呂氏春秋 / 髙義④
荊人與吳人將戰,荊師寡,吳師眾,荊將軍子囊曰:「我與吳人戰,必敗。敗王師,辱王名,虧壤土,忠臣不忍為也。」不復於王而遁。至於郊,使人復於王曰:「臣請死。」王曰:「將軍之遁也,以其為利也。今誠利,將軍何死?」子囊曰:「遁者無罪,則後世之為王將者,皆依不利之名而效臣遁。若是則荊國終為天下撓。」遂伏劍而死。王曰:「請成將軍之義。」乃為之桐棺三寸,加斧鑕其上。人主之患,存而不知所以存,亡而不知所以亡,此存亡之所以數至也。郼、岐之廣也,萬國之順也,從此生矣。荊之為四十二世矣,嘗有乾谿、白公之亂矣,嘗有鄭襄、州侯之避矣,而今猶為萬乘之大國,其時有臣如子囊與?子囊之節,非獨厲一世之人臣也。
新字:荊人与呉人将戦,荊師寡,呉師衆,荊将軍子嚢曰:「我与呉人戦,必敗。敗王師,辱王名,虧壤土,忠臣不忍為也。」不復於王而遁。至於郊,使人復於王曰:「臣請死。」王曰:「将軍之遁也,以其為利也。今誠利,将軍何死?」子嚢曰:「遁者無罪,則後世之為王将者,皆依不利之名而効臣遁。若是則荊国終為天下撓。」遂伏剣而死。王曰:「請成将軍之義。」乃為之桐棺三寸,加斧鑕其上。人主之患,存而不知所以存,亡而不知所以亡,此存亡之所以数至也。郼、岐之広也,万国之順也,従此生矣。荊之為四十二世矣,嘗有乾谿、白公之乱矣,嘗有鄭襄、州侯之避矣,而今猶為万乗之大国,其時有臣如子嚢与?子嚢之節,非独厲一世之人臣也。
書き下し
荊人、吳人と將に戰わんとす。荊の師寡く、吳の師衆し。荊の將軍子囊曰く、「我、吳人と戰わば、必ず敗れん。王の師を敗り、王の名を辱しめ、壤土を虧くは、忠臣、為すに忍びざるなり。」王に復さずして遁れ、郊に至り、人をして王に復さしめて曰く、「臣請う死せん。」王曰く、「將軍の遁れたるは、其の利為るを以てなり。今誠に利ならば、將軍何ぞ死せん。」子囊曰く、「遁るる者罪無くんば、則ち後世の王の臣為る者、皆不利の名に依りて、臣の遁れたるに效わんとす。是きの若くなれば則ち荊國終に天下に撓められん。」遂に劍に伏して死す。王曰く、「請う將軍の義を成さん。」乃ち之に桐棺三寸を為り、斧鑕を其の上に加う。人主の患は存すれども、存する所以を知らず、亡ぶれども亡ぶる所以を知らず。此れ存亡の數々至る所以なり。郼・岐の廣さにして、萬國の順いしは、此れ從り生ず。荊の國を為すこと四十二世、嘗て乾谿・白公の亂有り、嘗て鄭襄・州侯の避有り、而も今も猶ほ萬乘の大國為るは、其の時臣に子囊の如きもの有ればなりしか。子囊の節は、獨り一世の人臣を厲ますのみに非ざるなり。
現代語訳
荊(楚)人が呉人と戦おうとした。荊の軍は少なく呉の軍は多い。荊の将軍子囊は言った。「私が呉人と戦えば必ず敗れる。王の軍を敗り、王の名を辱め、領土を損なうのは、忠臣として忍びない」と。そこで王に報告せず退却し、郊外に至って使者に王へ伝えさせた。「臣は死を願います」。王は「将軍が退いたのは有利だと考えたからだ。本当に有利なら、将軍はなぜ死ぬのか」と言った。子囊は答えた。「退却した者が罪に問われなければ、後世に王の将となる者は皆、不利を口実に私の退却をまねるでしょう。そうなれば荊国は結局天下に押し弱められます」。そして剣に伏して死んだ。王は「将軍の義を成し遂げさせよう」と、三寸の桐の棺を作り、その上に斧と刑台を加えた。君主の憂いは、存続していてもなぜ存続するかを知らず、滅んでもなぜ滅ぶかを知らないことだ。これが存亡がたびたび訪れる理由である。殷や周が広大となり万国が従ったのも、そこから生じた。荊が国として四十二代続き、かつて乾谿や白公の乱があり、鄭襄や州侯が退く事件もあったのに、今なお万乗の大国であるのは、その時々に子囊のような臣がいたからだろう。子囊の節操は、ただ一代の臣を励ますだけではないのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
説苑・立節楚人将に呉人と戦わんとす。楚兵寡くして呉兵衆し。楚の将軍子囊曰わく、「我此の国を撃たば必ず敗れん。君を辱め地を虧く、忠臣忍びて為さざるなり」と。君に復せずして、兵を黜けて退く。国郊に至り、人をして君に復せしめて曰わく、「臣死を請う」と。君曰わく、「子大夫の遁るるは、以て利と為せばなり。而して今誠に利あり、子大夫死する毋かれ」と。子囊曰わく、「遁るる者罪無くんば、則ち後世君臣為る者、皆不利の名を入れて臣の遁るるに効わん。是くの若くんば則ち楚国終に天下の弱と為らん。臣死を請う」と。退きて剣に伏す。君曰わく、「誠に此くの如くんば、請う子大夫の義を成さん」と。乃ち桐棺三寸を為り、斧質を其の上に加え、以て国に於けす。
-
『春秋左氏伝』襄公十四年 子囊の忠秋、楚子庸浦の役の故を為て、子囊棠に師して以って吳を伐つ。吳出でずして還る。子囊殿す。吳を以って能はずと為して儆めず。吳人皋舟の隘より要して之を擊つ。楚人相救ふ能はず。吳人之を敗り、楚の公子宜穀を獲。王劉定公をして齊侯に賜はしめ、命じて曰く、「昔伯舅大公、我が先王を右け、周室に股肱たり、萬民に師保たり。世々大師に胙して、以って東海に表す。王室の壞れざるは、繄れ伯舅是れ賴る。今余女環に命ず。茲に舅氏の典に率ひ、乃の祖考を纂ぎ、乃の舊を忝むること無かれ。之を敬めよや。朕が命を廢すること無かれ」と。晉侯衛の故を中行獻子に問ふ。對へて曰く、「因りて之を定むるに如かず。衛に君有り。之を伐つも、未だ以って志を得べからずして、諸侯を勤れしめん。史佚言へる有りて曰く、『重きに因りて之を撫す』と。仲虺言へる有りて曰く、『亡ぶる者は之を侮り、亂るる者は之を取る』と。亡を推し存を固むるは、國の道なり。君其れ衛を定めて以って時を待たんか」と。冬、戚に會す。衛を定めんことを謀るなり。范宣子羽毛を齊に假りて歸さず。齊人始めて貳す。楚の子囊吳を伐つより還りて卒す。將に死せんとして、遺言して子庚に必ず郢に城けと謂ふ。君子謂ふ、「子囊は忠なり。君薨じて其の名を增すを忘れず、將に死せんとして社稷を衛るを忘れず。忠と謂はざるべけんや。忠は民の望なり。詩に曰く、『行きて周に歸す、萬民の望む所』と。忠なり」と。
-
呂氏春秋・貴卒②呉起、荊王に謂いて曰く、「荊、餘り有る所の者は地なり、足らざる所の者は民なり。今君王は足らざる所を以て、餘り有る所を益す。臣得て為さざるなり。」是に於て貴人をして往きて廣虚の地を實たさしむるに、皆甚だ之に苦しむ。荊王死し、貴人皆來たる。尸、堂上に在り。貴人相與に呉起を射る。呉起號呼して曰く、「吾、子に吾が兵を用うるを示さん。」矢を拔きて走り、尸に伏して矢を插みて疾言して曰く、「群臣、王に亂し、呉起死せり。」且つ荊國の法、兵を王の尸に麗くる者は、盡く重罪を加え、三族に逮ぶ。呉起の智、捷しと謂う可し。
-
国語・楚語上恭王疾(やまい)有り、大夫を召して曰く、「不穀(ふこく)不徳にして、先君の業を失い、楚国の師を覆す。不穀の罪なり。若し其の首領を保ちて以て歿するを得ば、唯だ是の春秋に先君に従う所以の者は、請う『霊』若しくは『厲』と為せ」と。大夫許諾す。 王卒し、葬るに及びて、子囊(しのう)諡(おくりな)を議す。大夫曰く、「王命有り」と。子囊曰く、「不可なり。夫れ君に事うる者は、其の善を先にして其の過ちに従わず。赫赫たる楚国にして、君之に臨み、南海を撫征し、訓え諸夏に及ぶ。其の寵大なり。是の寵有りて、其の過ちを知る、『恭』と謂わざるべけんや。若し先君の善ならば、則ち請う『恭』と為さん」と。大夫之に従う。
-
『春秋左氏伝』成公十六年 子反の死旦にして戰ひ、星を見るも未だ已まず。子反軍吏に命じて夷傷を察し、卒乘を補ひ、甲兵を繕ひ、車馬を展べ、雞鳴にして食し、唯だ命を是れ聽かしむ。晉人之を患ふ。苗賁皇徇へて曰く、「乘を蒐め卒を補ひ、馬に秣ひ兵を利くし、陳を脩め列を固くし、蓐食して禱を申ね、明日復た戰はん」と。乃ち楚の囚を逸す。王之を聞き、子反を召して謀らんとす。穀陽豎飲を子反に獻ず。子反醉ひて見ゆる能はず。王曰く、「天楚を敗るかな。余以って待つ可からず」と。乃ち宵に遁る。晉楚の軍に入り、三日穀す。范文子戎馬の前に立ちて曰く、「君幼く、諸臣不佞なり。何を以ってか此に及べる。君其れ之を戒めよ。周書に曰く、『惟れ命は常に于てせず』と。德有るの謂なり」と。楚の師還りて、瑕に及ぶ。王子反に謂はしめて曰く、「先大夫の師徒を覆せし者は、君在らざりき。子以って過と為す無かれ。不穀の罪なり」と。子反再拜稽首して曰く、「君臣に死を賜ふ、死して且つ朽ちず。臣の卒實に奔る。臣の罪なり」と。子重復た子反に謂ひて曰く、「初め師徒を隕せし者は、而も亦た之を聞けり。盍ぞ之を圖らざる」と。對へて曰く、「先大夫之有る微しと雖も、大夫側に命ず、側敢へて義ならざらんや。側君の師を亡ふ、敢へて其の死を忘れんや」と。王之を止めしむ。及ばずして卒す。戰の日、齊の國佐・高無咎、師に至る。衞侯衞を出づ。公壞隤を出づ。
-
『智囊』知微・臧孫子斉が宋を攻め、宋は臧孫子を南の荊に遣わして救いを求めさせた。荊王は大いに悦び、これを救うことを許し、甚だ歓んだ。臧孫子は憂えて反った。其の御者は曰く、「救いを索めて得られたのに、子に憂色が有るのは、なぜですか」と。臧孫子は曰く、「宋は小さく斉は大きい。小宋を救うために大斉を患うことは、人の憂える所である。しかるに荊王は悦んでいる。これは必ず我を堅くしようとするためである。我が堅くなれば斉は敝れる、これは荊の利とする所である」と。臧孫子が帰ると、斉は宋の五城を抜き、荊の救いは至らなかった。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る