呂氏春秋 / 達鬱①
凡人三百六十節,九竅五藏六府。肌膚欲其比也,血脈欲其通也,筋骨欲其固也,心志欲其和也,精氣欲其行也,若此則病無所居而惡無由生矣。病之留、惡之生也,精氣鬱也。故水鬱則為污,樹鬱則為蠹,草鬱則為蕢。國亦有鬱。主德不通,民欲不達,此國之鬱也。國鬱處久,則百惡並起,而萬災叢至矣。上下之相忍也,由此出矣。故聖王之貴豪士與忠臣也,為其敢直言而決鬱塞也。
新字:凡人三百六十節,九竅五蔵六府。肌膚欲其比也,血脈欲其通也,筋骨欲其固也,心志欲其和也,精気欲其行也,若此則病無所居而悪無由生矣。病之留、悪之生也,精気鬱也。故水鬱則為污,樹鬱則為蠹,草鬱則為蕢。国亦有鬱。主徳不通,民欲不達,此国之鬱也。国鬱処久,則百悪並起,而万災叢至矣。上下之相忍也,由此出矣。故聖王之貴豪士与忠臣也,為其敢直言而決鬱塞也。
書き下し
凡そ人の三百六十節、九竅五藏六府、肌膚は其の比ならんことを欲し、血脈は其の通ぜんことを欲し、筋骨は其の固ならんことを欲し、心志は其の和せんことを欲し、精氣は其の行らんことを欲す。此の若ければ則ち病、居る所無くして、惡由りて生ずること無し。病の留まり、惡の生ずるは、精氣鬱すればなり。故に水鬱すれば則ち污を為し、樹鬱すれば則ち蠹を為し、草鬱すれば則ち蕢を為す。國も亦た鬱有り。主德通ぜず、民欲達せず。此れ國の鬱なり。國鬱して處ること久しければ、則ち百惡並び起こりて、萬災叢り至る。上下の相忍ぶや、此に由りて出づ。故に聖王の豪士と忠臣とを貴ぶや、其の敢て直言して鬱塞を決するが為なり。
現代語訳
そもそも人には三百六十の関節、九つの穴、五臓六腑がある。肌はきめ細かであることを、血脈は通じることを、筋骨は堅固であることを、心志は和らぐことを、精気は巡ることを望む。このようであれば病は居場所がなく、悪いものも生じる由がない。病が留まり悪が生じるのは、精気が鬱滞するからだ。だから水は鬱すれば汚れ、木は鬱すれば虫がわき、草は鬱すれば枯れる。国にもまた鬱がある。君主の徳が通じず、民の願いが達しない、これが国の鬱である。国が鬱して長く続けば、あらゆる悪がいっせいに起こり、万の災いが群がり至る。上下が互いに危害を加え合うのも、ここから生じる。だから聖王が豪士と忠臣を尊ぶのは、彼らが敢えて直言して鬱塞を打ち破るからである。
解説
この章句が説くこと
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