呂氏春秋 / 審應③
魏惠王使人謂韓昭侯曰:「夫鄭乃韓氏亡之也,願君之封其後也,此所謂存亡繼絕之義,君若封之則大名。」昭侯患之。公子食我曰:「臣請往對之。」公子食我至於魏,見魏王曰:「大國命弊邑封鄭之後,弊邑不敢當也。弊邑為大國所患,昔出公之後聲氏為晉公,拘於銅鞮,大國弗憐也,而使弊邑存亡繼絕,弊邑不敢當也。」魏王慚曰:「固非寡人之志也,客請勿復言。」是舉不義以行不義也。魏王雖無以應,韓之為不義愈益厚也。公子食我之辯,適足以飾非遂過。
新字:魏恵王使人謂韓昭侯曰:「夫鄭乃韓氏亡之也,願君之封其後也,此所謂存亡継絶之義,君若封之則大名。」昭侯患之。公子食我曰:「臣請往対之。」公子食我至於魏,見魏王曰:「大国命弊邑封鄭之後,弊邑不敢当也。弊邑為大国所患,昔出公之後声氏為晉公,拘於銅鞮,大国弗憐也,而使弊邑存亡継絶,弊邑不敢当也。」魏王慚曰:「固非寡人之志也,客請勿復言。」是舉不義以行不義也。魏王雖無以応,韓之為不義愈益厚也。公子食我之弁,適足以飾非遂過。
書き下し
魏の惠王、人をして韓の昭侯に謂わしめて曰く、「夫れ鄭は乃ち韓氏之を亡ぼせるなり。願わくは君の其の後を封ぜんことを。此れ所謂亡びたるを存し絶えたるを繼ぐの義なり。君若し之を封ぜば則ち大名たらん。」昭侯之を患う。公子食我曰く、「臣請う、往きて之に對えん。」公子食我、魏に至り、魏王に見えて曰く、「大國、弊邑に鄭の後を封ぜんことを命ずるも、弊邑敢て當らざるなり。弊邑、大國の患う所と為らん。昔出公の後、聲氏、晉公と為り、銅鞮に拘わるるに、大國憐れまざるなり。而るに弊邑をして亡びたるを存し絶えたるを繼がしむ。弊邑敢て當らざるなり。」魏王慚ぢて曰く、「固より寡人の志に非ざるなり。客請う、復た言う勿れ。」是れ不義を舉げて以て不義を行うなり。魏王以て應うる無しと雖も、韓の不義を為すこと、愈々益々厚きなり。公子食我の辯は、適々以て非を飾り過を遂ぐるに足る。
現代語訳
魏の恵王が使者を韓の昭侯にやって言わせた、「そもそも鄭は韓氏が滅ぼしたのだ。どうかあなたが鄭の後継者を諸侯に封じてほしい。これこそ滅んだ家を存続させ絶えた血統を継ぐという義であり、あなたが封じれば大きな名声を得られよう。」昭侯はこれを困った。公子食我が「私が行って応対しましょう」と申し出て、魏へ赴き魏王に会って言った、「大国が我が国に鄭の後継を封じよと命じられますが、我が国にはできかねます。かつて晋の出公の子孫である声氏が晋公となって銅鞮に囚われたとき、大国は憐れみませんでした。それなのに我が国に滅亡した家を存続させよと言われても、引き受けられません。」魏王は恥じ入り、「もとより私の本意ではない。もう言うな」と言った。これは不義を持ち出して不義を行ったものである。魏王は返す言葉がなかったが、韓が不義を働いた度合いはいよいよ増した。公子食我の弁論は、ちょうど非を飾り過ちを押し通すのに役立っただけである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
戦国策・韓公叔有齊魏韓の公叔、斉・魏を有し、太子は楚・秦を有して以て国を争う。鄭申、楚の為に韓に使いし、矯めて新城・陽人を以て太子に予う。楚王怒りて、将に之を罪せんとす。対えて曰わく、「臣矯めて之を予えしは、以て国の為なり。臣太子の為に新城・陽人を得しめ、以て公叔と国を争いて之を得しめたり。斉・魏必ず韓を伐たん。韓氏急ならば、必ず命を楚に懸けん、又何ぞ新城・陽人の敢えて求めんや。太子勝たずとも、然れども死せず、今将に冠を倒しまにして至らんとす、又安くんぞ敢えて地を言わんや。」楚王曰わく、「善し。」乃ち罪せず。
-
戦国策・謂鄭王鄭王に謂いて曰く、「昭釐侯は、一世の明君なり。申不害は、一世の賢士なり。韓と魏とは敵侔の國なり、申不害昭釐侯と珪を執りて梁君に見ゆるは、卑を好みて尊を惡むに非ず、慮過ちて議失するに非ざるなり。申不害の事を計るや、曰く、『我魏に珪を執らば、魏君必ず志を韓に得て、必ず外天下に靡かん、是れ魏弊るるなり。諸侯魏を惡みて必ず韓に事えん、是れ我一人の下を免れて、萬人の上に信ぜらるるなり。夫れ魏の兵を弱め、韓の權を重くするは、魏に朝するに如くは莫し』と。昭釐侯聽きて之を行う、明君なり。申不害事を慮りて之を言う、忠臣なり。今の韓は始の韓より弱く、今の秦は始の秦より強し。今秦梁君の心有り、而して王と諸臣秦を尊びて韓を定むるを事とせざる者は、臣竊かに以為らく王の明昭釐侯に如かず、王の諸臣の忠申不害に若く莫しと。「昔者穆公一たび韓原に勝ちて西州に霸たり、晉の文公一たび城濮に勝ちて天下を定む、此れ一勝を以て尊令を立て、功名を天下に成す。今秦數世強し、大勝千を以て數え、小勝百を以て數うるも、大にして王たらず、小にして霸たらず、名尊立つる所無く、制令行わるる所無し、然れども春秋兵を用うる者は、以て主の尊きを求め名を天下に成すに非ざるなり。昔先王の攻めるや、名の為にする者有り、實の為にする者有り。名の為にする者は其の心を攻め、實の為にする者は其の形を攻む。昔者呉と越と戰い、越人大いに敗れ、會稽の上に保つ。呉人越に入りて戶ごとに之を撫す。越王大夫種をして呉に行成せしめ、男は臣と為り、女は妾と為り、身禽を執りて諸御に隨わんことを請う。呉人果たして其の辭を聽き、成を與うるも盟わず、此れ其の心を攻むる者なり。其の後越呉と戰い、呉人大いに敗れ、亦男は臣と為り、女は妾と為らんことを請い、反りて越の呉に事うるの禮を以て越に事えんとす。越人聽かず、遂に呉國を殘いて夫差を禽にす、此れ其の形を攻むる者なり。今將に其の心を攻めんとするか、宜しく呉の如くならしむべし。其の形を攻めんとするか、宜しく越の如くならしむべし。夫れ形を攻むるは越に如かず、心を攻むるは呉に如かず、而して君臣・上下・少長・貴賤、畢く霸王を呼ぶは、臣竊かに以て猶井中に之きて謂いて曰わく、『我將に爾が為に火を求めんとす』と言うがごとしと為す。「東孟の會、聶政・陽堅相兼君を刺す。許異哀侯を蹴りて之を殪し、立てて鄭君と為す。韓氏の眾令を聽かざる者無きは、則ち許異之が先を為ればなり。是の故に哀侯君と為り、而して許異終身相たり。而して韓氏の許異を尊ぶや、猶其の哀侯を尊ぶがごとし。今日鄭君と為るを得可からざるも、終身之に相たりと雖も、然れども吾為さずと云う者、豈過謀を為すに非ざらんや。昔齊の桓公九たび諸侯を合するも、未だ嘗て周の襄王の命を以てせずんばあらず。然らば則ち襄王を尊ぶと雖も、桓公も亦霸を定む。九合の桓公を尊ぶや、猶其の襄王を尊ぶがごとし。今日天子と為るを得可からざるも、桓公と為ると雖も吾為さずと云う者、豈過謀にして尊を知らざるを為すに非ざらんや。韓氏の士數十萬、皆哀侯を戴きて以て君と為すも、許異獨り相を取る者は、他無し。諸侯の君、周室に事を任ぜざる無きも、桓公獨り霸を取る者も、亦他無し。今強國將に帝王の亹有らんとし、而して國を以て先んずる者は、此れ桓公・許異の類なり。豈善謀と謂わざる可けんや。夫れ強國の利に先んじ與するは、強國能く王たれば、則ち我必ず之が霸為らん。強國王たる能わずんば、則ち以て其の兵を辟け、之をして我を伐つ無からしむ可し。然らば則ち強國の事成らば、則ち我帝を立てて霸たらん。強國の事成らずとも、猶之れ我を厚德せん。今強國に與するに、強國の事成らば則ち福有り、成らずんば則ち患無し、然らば則ち強國に先んじ與する者は、聖人の計なり。」
-
呂氏春秋・不屈③匡章、惠子に魏王の前に謂いて曰く、「蝗螟は、農夫得れば而ち之を殺す、奚の故ぞや。其の稼を害するが爲なり。今公行くに、多き者は數百乘、步者數百人。少き者は數十乘、步者數十人。此れ耕すこと無くして食らう者なり。其の稼を害すること亦た甚だし。」惠王曰く、「惠子施や、辭を以て公と相應じ難し。然りと雖も、請う、其の志を言え。」惠子曰く、「今の城く者、或者は大築を城上に操り、或いは畚を負いて城下に赴き、或いは表掇を操りて以て善く睎望す。施の若き者は、其れ表掇を操る者なり。工女をして化して絲と爲らしめば、絲を治むること能わず。大匠をして化して木と爲さしめば、木を治むること能わず。聖人をして化して農夫と爲さば、農夫を治むること能わず。施は而ち農夫を治むる者なり。公、何事か施を螣螟に比するや。」惠子の治、魏、本と爲せども、其の治は治まらず。惠王の時に當りて、五十たび戰いて二十たび敗れ、殺さるる所の者は勝げて數う可からず。大將愛子に禽わるる者有るなり。大術の愚、天下の笑いと爲り、其の諱を舉ぐるを得。乃ち請いて、周の太史をして更に其の名を著わさしむ。邯鄲を圍むこと三年にして取ること能わず。士民罷潞し、國家空虚し、天下の兵四より至る。衆庶誹謗し、諸侯譽せず。翟翦に謝して更めて其の謀を聽きて、社稷乃ち存すれども、名寶散出し、土地四に削られ、魏國此れ從り衰う。仲父は大名なり。讓國は大實なり。說は以て聽かれず信ぜられず。聽かるれば而ち此の若し。工と謂う可からず。工ならずして治むるは、天下を賊うこと焉より大なるは莫し。幸にして獨り魏に聽かるるのみなり。天下を賊うを以て實と爲し、之を治むるを以て名と爲す。匡章の非とする、亦た可ならずや。
-
戦国策・韓公叔與幾瑟爭國鄭強為楚王使於韓韓の公叔幾瑟と國を爭う。鄭強楚王の為に韓に使いし、矯りて新城・陽人を以て世子に合し、以て公叔と國を爭わしむ。楚怒りて、將に之を罪せんとす。鄭強曰く、「臣の矯りて之に與うるは、國の為なり。臣曰く、世子新城・陽人を得て、以て公叔と國を爭い、全きを得ば、魏必ず韓氏を急にせん。韓氏急ならば、必ず命を楚に縣けん、又何ぞ新城・陽人敢えて索めんや。若し戰いて勝たず、走りて死せずんば、今且に以て至らんとす、又安んぞ敢えて地を言わんや。」楚王曰く、「善し。」乃ち罪せず。
-
戦国策・韓氏逐向晉於周韓氏向晉を周に逐う、周の成恢之が為に魏王に謂いて曰く、「周必ず寬にして之を反さん、王何ぞ之が為に先んじて言わざる、是れ王向晉を周に有するなり。」魏王曰く、「諾。」成恢因りて韓王の為に謂いて曰く、「向晉を逐いし者は韓なり、而して之を還す者は魏なり、豈に韓を道びきて之を反すに如かんや。是れ魏向晉を周に有して、韓王之を失うなり。」韓王曰く、「善し。」亦因りて之を復せんことを請う。
-
呂氏春秋・無義②公孫鞅の秦に於けるや、父兄なるに非ず、故有るに非ず、能を以て用いられしなり。之が責を堙がんと欲すれば、攻に非ずんば以てすること無きなり。是に於て秦の將と為りて魏を攻む。魏、公子卬をして將として之に當たらしむ。公孫鞅の魏に居りしとき、固より公子卬に善し。人をして公子卬に謂わしめて曰く、「凡そ游を為して貴ならんと欲する所の者は、公子の故を以てなり。今、秦は鞅をして將たらしめ、魏は公子をして之に當たらしむ。豈に且に相與に戰うことに忍びんや。公子、之を公子の主に言え、鞅も亦た之を主に言いて、皆軍を罷めんと請う。」是に於て將に歸らんとす。人をして公子に謂わしめて曰く、「歸らば未だ時の相見ること有らじ。願わくは、公子と坐して相去別せん。」公子曰く、「諾。」魏の吏、之を爭いて曰く、「不可なり。」公子聽かず。遂に相與に坐ず。公孫鞅因りて卒と車騎とを伏して以て公子卬を取る。秦の孝公薨じ、惠王立つ。此を以て公孫鞅の行を疑い、罪を加えんと欲す。公孫鞅、其の私屬と母とを以て魏に歸せんとす。襄疵受けずして曰く、「君の公子卬に反するを以てや、吾君を知るに道無し。」故に士の自ら行うは審らかにせざる可からざるなり。