呂氏春秋 / 士節①
士之為人,當理不避其難,臨患忘利,遺生行義,視死如歸。有如此者,國君不得而友,天子不得而臣。大者定天下,其次定一國,必由如此人者也。故人主之欲大立功名者,不可不務求此人也。賢主勞於求人,而佚於治事。
新字:士之為人,当理不避其難,臨患忘利,遺生行義,視死如帰。有如此者,国君不得而友,天子不得而臣。大者定天下,其次定一国,必由如此人者也。故人主之欲大立功名者,不可不務求此人也。賢主労於求人,而佚於治事。
書き下し
士の人と為りや、理に當りては其の難を避けず、患いに臨みては利を忘れ、生を遺れて義を行い、死を視ること歸するが如し。此の如き者有れば、國君も得て友とせず、天子も得て臣とせず。大なる者は天下を定め、其の次は一國を定めむるは、必ず此の如き人に由る者なり。故に人主の大いに功名を立てんと欲する者は、此の人を求むることに務めざる可からざるなり。賢主は人を求むるに勞して、事を治むるに佚す。
現代語訳
士たる者の人柄は、道理にあたっては困難を避けず、災難に臨んでは私利を忘れ、命を投げ捨てて義を行い、死を見ることまるで家へ帰るかのようである。このような人物がいれば、国君も友とすることはできず、天子も臣下とすることはできない(それほど気概が高い)。大きくは天下を安定させ、次いでは一国を安定させるのは、必ずこのような人物によるのである。だから君主で大いに功名を立てようと望む者は、こうした人物を求めることに努めないわけにはいかない。賢明な君主は人材を求めるのに苦労するが、そのぶん政務を治めるのは楽になる。
解説
本段は「士節」篇の総論で、理想の士のあり方を掲げます。道理の前では困難を避けず、危機には利を忘れ、義のためには命も惜しまない――そうした気概ある人物は、君主でさえ気安く友や臣下にできないほど独立した存在だとされます。背景には、戦国期に君主が有能な人材を競って求めた時代状況があり、天下や一国の安定はそうした士に懸かると説かれます。結びの「賢主は人を求むるに勞して、事を治むるに佚す」は、良い人を得る苦労が後の政治を楽にするという逆説です。現代でも、優れた人材の登用に手間を惜しまない姿勢は組織運営の要諦として通じます。
この章句が説くこと
士節義節義人主賢主人材登用
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