呂氏春秋 / 無義②
公孫鞅之於秦,非父兄也,非有故也,以能用也,欲堙之責,非攻無以,於是為秦將而攻魏。魏使公子卬將而當之。公孫鞅之居魏也,固善公子卬,使人謂公子卬曰:「凡所為游而欲貴者,以公子之故也。今秦令鞅將,魏令公子當之,豈且忍相與戰哉?公子言之公子之主,鞅請亦言之主,而皆罷軍。」於是將歸矣,使人謂公子曰:「歸未有時相見,願與公子坐而相去別也。」公子曰:「諾。」魏吏爭之曰:「不可。」公子不聽,遂相與坐。公孫鞅因伏卒與車騎以取公子卬。秦孝公薨,惠王立,以此疑公孫鞅之行,欲加罪焉。公孫鞅以其私屬與母歸魏。襄疵不受,曰:「以君之反公子卬也,吾無道知君。」故士自行不可不審也。
新字:公孫鞅之於秦,非父兄也,非有故也,以能用也,欲堙之責,非攻無以,於是為秦将而攻魏。魏使公子卬将而当之。公孫鞅之居魏也,固善公子卬,使人謂公子卬曰:「凡所為游而欲貴者,以公子之故也。今秦令鞅将,魏令公子当之,豈且忍相与戦哉?公子言之公子之主,鞅請亦言之主,而皆罷軍。」於是将帰矣,使人謂公子曰:「帰未有時相見,願与公子坐而相去別也。」公子曰:「諾。」魏吏争之曰:「不可。」公子不聴,遂相与坐。公孫鞅因伏卒与車騎以取公子卬。秦孝公薨,恵王立,以此疑公孫鞅之行,欲加罪焉。公孫鞅以其私属与母帰魏。襄疵不受,曰:「以君之反公子卬也,吾無道知君。」故士自行不可不審也。
書き下し
公孫鞅の秦に於けるや、父兄なるに非ず、故有るに非ず、能を以て用いられしなり。之が責を堙がんと欲すれば、攻に非ずんば以てすること無きなり。是に於て秦の將と為りて魏を攻む。魏、公子卬をして將として之に當たらしむ。公孫鞅の魏に居りしとき、固より公子卬に善し。人をして公子卬に謂わしめて曰く、「凡そ游を為して貴ならんと欲する所の者は、公子の故を以てなり。今、秦は鞅をして將たらしめ、魏は公子をして之に當たらしむ。豈に且に相與に戰うことに忍びんや。公子、之を公子の主に言え、鞅も亦た之を主に言いて、皆軍を罷めんと請う。」是に於て將に歸らんとす。人をして公子に謂わしめて曰く、「歸らば未だ時の相見ること有らじ。願わくは、公子と坐して相去別せん。」公子曰く、「諾。」魏の吏、之を爭いて曰く、「不可なり。」公子聽かず。遂に相與に坐ず。公孫鞅因りて卒と車騎とを伏して以て公子卬を取る。秦の孝公薨じ、惠王立つ。此を以て公孫鞅の行を疑い、罪を加えんと欲す。公孫鞅、其の私屬と母とを以て魏に歸せんとす。襄疵受けずして曰く、「君の公子卬に反するを以てや、吾君を知るに道無し。」故に士の自ら行うは審らかにせざる可からざるなり。
現代語訳
公孫鞅は秦にとって親族でも旧知でもなく、才能によって登用された者である。その恩に報いようとすれば、他国を攻めるほかなかった。そこで秦の将軍となって魏を攻めた。魏は公子卬を将としてこれに当たらせた。公孫鞅は魏にいた頃、もともと公子卬と親しかったので、人をやって公子卬にこう言わせた。「私が遊説して身を立てたいと思ったのは、そもそもあなたのおかげです。今、秦は私を将とし、魏はあなたを将としています。どうして互いに戦うのに忍びましょうか。あなたはあなたの君主に、私も私の君主に申し上げて、ともに軍を引き上げましょう。」そして引き上げようとするとき、また人をやって公子に「帰ればもう会う機会もないでしょう。どうかあなたと会って別れの席を持ちたい」と言わせた。公子は「よろしい」と答えた。魏の役人はこれを諫めて「なりません」と言ったが、公子は聞かず、ついに一緒に席についた。公孫鞅はそこで伏兵と車騎を潜ませて公子卬を捕らえた。秦の孝公が亡くなり恵王が立つと、この行いから公孫鞅を疑い、罪を加えようとした。公孫鞅は一族と母を連れて魏へ逃げ帰ろうとした。しかし襄疵は受け入れず、「あなたが公子卬を裏切ったことからして、私にはあなたを信用する手立てがない」と言った。だから士たる者は自分の行いをよく慎まなければならないのである。
解説
この章句が説くこと
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『韓非子』說林下二十三吾嘗て音を好むに、此の人我に鳴琴を遺る。...是れ我が過を振する者なり。...吾其の我を以て容れらるるを人に求めんことを恐るるなり。
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呂氏春秋・長攻③楚王、息と蔡とを取らんと欲す。乃ち先づ佯りて蔡侯に善くし、而して之と謀りて曰く、「吾息を得んと欲す、奈何。」蔡侯曰く、「息の夫人は、吾が妻の姨なり。吾請う、為りに息侯と其の妻なる者とを饗し、而して王と俱にし、因りて之を襲わん。」楚王曰く、「諾。」是に於て蔡侯と饗禮を以て息に入り、因りて與俱に遂に息を取る。旋りて、蔡に舎し、又蔡を取る。
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呂氏春秋・無義④趙、急に李欬を求む。李、續經に言いて、之と俱に衛に如き、公孫與に抵る。公孫與見て與に入る。續經因りて衛の吏に告げて之を捕えしむ。續經以て趙に仕えて五大夫たり。人與に朝を同じくする莫く、子孫以て交友す可からず。
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戦国策・秦召燕王秦、燕王を召す。燕王往かんと欲す。蘇代、燕王に約して曰く、「楚、枳を得て国亡び、斉、宋を得て国亡ぶ。斉・楚、枳・宋を有つを以て秦に事えざる者は、何ぞや。是れ則ち功有る者は、秦の深讎なり。秦の天下を取るは、義を行うに非ざるなり、暴なり。 秦の暴を天下に行うや、正しく楚に告げて曰く、『蜀地の甲、軽舟にて汶に浮かび、夏水に乗じて江を下れば、五日にして郢に至らん。漢中の甲、舟に乗じて巴より出で、夏水に乗じて漢を下れば、四日にして五渚に至らん。寡人甲を宛に積み、東のかた隨に下れば、知者も謀るに及ばず、勇者も怒るに及ばず、寡人の隼を射るが如し。王乃ち天下の函谷を攻むるを待たば、亦た遠からずや』と。楚王是が為の故に、十七年秦に事う。 秦正しく韓に告げて曰く、『我少曲より起ちて、一日にして太行を断つ。我宜陽より起ちて平陽に触るれば、二日にして繇わざる莫し。我両周を離れて鄭に触るれば、五日にして国挙がらん』と。韓氏以て然りと為し、故に秦に事う。 秦正しく魏に告げて曰く、『我安邑を挙げ、女戟を塞げば、韓氏・太原巻かる。我枳を下し、南陽・封・冀に道すれば、両周を包み、夏水に乗じ、軽舟に浮かべ、強弩前に在り、銛戈後に在り、榮口を決すれば、魏に大梁無く、白馬の口を決すれば、魏に済陽無く、宿胥の口を決すれば、魏に虚・頓丘無し。陸攻すれば則ち河内を撃ち、水攻すれば則ち大梁を滅ぼさん』と。魏氏以て然りと為し、故に秦に事う。 秦安邑を攻めんと欲し、斉の之を救わんことを恐れ、則ち宋を以て斉に委ねて曰く、『宋王無道にして、木人を為りて以て寡人に写し、其の面を射しむ。寡人地絶ち兵遠くして、攻むる能わざるなり。王苟くも能く宋を破りて之を有たば、寡人自ら之を得たるが如し』と。已に安邑を得て女戟を塞ぐや、因りて宋を破るを以て斉の罪と為す。 秦斉を攻めんと欲し、天下の之を救わんことを恐れ、則ち斉を以て天下に委ねて曰く、『斉王四たび寡人と約して、四たび寡人を欺けり。必ず天下を率いて寡人を攻むる者三たびなり。斉有りて秦無く、斉無くして秦有らば、必ず之を伐ち、必ず之を亡ぼさん』と。已に宜陽・少曲を得て、藺・石を致すや、因りて斉を破るを以て天下の罪と為す。 秦魏を攻めんと欲し、楚を重んずれば、則ち南陽を以て楚に委ねて曰く、『寡人固より韓と且に絶えんとす。均陵を残ない、鄳隘を塞げば、苟くも楚に利あらば、寡人自ら之を有つが如し』と。魏与国を棄てて秦に合すれば、因りて鄳隘を塞ぐを以て楚の罪と為す。 兵林中に困しみ、燕・趙を重んずれば、膠東を以て燕に委ね、済西を以て趙に委ぬ。趙魏に講を得て、公子延に至り、因りて犀首行を属して趙を攻む。兵離石に傷つき、馬陵に敗を遇い、而して魏を重んずれば、則ち葉・蔡を以て魏に委ぬ。已に趙に講を得れば、則ち魏を劫かし、魏割かず。困しめば則ち太后・穰侯をして和せしめ、羸うれば則ち舅と母とを兼ねて欺く。燕に適く者は曰く、『膠東を以てす』と。趙に適く者は曰く、『済西を以てす』と。魏に適く者は曰く、『葉・蔡を以てす』と。楚に適く者は曰く、『鄳隘を塞ぐを以てす』と。斉に適く者は曰く、『宋を以てす』と。此れ必ず其の言をして循環の如くならしめ、兵を用うること蜚繡を刺すが如く、母も制する能わず、舅も約する能わず。龍賈の戦、岸門の戦、封陸の戦、高商の戦、趙荘の戦、秦の殺す所の三晋の民数百万。今其の生くる者、皆秦の孤に死せし者なり。西河の外、上雒の地、三川は、晋国の禍にして、三晋の半ばなり。秦の禍此くの如く其れ大なるに、燕・趙の秦する者、皆秦に事うるを争うを以て其の主に説く、此れ臣の大いに患うる所なり」と。 燕昭王行かず、蘇代復た燕に重んぜらる。燕反りて諸侯に約して従親せしむること、蘇秦の時の如く、或いは従い或いは従わざれども、天下是に由りて蘇氏の従約を宗とす。代・厲皆寿を以て死し、名諸侯に顕る。
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史記 商君列伝其の明年、斉魏の兵を馬陵に敗る。其の明年、衛鞅孝公に説きて曰く、「秦の魏に与けるは、譬へば人の腹心の疾有るがごとし。魏秦を并せざれば、秦即ち魏を并せん。今魏往年大いに斉に破られ、諸侯之に畔く、此の時に因りて魏を伐つ可し」と。孝公以て然りと為し、衛鞅をして将ゐて魏を伐たしむ。魏、公子卬をして将ゐて之を撃たしむ。軍既に相ひ距つ。衛鞅、魏の将公子卬に書を遺りて曰く、「吾始め公子と驩ぶ。今俱に両国の将と為るも、相ひ攻むるに忍びず。公子と面相ひ見え、盟ひ、楽飲して兵を罷む可し」と。魏の公子卬以て然りと為す。会盟已はり、飲みて、衛鞅甲士を伏せて襲ひて魏の公子卬を虜にし、因りて其の軍を攻め、尽く之を破りて以て秦に帰る。魏の恵王恐れ、乃ち使ひをして河西の地を割きて秦に献じて以て和せしむ。魏遂に安邑を去りて大梁に徙都す。梁の恵王曰く、「寡人公叔座の言を用ゐざりしを恨む」と。衛鞅既に魏を破りて還り、秦之を商十五邑に封じ、号して商君と為す。
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呂氏春秋・長見⑥魏の公叔痤疾む。惠王往きて之を問いて曰く、「公叔の疾甚だし。將に社稷を奈何せんとす。」公叔對えて曰く、「臣の御庶子鞅、願わくは王、國を以て之に聽け。若し聽くこと能わずんば、境を出でしむること勿れ。」王應えず。出でて左右に謂いて曰く、「豈に悲しからずや。公叔の賢を以てして、今寡人に必ず國を以て鞅に聽けと謂う。悖れるかな。」公叔死す。公孫鞅西のかた秦に游ぶ。秦の孝公、之に聽く。秦果して用て彊く、魏果して用て弱まる。公叔痤の悖れるに非ざるなり。魏王則ち悖れるなり。夫れ悖れる者の患いは、固より悖らざるを以て悖れりと為す。