呂氏春秋 / 壹行⑤
孔子卜,得賁。孔子曰:「不吉。」子貢曰:「夫賁亦好矣,何謂不吉乎?」孔子曰:「夫白而白,黑而黑,夫賁又何好乎?」故賢者所惡於物,無惡於無處。
新字:孔子卜,得賁。孔子曰:「不吉。」子貢曰:「夫賁亦好矣,何謂不吉乎?」孔子曰:「夫白而白,黒而黒,夫賁又何好乎?」故賢者所悪於物,無悪於無処。
書き下し
孔子卜して、賁を得たり。孔子曰く、「吉ならず。」子貢曰く、「夫れ賁も亦た好し。何ぞ吉ならずと謂うや。」孔子曰く、「夫れ白ければ而ち白く、黑ければ而ち黑し。夫れ賁又何ぞ好からん。」故に賢者の物を惡む所は、處無きよりも惡むは無し。
現代語訳
孔子が占って賁の卦を得た。孔子は「吉ではない」と言った。子貢が「賁もまた良い卦です。どうして吉でないとおっしゃるのですか」と言うと、孔子は「白いものは白く、黒いものは黒くあるべきだ。賁は入り混じった飾りで、白黒がはっきりしない。どうして良いといえようか」と答えた。だから賢者が物事について憎むのは、一定の立場を守らずあいまいであることほど憎むものはないのである。
解説
孔子が占いで賁の卦を得て「吉でない」と言った故事を通じて、あいまいさを退ける「壹行」の主張を示す一段です。賁は五色が混じり合った飾りの卦で、白は白、黒は黒とはっきりすべきなのに、賁は白黒が入り混じって定まらないため良くない、と孔子は説きます。賢者が最も憎むのは、一定の立場を守らずあいまいで態度の定まらないことだと結びます。周易の本来の解釈では賁は必ずしも不吉ではありませんが、著者は白黒の明確さという観点からこの逸話を引きました。物事や態度をあいまいにせず、立場をはっきりさせて筋を通すことの大切さは、玉虫色の対応が信頼を損なう現代の意思決定や表明のあり方にも通じる教えです。
この章句が説くこと
壱行孔子賁子貢周易あいまいさ
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