呂氏春秋 / 離俗①
──世之所不足者,理義也;所有餘者,妄苟也。民之情,貴所不足,賤所有餘。故布衣人臣之行,潔白清廉中繩,愈窮愈榮。雖死,天下愈高之,所不足也。然而以理義斲削,神農、黃帝,猶有可非,微獨舜、湯。飛兔、要褭,古之駿馬也,材猶有短。故以繩墨取木,則宮室不成矣。
新字:──世之所不足者,理義也;所有余者,妄苟也。民之情,貴所不足,賤所有余。故布衣人臣之行,潔白清廉中縄,愈窮愈栄。雖死,天下愈高之,所不足也。然而以理義斲削,神農、黄帝,猶有可非,微独舜、湯。飛兔、要褭,古之駿馬也,材猶有短。故以縄墨取木,則宮室不成矣。
書き下し
世の足らざる所の者は、理義なり。餘り有る所の者は、妄苟なり。民の情、足らざる所を貴び、餘り有る所を賤しむ。故に布衣人臣の行い、潔白清廉にして繩に中れば、愈々窮し愈々榮え、死すと雖も、天下愈々之を高しとするは、足らざる所なればなり。然れども理義を以て斲削すれば、神農・黃帝も猶ほ非とす可き有り。獨り舜・湯のみに微ず。飛兔・要褭は古の駿馬なるも、材は猶ほ短なる有り。故に繩墨を以て木を取れば、則ち宮室成らず。
現代語訳
世に不足しているのは道理と正義であり、有り余っているのはいい加減な言動である。人の心は不足しているものを貴び、有り余るものを軽んじる。だから庶民や臣下の行いが清廉で規範にかなえば、困窮するほどかえって栄誉を得て、死んでも人々はますますそれを高く評価する。不足しているものだからだ。しかし道理と正義で厳しく突き詰めれば、神農や黄帝でさえ非難すべき点があり、舜や湯だけが例外ではない。飛兔や要褭は古の駿馬だが、その素材にも短所はある。だから墨縄の基準だけで木材を選べば、宮殿は建たないのである。
解説
この段は理義という希少なものほど尊ばれる一方、それを絶対の物差しにする危うさを説きます。清廉の士が窮しても称えられるのは、正義が世に不足しているからだという逆説を示します。背景には、完璧な人材や規範を求めすぎる為政者への戒めがあり、聖人や名馬にも欠点があるという例で、基準を厳格化しすぎれば有用なものまで排除されると論じます。現代の組織運営でも、減点主義で完璧を求めれば人は育たず、適材適所の登用ができません。長所を活かす発想の大切さを教えてくれます。
この章句が説くこと
理義無私清廉布衣人臣縄墨繩墨
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