荀子 / 天論篇
地邪?曰:得地則生,失地則死,是又禹桀之所同也,禹以治,桀以亂;治亂非地也。《詩》曰:「天作高山,大王荒之。彼作矣,文王康之。」此之謂也。
新字:地邪?曰:得地則生,失地則死,是又禹桀之所同也,禹以治,桀以乱;治乱非地也。《詩》曰:「天作高山,大王荒之。彼作矣,文王康之。」此之謂也。
書き下し
地か。曰く、地を得れば則ち生き、地を失えば則ち死す。是れ又た禹桀の同じくする所なり。禹は以て治まり、桀は以て亂る。治亂は地に非ざるなり。詩に曰く、「天高山を作(な)し、大王(たいおう)之を荒(ひら)く。彼(か)れ作(おこ)し、文王之を康(やす)んず」と。此れ之(こ)れの謂いなり。
現代語訳
では、土地のせいだろうか。答えて言う。土地を得れば生き、土地を失えば死ぬ。これもまた禹の時代も桀の時代も同じであった。それでも禹の世は治まり、桀の世は乱れた。治乱は土地によるのではない。『詩経』に「天は高い山を造り、大王(古公亶父)がこれを開墾した。彼が事業を起こし、文王がこれを安んじた」とある。まさにこのことを言っているのだ。
解説
三度目の問答は土地についてです。土地を得れば生き、失えば死ぬ——その条件は禹の時代も桀の時代も同じでした。それでも結果は分かれた。だから治乱の原因は土地ではない、と荀子は結論します。天・時・地と、外部条件を三つ並べてすべて退けたわけです。締めくくりに引かれる『詩経』の句が印象的で、天が造ったのは「高い山」という素材にすぎません。それを切り開いたのは大王という人であり、安定させたのは文王という人でした。天が与えるのは条件、そこから何を築くかは人の仕事——この一句が天論篇全体の姿勢を凝縮しています。私たちの環境も、立地も、配られた資源も、それ自体は山と同じただの素材です。誰かが開き、誰かが安んじて、はじめて価値になる。条件を数え上げるより、開墾に取りかかるほうが早いのです。
この章句が説くこと
治乱は地に非ず天は素材を与える人が開き人が安んずる詩経
関連する章句
-
論語・八佾篇『関雎』は楽しくして淫せず、哀しくして傷(やぶ)らず。
-
孔子家語・論禮子夏、孔子に侍坐して曰わく、「敢えて問う、詩に云う、『愷悌の君子は、民の父母』と。何如なれば斯れ民の父母と謂うべきか。」孔子曰わく、「夫れ民の父母は、必ず礼楽の源に達し、以て五至を致し三無を行い、以て天下に横たわる。四方に敗有れば、必ず先んじてこれを知る。此れを民の父母と謂う。」
-
荀子・大略篇国風の色を好むや、伝に曰く、「其の欲を盈(み)たして其の止(とど)まるを愆(あやま)らず。其の誠は金石に比すべく、其の声は宗廟に内(い)るべし」と。小雅は汙上(をじょう)に用ゐられず、自ら引きて下に居り、今の政を疾(にく)みて以て往者を思ふ。其の言に文(あや)有り、其の声に哀しみ有り。
-
荀子・宥坐篇詩に曰く、「彼の日月を瞻(み)れば、悠悠たり我が思い。道の云(ここ)に遠き、曷(いつ)か云に能く来たらん」と。子曰く、「伊(そ)れ稽首(けいしゅ)せば、其れ来たること有らざらんや」と。
-
呂氏春秋・先己④詩に曰く、「轡を執ること組の如し。」孔子曰く、「此の言を審らかにすれば、以て天下を為む可し。」子貢曰く、「何ぞ其れ躁なるや。」孔子曰く、「其の躁なるを謂うに非ざるなり。其の之を此に為めて、文を彼に成すを謂えるなり。」聖人は其の身を組修して、文を天下に成す。故に子華子曰く、「丘陵成りて、穴する者安んじ、深淵成りて魚鱉安んじ、松柏成りて塗の人已に蔭せらる。」
-
孔子家語・曲禮子貢問晋、将に宋を伐たんとし、人をして之を覘わしむ。宋の陽門の介夫死し、司城子罕之を哭して哀しむ。覘う者反りて晋侯に言いて曰く、「陽門の介夫死し、子罕之を哭して哀しむ。民咸な宋を悦ぶ、殆ど未だ伐つべからざるなり」と。孔子之を聞きて曰く、「善いかな、国を覘うか。詩に云う、『凡そ民喪有れば、匍匐して之を救う』と。子罕焉れ有り。晋国に非ずと雖も、其れ天下孰か能く之に当たらんや。是を以て周任言有りて曰く、『民其の愛を悦ぶ者は、敵すべからず』と」と。