也。
新字:亡国之主一貫,天時雖異,其事雖殊,所以亡同者,楽不適也。楽不適則不可以存。糟丘酒池,肉圃為格,雕柱而桔諸侯,不適也。刑鬼侯之女而取其環,截渉者脛而視其髄,殺梅伯而遺文王其醢,不適也。文王貌受以告諸侯。作為琁室,築為頃宮,剖孕婦而観其化,殺比干而視其心,不適也。孔子聞之曰:「其竅通則比干不死矣。」夏、商之所以亡也。
書き下し
亡國の主は一貫なり。天の時異なると雖も、其の事殊なると雖も、亡ぶる所以同じきは、不適を樂しめばなり。不適を樂しめば則ち以て存す可からず。糟丘・酒池・肉圃・格を為り、柱に雕して諸侯を桔するは、不適なり。鬼侯の女を刑して其の環を取り、渉る者の脛を截りて其の髓を視、梅伯を殺して、文王に其の醢を遺れるは、不適也。文王、貌受して以て諸侯に告ぐ。琁室を作為し、頃宮を築為し、孕婦を剖いて其の化を觀、比干を殺して其の心を視るは、不適なり。孔子之を聞きて曰く、「其の竅通ずれば、則ち比干死せず。」夏・商の亡びし所以なり。
現代語訳
亡国の君主はその本質が一様である。時代は異なり、その事柄は違っても、滅びる理由が同じなのは、度を越した享楽にふけるからだ。度を越した享楽にふければ存続できない。酒かすの丘・酒の池・肉を並べた林を作り、炮烙というあぶり焼きの刑具を設け、柱に彫刻をして諸侯を釣瓶で上下させたのは、度を越したことだ。鬼侯の娘を殺してその装身具を取り、川を渡る者のすねを切ってその髄を見、梅伯を殺して文王にその塩漬けの肉を贈ったのは、度を越したことだ。文王は受け取る様子だけ見せて、実は心では拒み、それを諸侯に告げた。璇玉で飾った部屋を作り、百畝もの広さの宮殿を築き、妊婦の腹を割いてその胎児の変化を見、比干を殺してその心臓を見たのは、度を越したことだ。孔子はこれを聞いて言った。「その心臓の穴が通じていたなら、比干は殺されなかっただろう。」これが夏と殷の滅びた理由である。
解説
この章句が説くこと
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