呂氏春秋 / 貴卒②
吳起謂荊王曰:「荊所有餘者地也,所不足者民也。今君王以所不足益所有餘,臣不得而為也。」於是令貴人往實廣虛之地,皆甚苦之。荊王死,貴人皆來,尸在堂上,貴人相與射吳起。吳起號呼曰:「吾示子吾用兵也。」拔矢而走,伏尸插矢而疾言曰:「群臣亂王。」吳起死矣。且荊國之法,麗兵於王尸者,盡加重罪,逮三族。吳起之智,可謂捷矣。
新字:吳起謂荊王曰:「荊所有余者地也,所不足者民也。今君王以所不足益所有余,臣不得而為也。」於是令貴人往実広虚之地,皆甚苦之。荊王死,貴人皆来,尸在堂上,貴人相与射吳起。吳起号呼曰:「吾示子吾用兵也。」抜矢而走,伏尸挿矢而疾言曰:「群臣乱王。」吳起死矣。且荊国之法,麗兵於王尸者,尽加重罪,逮三族。吳起之智,可謂捷矣。
書き下し
呉起、荊王に謂いて曰く、「荊、餘り有る所の者は地なり、足らざる所の者は民なり。今君王は足らざる所を以て、餘り有る所を益す。臣得て為さざるなり。」是に於て貴人をして往きて廣虚の地を實たさしむるに、皆甚だ之に苦しむ。荊王死し、貴人皆來たる。尸、堂上に在り。貴人相與に呉起を射る。呉起號呼して曰く、「吾、子に吾が兵を用うるを示さん。」矢を拔きて走り、尸に伏して矢を插みて疾言して曰く、「群臣、王に亂し、呉起死せり。」且つ荊國の法、兵を王の尸に麗くる者は、盡く重罪を加え、三族に逮ぶ。呉起の智、捷しと謂う可し。
現代語訳
呉起が荊王(楚の悼王)に言った。「楚に余っているのは土地で、足りないのは民です。今、君王が足りないもの(民)を割いて余っているもの(土地)を増やすようなことは、私にはできません。」そこで貴族たちに命じて広く空いた土地に移り住んで開拓させたところ、みな大いに苦しんだ。荊王が死ぬと、貴族たちがみなやって来た。遺体が堂上に安置されているところで、貴族たちがこぞって呉起を射た。呉起は叫んで「私がお前たちに私の用兵を見せてやろう」と言い、矢を抜いて走り、王の遺体に伏し、矢を(遺体に)挿して大声で「群臣が王に対して反乱し、呉起を殺した」と言った。呉起は死んだ。そして楚の法では、王の遺体に武器を突き立てた者は皆重罪に処し、三族にまで及ぶ。呉起の知恵は、機敏であったと言える。
解説
この章句が説くこと
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