呂氏春秋 / 壹行③
今行者見大樹,必解衣縣冠倚劍而寢其下。大樹非人之情親知交也,而安之若此者信也。陵上巨木,人以為期,易知故也。又況於士乎?士義可知故也,則期為必矣。又況彊大之國?彊大之國誠可知,則其王不難矣。
新字:今行者見大樹,必解衣県冠倚剣而寝其下。大樹非人之情親知交也,而安之若此者信也。陵上巨木,人以為期,易知故也。又況於士乎?士義可知故也,則期為必矣。又況彊大之国?彊大之国誠可知,則其王不難矣。
書き下し
今行く者、大樹を見れば、必ず衣を解き冠を縣け劍を倚せて其の下に寝る。大樹は人の情親知交に非ざるなり。而れども之に安ずること、此の若き者は信ずればなり。陵上の巨木、人以て期と為すは、知り易きが故なり。又況んや士に於いてをや。士の義知る可くんば、則ち期せらるること必為り。又況んや彊大の國に於いてをや。彊大の國誠に知る可くんば、則ち其の王たること難からず。
現代語訳
今、旅をする者が大木を見つければ、必ず衣を脱ぎ冠を掛け剣を立てかけて、その下で休む。大木は人にとって肉親でも旧知の友でもない。それでもそこで安心してくつろげるのは、大木が動かず信頼できるからである。丘の上の大木を人々が待ち合わせの目印にするのは、それが分かりやすいからである。まして人においてはなおさらである。士の義が明らかに知れれば、必ず頼りにされる。まして強大な国においてはなおさらである。強大な国が本当に信頼できると分かれば、王者となることは難しくない。
解説
旅人が大木の下で安心して休むたとえを用いて、信頼できることの価値を説く一段です。大木は肉親でも友でもないのに人が安心してくつろげるのは、そこに動かぬ確かさがあるからであり、丘の大木が待ち合わせの目印になるのは分かりやすいからだといいます。人も同じで、義が明らかで信頼できる士は必ず頼りにされ、まして強大な国が信頼できると分かれば王者となることも難しくないと論じます。前段に続き、力より信頼の一貫性を重んじる「壹行」の主張です。分かりやすさと確かさが人を引き寄せるという指摘は、ぶれない誠実さこそが信用を生むことを教えます。誰から見ても行動が読める安心感が人望や求心力の源になるという点で、現代の信頼構築にも通じる普遍的な知恵です。
この章句が説くこと
壱行大樹信頼士義目印
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