呂氏春秋 / 長見⑥
魏公叔痤疾。惠王往問之,曰:“公叔之疾,嗟!疾甚矣!將奈社稷何?”公叔對曰:“臣之御庶子鞅,願王以國聽之也。為不能聽,勿使出境。”王不應,出而謂左右曰:“豈不悲哉?以公叔之賢,而今謂寡人必以國聽鞅,悖也夫!”公叔死,公孫鞅西游秦,秦孝公聽之,秦果用彊,魏果用弱,非公叔痤之悖也,魏王則悖也。夫悖者之患,固以不悖為悖。
新字:魏公叔痤疾。恵王往問之,曰:“公叔之疾,嗟!疾甚矣!将奈社稷何?”公叔対曰:“臣之御庶子鞅,願王以国聴之也。為不能聴,勿使出境。”王不応,出而謂左右曰:“豈不悲哉?以公叔之賢,而今謂寡人必以国聴鞅,悖也夫!”公叔死,公孫鞅西游秦,秦孝公聴之,秦果用彊,魏果用弱,非公叔痤之悖也,魏王則悖也。夫悖者之患,固以不悖為悖。
書き下し
魏の公叔痤疾む。惠王往きて之を問いて曰く、「公叔の疾甚だし。將に社稷を奈何せんとす。」公叔對えて曰く、「臣の御庶子鞅、願わくは王、國を以て之に聽け。若し聽くこと能わずんば、境を出でしむること勿れ。」王應えず。出でて左右に謂いて曰く、「豈に悲しからずや。公叔の賢を以てして、今寡人に必ず國を以て鞅に聽けと謂う。悖れるかな。」公叔死す。公孫鞅西のかた秦に游ぶ。秦の孝公、之に聽く。秦果して用て彊く、魏果して用て弱まる。公叔痤の悖れるに非ざるなり。魏王則ち悖れるなり。夫れ悖れる者の患いは、固より悖らざるを以て悖れりと為す。
現代語訳
魏の公叔痤が病にかかりました。恵王が見舞いに行って言いました、「公叔の病は重い。国家をどうしたらよいだろうか」。公叔は答えました、「私の家臣の御庶子である衛鞅、どうか王よ、国政を挙げて彼の言に従ってください。もし従えないのなら、決して彼を国境の外へ出してはなりません」。王は返事をしませんでした。退出してから側近に言いました、「なんと悲しいことか。あれほど賢明な公叔が、今この私に、国政をこぞって鞅に任せよと言う。血迷ったものだ」。公叔が死ぬと、公孫鞅は西の秦へ行きました。秦の孝公は彼の言を聞き入れ、秦は果たしてこれによって強くなり、魏は果たしてこれによって弱くなりました。公叔痤が血迷っていたのではありません。魏王こそが血迷っていたのです。そもそも血迷った者の困りものなところは、もともと正しい者を血迷っていると決めつけることにあります。
解説
この章句が説くこと
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