呂氏春秋 / 行論⑤
楚莊王使文無畏於齊,過於宋,不先假道。還反,華元言於宋昭公曰:「往不假道,來不假道,是以宋為野鄙也。楚之會田也,故鞭君之僕於孟諸。請誅之。」乃殺文無畏於揚梁之隄。莊王方削袂,聞之曰:「嘻!」投袂而起,履及諸庭,劍及諸門,車及之蒲疏之市,遂舍於郊,興師圍宋九月。宋人易子而食之,析骨而爨之。宋公肉袒執犧,委服告病,曰:「大國若宥圖之,唯命是聽。」莊王曰:「情矣宋公之言也。」乃為卻四十里,而舍於盧門之闔,所以為成而歸也。凡事之本在人主,人主之患,在先事而簡人,簡人則事窮矣。今人臣死而不當,親帥士民以討其故,可謂不簡人矣。宋公服以病告而還師,可謂不窮矣。夫舍諸侯於漢陽而飲至者,其以義進退邪?彊不足以成此也。
新字:楚荘王使文無畏於斉,過於宋,不先仮道。還反,華元言於宋昭公曰:「往不仮道,来不仮道,是以宋為野鄙也。楚之会田也,故鞭君之僕於孟諸。請誅之。」乃殺文無畏於揚梁之堤。荘王方削袂,聞之曰:「嘻!」投袂而起,履及諸庭,剣及諸門,車及之蒲疏之市,遂舎於郊,興師囲宋九月。宋人易子而食之,析骨而爨之。宋公肉袒執犠,委服告病,曰:「大国若宥図之,唯命是聴。」荘王曰:「情矣宋公之言也。」乃為却四十里,而舎於盧門之闔,所以為成而帰也。凡事之本在人主,人主之患,在先事而簡人,簡人則事窮矣。今人臣死而不当,親帥士民以討其故,可謂不簡人矣。宋公服以病告而還師,可謂不窮矣。夫舎諸侯於漢陽而飲至者,其以義進退邪?彊不足以成此也。
書き下し
楚の莊王、文無畏をして齊に使いせしむ。宋を過ぐるに、先づ道を假らず。還反らんとするや、華元、宋の昭公に言いて曰く、「往きて道を假らず、來たりて道を假らざるは、是れ宋を以て野鄙と為すなり。楚の會田するや、故らに君の僕を孟諸に鞭うてり。請う之を誅せん。」乃ち文無畏を揚梁の隄に殺す。莊王方に袂を削し、之を聞きて曰く、「嘻。」袂を投じて起ち、履は諸を庭に及び、劍は諸を門に及び、車は之を蒲疏の市に及び、遂に郊に舎し、師を興して宋を圍むこと九月。宋人、子を易えて之を食らい、骨を析きて之を爨ぐ。宋公、肉袒して犧を執り、委服して病しめるを告ぐ、曰く、「大國若し之を宥圖せば、唯だ命を是れ聽かん。」莊王曰く、「情なるかな、宋公の言や。」乃ち為に卻くこと四十里にして、盧門の闔に舎す。成ぎを為して歸る所以なり。凡そ事の本は人主に在り、人主の患いは、事を先にして人を簡るに在り。人を簡れば則ち事窮す。今人臣死して當たらずとし、親ら士民を帥いて以て其の故を討ちしは、人を簡らずと謂う可し。宋公服して病しみを以て告げ、而して師を還ししは、窮せずと謂う可し。夫れ諸侯を漢陽に合して飲至せし者は、其れ義を以て進退すればなるか。彊以て此を成すに足らざるなり。
現代語訳
楚の荘王が文無畏を斉に使いさせた。宋を通るのに先に道を借りなかった。帰りにも道を借りなかった。華元が宋の昭公に言った、「行きも帰りも道を借りないのは、宋を辺鄙な地とみなすものです。楚がかつて狩りをしたとき、わざと君の御者を孟諸で鞭打ちました。どうか彼を誅殺しましょう」。そこで文無畏を揚梁の堤で殺した。荘王はちょうど袖を整えていたが、これを聞くと「ああ」と言い、袖を振って立ち上がり、履物は庭で、剣は門で、車は蒲疏の市でようやく追いつくほど急いで出発した。そして郊外に宿営し、軍を起こして宋を九月囲んだ。宋の人は子を交換して食べ、骨を割って炊いたほど窮乏した。宋公は肌脱ぎになって犠牲を捧げ、へりくだって服従し困窮を告げて言った、「大国がもしお許しくださるなら、ただご命令に従います」。荘王は「まことだな、宋公の言葉は」と言った。そこで宋のために四十里退いて、盧門の扉のところに宿営した。講和して帰ろうとしたのである。そもそも事の根本は君主にあり、君主の患いは、事を急いで人を侮ることにある。人を侮れば事は行き詰まる。今、臣下が殺されてその死を不当としない者はなく、みずから兵士や民を率いてその理由を討ったのは、人を侮らないと言える。宋公が服従し困窮を告げて軍を返したのは、行き詰まらせなかったと言える。そもそも諸侯を漢陽に集めて凱旋の宴をした者は、義によって進退したからだろう。武力だけではこれを成し遂げられないのだ。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『弁名』義人多く礼の先王の礼為るを知りて、義も亦た先王の義為るを知らず。故に其の解皆通ぜず。蓋し義は道の分なり。千差万別、各〻宜しき所有り。故に曰く、「義は宜なり」と。先王既に其の千差万別なる者を以て、制して以て礼と為す。学者猶ほ其の之を制する所以の意を伝ふ。是れ所謂礼の義なり。而して其の空言を以て伝ふる者、是れ所謂義なり。故に礼義は皆古より之を伝ふ。豈に先王の義に非ずや。
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『武士訓』卷三・第6段たとえば。人ありて。命を千貫萬貫にかへんかといふとも。かゆるものあるべからず。さほど大切なる命なれども。義によつて拋こと。塵よりも輕し。しかるときは。義ほどにおもきもの。世にあるべからず。源致雄歌に「いのちをばかろきになしてものゝふの道よりおもき道やらめやは(風雅集に見えたり。)
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『講孟余話』盡心上 第三十四章是れ上章「其の有に非ずして之を取るは義に非ず」と云ふに因りて、陳仲子の義、大義とするに足らず、只是れ簞食豆羹を舎つるの義なるを云ふ。陳仲子の事は、滕文公下篇末章に詳らかなり。仲子兄を避け母を離れ、吾が禄を食はず、これ親戚・君臣・上下を亡みするなり。已に人の大倫を外したる人なれば、他の小義は復た云ふに足る者なし。今斉国大なる如しと云へども、畢竟簞食豆羹と異なることなし。孟子論ずる所は物の大小に非ず、乃ち義の大小なり。是れを以て知るべし、聖人は人倫の至りにて、聖人の道は又人倫を以て大綱とす。受与の際に至りては、特に其の細目のみ。夷・斉の餓死する如くにして君臣の義あり、匡章の養はれざる如くにして、却つて父子の親ありと知るべし。
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『大和俗訓』巻之七・躬行下一君子の道は、すべき事を行ひ、すまじき事をせず。これ義なり。好むべき事を好み、好むまじき事を好まず。是善なり。君子の道はかくの如きのみ。是孟子の語意なり。一人の知は目のごとし。人の目はよく百里の外を見れども、わが睫を見がたし。人の智よく他人の悪を知れども、わが身の悪を知らず。人をみることは常に明なり。私なければなり。自ら見ることは常にくらし。私あればなり。ここを以て、人の過をせむる事はきびしく、わが悪をゆるす事はゆるやかなり。
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『五常訓』巻之四・義一中庸曰く、義は宜なり、賢を尊ぶを大なりと為す。朱子章句に云く、宜とは事理を分別して、各宜しき所有るなり。周子も、宜を義と曰ふ。釈名曰く、義は宜なり、事物を裁制して、宜しきに合はしむるなり。諸説皆宜しきを以て義とす。宜しきとは、万事万物の品にしたがひ、其理をわきまへて、相応するを云ふ。朱子は、義は心の制、事の宜といへり。制とは、たちわかつ意。裁判するなり。心の制とは、心中に善悪をわかつ所の理あるを云ふ。義の心にあるは、利刀の如し。物来れば、刀を以てたてば二となる。善悪を決断する事、かくの如し。是心の制なり。義の体とす。事之宜とは、諸事に相応して、其理の宜しきにしたがふを云ふ。是義の用とす。事之宜は、心の制ありて、善悪をたちわかちて後の事なり。人を愛するは仁なり。
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『晏子春秋』雑上・崔慶劫齊將軍大夫盟晏子不與崔杼既に莊公を弑して景公を立て、杼と慶封と之を相け、諸将軍大夫、及び顕士庶人を太宮の坎上に劫し、盟わざるを得ざらしむ。壇を為ること三仞、其の下を塪り、甲千を以て列ねて其の内外を環らす。盟う者皆剣を脱して入る。維だ晏子のみ肯んぜず、崔杼之を許す。敢えて盟わざる者有らば、戟其の頸を鉤し、剣其の心を承く。自ら盟わしめて曰く、「崔・慶に与せずして、公室に与する者は、其の不祥を受けん」と。言疾からず、指血に至らざる者は死す。殺す所七人。次いで晏子に及ぶ。晏子杯血を奉じ、天を仰ぎて歎じて曰く、「嗚呼。崔子は無道を為して其の君を弑す。公室に与せずして崔・慶に与する者は、此の不祥を受けん」と。俛して血を飲む。崔杼、晏子に謂いて曰く、「子、子の言を変えれば、則ち斉国は吾子と之を共にせん。子の言を変えざれば、戟既に脰に在り、剣既に心に在り、維だ子之を図れ」と。晏子曰く、「吾を劫すに刃を以てして其の志を失うは、勇に非ざるなり。吾を回すに利を以てして其の君に倍くは、義に非ざるなり。崔子、子独り夫の詩を為まざるか。詩に云う、『莫莫たる葛藟、条枚に施く。愷悌たる君子、福を求めて回ならず』と。今嬰且に以て回りて福を求む可けんや。曲刃もて之を鉤し、直兵もて之を推すとも、嬰は革まらず」と。

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