呂氏春秋 / 髙義③
子墨子游公上過於越。公上過語墨子之義,越王說之,謂公上過曰:「子之師苟肯至越,請以故吳之地,陰江之浦,書社三百,以封夫子。」公上過往復於子墨子。子墨子曰:「子之觀越王也,能聽吾言、用吾道乎?」公上過曰:「殆未能也。」墨子曰:「不唯越王不知翟之意,雖子亦不知翟之意。若越王聽吾言、用吾道,翟度身而衣,量腹而食,比於賓萌,未敢求仕。越王不聽吾言、不用吾道,雖全越以與我,吾無所用之。越王不聽吾言、不用吾道,而受其國,是以義翟也,義翟何必越,雖於中國亦可。」凡人不可不熟論。秦之野人,以小利之故,弟兄相獄,親戚相忍;今可得其國,恐虧其義而辭之,可謂能守行矣;其與秦之野人相去亦遠矣。
新字:子墨子游公上過於越。公上過語墨子之義,越王説之,謂公上過曰:「子之師苟肯至越,請以故吳之地,陰江之浦,書社三百,以封夫子。」公上過往復於子墨子。子墨子曰:「子之観越王也,能聴吾言、用吾道乎?」公上過曰:「殆未能也。」墨子曰:「不唯越王不知翟之意,雖子亦不知翟之意。若越王聴吾言、用吾道,翟度身而衣,量腹而食,比於賓萌,未敢求仕。越王不聴吾言、不用吾道,雖全越以与我,吾無所用之。越王不聴吾言、不用吾道,而受其国,是以義翟也,義翟何必越,雖於中国亦可。」凡人不可不熟論。秦之野人,以小利之故,弟兄相獄,親戚相忍;今可得其国,恐虧其義而辞之,可謂能守行矣;其与秦之野人相去亦遠矣。
書き下し
子墨子、公上過を越に游ばしむ。公上過、墨子の義を語る、越王之を說び、公上過に謂いて曰く、「子の師苟くも肯て越に至らば、請う、故の吳に地なる陰江の浦、書社三百を以て、以て夫子に封ぜん。」公上過、往きて子墨子に復す。子墨子曰く、「子の越王を觀るや、能く吾が言を聽き、吾が道を用いんか。」公上過曰く、「殆ど未だ能わざるなり。」墨子曰く、「唯だ越王のみ翟の意を知らざるにあらず、子と雖も亦た翟の意を知らず。若し越王、吾が言を聽き、吾が道を用いなば、翟、身を度りて衣、腹を量りて食らい、賓萌に比すとも、未だ敢て仕を求めざらんや。越王、吾が言を聽かず、吾が道を用いずんば、越を全くして以て我に與うと雖も、吾、これを用うる所無し。越王、吾が言を聽かず、吾が道を用いずして、其の國を受くるは、是れ義を以て糶するなり。義もて糶せば何ぞ必ずしも越のみならん。中國に於いてすと雖も亦た可なり。」凡そ人は熟論せざる可からず。秦の野人、小利の故を以て、弟兄相獄し、親戚相忍ぶ。今其の國を得可くして、其の義を虧かんことを恐れて之を辭す。能く行いを守ると謂う可し。其の秦の野人と相去ること亦た遠し。
現代語訳
墨子は弟子の公上過を越に遊説させた。公上過が墨子の義を説くと、越王は喜び、「あなたの師がもし越に来てくれるなら、かつての呉の地である陰江のほとり、五百戸相当を三百も先生に与えて封じよう」と言った。公上過が戻って伝えると、墨子は問うた。「あなたの見立てでは、越王は私の言を聴き、私の道を用いるだろうか」。公上過が「おそらくまだ無理でしょう」と答えると、墨子は言った。「越王だけでなく、あなたも私の心を分かっていない。もし越王が私の言を聴き道を用いるなら、私は身の丈に合わせて着、腹に合わせて食べ、一般の民並みでも、あえて仕官を求めはしまい。逆に私の言も道も用いないのに越全土を私に与えられても、私には使い道がない。道を用いぬまま国を受けるのは、義を売り物にすることだ。義を売るなら何も越に限るまい、中国のどこでも同じことだ」と。およそ人はよく考えねばならない。秦の田舎者は小さな利のために兄弟が争い訴え、親戚が互いに耐え忍ぶ。ところが墨子は一国を得られるのに、義を損なうのを恐れて辞退した。よく行いを守ったといえる。秦の田舎者とは大きな隔たりである。