呂氏春秋 / 應言③
司馬喜難墨者師於中山王前以非攻,曰:「先生之所術非攻夫?」墨者師曰:「然。」曰:「今王興兵而攻燕,先生將非王乎?」墨者師對曰:「然則相國是攻之乎?」司馬喜曰:「然。」墨者師曰:「今趙興兵而攻中山,相國將是之乎?」司馬喜無以應。
新字:司馬喜難墨者師於中山王前以非攻,曰:「先生之所術非攻夫?」墨者師曰:「然。」曰:「今王興兵而攻燕,先生将非王乎?」墨者師対曰:「然則相国是攻之乎?」司馬喜曰:「然。」墨者師曰:「今趙興兵而攻中山,相国将是之乎?」司馬喜無以応。
書き下し
司馬喜、墨者師を中山王の前に難ずるに非攻を以てす。曰く、「先生の術とする所は非攻なるか。」墨者師曰く、「然り。」曰く、「今王、兵を興して燕を攻む。先生將に王を非とせんとするか。」墨者師對えて曰く、「然らば則ち相國は之を攻むるを是とするか。」司馬喜曰く、「然り。」墨者師曰く、「今趙、兵を興して中山を攻む。相國將に之を是とするか。」司馬喜以て應うる無し。
現代語訳
司馬喜が中山王の前で墨家の師を非攻の説をもって難詰した。「先生が奉じる教えは非攻ですか」と問うと、墨家の師は「そうです」と答えた。「今、王が兵を起こして燕を攻めている。先生は王を非とするのか」と問うと、墨家の師は答えた、「では宰相はこの攻撃を是とするのですか。」司馬喜が「そうだ」と言うと、墨家の師は言った、「今、趙が兵を起こして中山を攻めている。宰相はこれを是とするのですか。」司馬喜は返す言葉がなかった。
解説
この段は、宰相司馬喜が墨家の非攻の説を突いて論難したところ、墨家の師が同じ論法を逆用して切り返す話です。攻撃を是とするなら、自国の中山を攻める趙をも是とせねばならないと問い返され、司馬喜は答えに窮しました。要点は、他者の主義を攻撃する論理が、そのまま自分に跳ね返ってくることです。相手を追い込む論法の危うさを扱う応言篇の主題が背景にあります。非攻を掲げる墨家が、自らの立場を守りつつ論敵の矛盾を突く手際も見どころです。現代でも、他人の原則を攻撃する議論は、自分の言動が同じ基準で問われる覚悟を要します。ダブルスタンダードを避け、論の一貫性を保つことの大切さを教える一段です。
この章句が説くこと
司馬喜墨者師中山非攻論理の逆用一貫性
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