呂氏春秋 / 長攻③
楚王欲取息與蔡,乃先佯善蔡侯,而與之謀曰:“吾欲得息,奈何?”蔡侯曰:“息夫人,吾妻之姨也。吾請為饗息侯與其妻者,而與王俱,因而襲之。”楚王曰:“諾。”於是與蔡侯以饗禮入於息,因與俱,遂取息。旋,舍於蔡,又取蔡。
新字:楚王欲取息与蔡,乃先佯善蔡侯,而与之謀曰:“吾欲得息,奈何?”蔡侯曰:“息夫人,吾妻之姨也。吾請為饗息侯与其妻者,而与王倶,因而襲之。”楚王曰:“諾。”於是与蔡侯以饗礼入於息,因与倶,遂取息。旋,舎於蔡,又取蔡。
書き下し
楚王、息と蔡とを取らんと欲す。乃ち先づ佯りて蔡侯に善くし、而して之と謀りて曰く、「吾息を得んと欲す、奈何。」蔡侯曰く、「息の夫人は、吾が妻の姨なり。吾請う、為りに息侯と其の妻なる者とを饗し、而して王と俱にし、因りて之を襲わん。」楚王曰く、「諾。」是に於て蔡侯と饗禮を以て息に入り、因りて與俱に遂に息を取る。旋りて、蔡に舎し、又蔡を取る。
現代語訳
楚王が息と蔡を取ろうとした。そこでまず偽って蔡侯に親しくし、相談して言った。「私は息を手に入れたいが、どうすればよいか。」蔡侯は言った。「息の夫人は私の妻の姉妹です。私が息侯とその妻をもてなす宴を開き、王も同席させ、それに乗じて襲いましょう。」楚王は「よし」と言った。こうして蔡侯とともに宴の礼を装って息に入り、それに乗じてついに息を奪った。帰り道に蔡に泊まり、今度は蔡も奪った。
解説
楚王が蔡侯を欺いて協力させ、宴に乗じて息を奪い、その帰りに協力者の蔡までも奪った策略の話です。背景には、目的のためには同盟者すら欺いて利用するという冷徹な権謀があり、本篇が説く功を挙げるための巧みな攻略の一例として挙げられます。裏切りの片棒を担いだ蔡侯が結局同じ手で滅ぼされる皮肉が印象的です。現代でも、不義に加担すれば自らもその論理で報いを受けるという教訓、そして目先の利のために信義を犠牲にすることの危うさを示す挿話として読めます。
この章句が説くこと
楚王蔡侯息権謀裏切り長攻
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