呂氏春秋 / 不屈③
匡章謂惠子於魏王之前曰:「蝗螟,農夫得而殺之,奚故?為其害稼也。今公行,多者數百乘,步者數百人;少者數十乘,步者數十人。此無耕而食者,其害稼亦甚矣。」惠王曰:「惠子施也,難以辭與公相應。雖然,請言其志。惠子曰:『今之城者,或者操大築乎城上,或負畚而赴乎城下,或操表掇以善睎望。若施者,其操表掇者也。使工女化而為絲,不能治絲;使大匠化而為木,不能治木;使聖人化而為農夫,不能治農夫。施而治農夫者也』。公何事比施於螣螟乎?」惠子之治魏為本,其治不治。當惠王之時,五十戰而二十敗,所殺者不可勝數,大將、愛子有禽者也。大術之愚,為天下笑,得舉其諱,乃請令周太史更著其名。圍邯鄲三年而弗能取,士民罷潞,國家空虛,天下之兵四至。眾庶誹謗,諸侯不譽,謝於翟翦而更聽其謀,社稷乃存。名寶散出,土地四削,魏國從此衰矣。仲父,大名也;讓國,大實也。說以不聽、不信。聽而若此,不可謂工矣。不工而治,賊天下莫大焉,幸而獨聽於魏也。以賊天下為實,以治之為名,匡章之非,不亦可乎?
新字:匡章謂恵子於魏王之前曰:「蝗螟,農夫得而殺之,奚故?為其害稼也。今公行,多者数百乗,歩者数百人;少者数十乗,歩者数十人。此無耕而食者,其害稼亦甚矣。」恵王曰:「恵子施也,難以辞与公相応。雖然,請言其志。恵子曰:『今之城者,或者操大築乎城上,或負畚而赴乎城下,或操表掇以善睎望。若施者,其操表掇者也。使工女化而為糸,不能治糸;使大匠化而為木,不能治木;使聖人化而為農夫,不能治農夫。施而治農夫者也』。公何事比施於螣螟乎?」恵子之治魏為本,其治不治。当恵王之時,五十戦而二十敗,所殺者不可勝数,大将、愛子有禽者也。大術之愚,為天下笑,得舉其諱,乃請令周太史更著其名。囲邯鄲三年而弗能取,士民罷潞,国家空虚,天下之兵四至。眾庶誹謗,諸侯不誉,謝於翟翦而更聴其謀,社稷乃存。名宝散出,土地四削,魏国従此衰矣。仲父,大名也;譲国,大実也。説以不聴、不信。聴而若此,不可謂工矣。不工而治,賊天下莫大焉,幸而独聴於魏也。以賊天下為実,以治之為名,匡章之非,不亦可乎?
書き下し
匡章、惠子に魏王の前に謂いて曰く、「蝗螟は、農夫得れば而ち之を殺す、奚の故ぞや。其の稼を害するが爲なり。今公行くに、多き者は數百乘、步者數百人。少き者は數十乘、步者數十人。此れ耕すこと無くして食らう者なり。其の稼を害すること亦た甚だし。」惠王曰く、「惠子施や、辭を以て公と相應じ難し。然りと雖も、請う、其の志を言え。」惠子曰く、「今の城く者、或者は大築を城上に操り、或いは畚を負いて城下に赴き、或いは表掇を操りて以て善く睎望す。施の若き者は、其れ表掇を操る者なり。工女をして化して絲と爲らしめば、絲を治むること能わず。大匠をして化して木と爲さしめば、木を治むること能わず。聖人をして化して農夫と爲さば、農夫を治むること能わず。施は而ち農夫を治むる者なり。公、何事か施を螣螟に比するや。」惠子の治、魏、本と爲せども、其の治は治まらず。惠王の時に當りて、五十たび戰いて二十たび敗れ、殺さるる所の者は勝げて數う可からず。大將愛子に禽わるる者有るなり。大術の愚、天下の笑いと爲り、其の諱を舉ぐるを得。乃ち請いて、周の太史をして更に其の名を著わさしむ。邯鄲を圍むこと三年にして取ること能わず。士民罷潞し、國家空虚し、天下の兵四より至る。衆庶誹謗し、諸侯譽せず。翟翦に謝して更めて其の謀を聽きて、社稷乃ち存すれども、名寶散出し、土地四に削られ、魏國此れ從り衰う。仲父は大名なり。讓國は大實なり。說は以て聽かれず信ぜられず。聽かるれば而ち此の若し。工と謂う可からず。工ならずして治むるは、天下を賊うこと焉より大なるは莫し。幸にして獨り魏に聽かるるのみなり。天下を賊うを以て實と爲し、之を治むるを以て名と爲す。匡章の非とする、亦た可ならずや。
現代語訳
匡章が魏王の前で恵子に言った、「いなごや害虫は、農夫が捕まえれば殺す。なぜか。作物を害するからだ。今あなたが出かけるとき、多いときは数百乗の車と数百人の従者、少ないときでも数十乗と数十人。これは耕さずに食う者たちだ。作物を害することもまた甚だしい。」恵王は言った、「恵子施は弁論であなたと応対するのが難しい。とはいえ、その考えを述べさせよう。」恵子は言った、「今、城を築く者は、ある者は城上で大きな杵を操り、ある者はもっこを背負って城下に赴き、ある者は測量器を操ってよく見晴らす。私のような者は、測量器を操る者です。機織り女が糸に化しても糸は扱えず、名工が木に化しても木は扱えず、聖人が農夫に化しても農夫を治められません。私は農夫を治める者です。あなたはどうして私を害虫になぞらえるのか。」恵子の政治は魏を根本とみなしたが、その治はうまくいかなかった。恵王の時代、五十回戦って二十回敗れ、殺された者は数え切れず、大将や愛児が捕らわれた者もあった。大がかりな計略の愚かさは天下の笑い物となり、その忌むべき失態が取り沙汰された。そこで周の太史に頼んで名を改めさせた。邯鄲を三年囲んでも落とせず、民は疲弊し、国は空しくなり、天下の援軍が四方から来た。民衆はそしり、諸侯はくみせず。翟翦に謝って改めてその謀を聞き入れ、国家はかろうじて保たれたが、名器や宝は流出し、領土は四方から削られ、魏国はこれより衰えた。宰相の位は大きな名、国を譲るのは大きな実である。恵子の説は聞かれも信じられもしなかった。聞かれてこのありさまだ。巧みとは言えない。巧みでないのに政治を執るのは、天下を害することこれより大きいものはない。幸いにも魏だけに聞かれたのである。天下を害することを実とし、それを治めることを名とした。匡章が非難したのも、もっともではないか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
論語・雍也篇子曰く、觚、觚ならず。觚ならんや、觚ならんや。
-
呂氏春秋・審分⑤故に其の實を按じて其の名を審らかにして、以て其の情を求め、其の言を聽きて其の類を察し、放悖せしむる無し。夫れ名は其の實に當らざること多くして、事は其の用に當らざる者多し。故に人主は以て名分を審らかにせざる可からざるなり。名分を審らかにせざるは、是れ壅を惡みて愈々塞がるなり。壅塞の任は、臣下に在らず、人主に在り。堯・舜の臣、獨り義ならず、湯・禹の臣、獨り忠ならず、其の數を得ればなり。桀・紂の臣、獨り鄙ならず、幽・厲の臣、獨り辟ならず、其の理を失えばなり。
-
論語・八佾篇季氏、泰山に旅す。子、冉有に謂いて曰く、『子、止むる能わざるか。』曰く、『能わず。』子曰く、『ああ!曾て泰山は林放に如かずと謂えりや。』
-
説苑・雜言淳于髡、孟子に謂いて曰く、「名実を先んずる者は、人の為にする者なり。名実を後にする者は、自ら為にする者なり。夫子は三卿の中に在りて、名実未だ上下に加わらずして之を去る、仁者固より此くの如きか」と。孟子曰く、「下位に居りて、賢を以て不肖に事えざる者は、伯夷なり。五たび湯に就き、五たび桀に就く者は、伊尹なり。汙君を悪まず、小官を辞せざる者は、柳下惠なり。三子は道を同じくせざれども、其の趣くところは一なり。一とは何ぞや。曰く仁なり。君子も亦仁のみ、何ぞ必ずしも同じからん」と。曰く、「魯の穆公の時、公儀子政を為し、子思・子庚臣為り、魯の削らるるや滋々甚だし。是くの若きは、賢者の国に益無きなり」と。曰く、「虞は百里奚を用いずして亡び、秦の穆公は之を用いて霸たり。故に賢を用いざれば則ち亡ぶ、削らるる何ぞ得べけんや」と。曰く、「昔者、王豹淇に処りて、河西謳を善くす。綿駒高唐に処りて、齊右歌を善くす。華舟・杞梁の妻、善く其の夫を哭して国俗を変ず。諸を内に有すれば必ず外に形る。其の事を為して其の功無きは、髡未だ睹ざるなり。是の故に賢者無きなり、有らば則ち髡必ず之を識らん」と。曰く、「孔子魯の司寇と為りて用いられず、祭に従いて膰肉至らず、冕を脱がずして行く。其の不善なる者は以て肉の為なりと為し、其の善なる者は以て礼の為なりと為す。乃ち孔子は微罪を以て行かんと欲し、苟くも去るを為さんと欲せざるなり。故に君子の為す所は、衆人固より識る能わざるなり」と。
-
荀子・正名篇異形にして心を離れて交々喩り、異物にして名実玄紐たり、貴賤明らかならず、同異別たれず。是くの如くんば、則ち志に必ず喩らざるの患い有り、而して事に必ず困廃の禍い有り。故に知者は之が為に分別し名を制して以て実を指し、上は以て貴賤を明らかにし、下は以て同異を弁ず。貴賤明らかに、同異別たれ、是くの如くんば則ち志に喩らざるの患い無く、事に困廃の禍い無し。此れ名有る所以なり。
-
呂氏春秋・正名①名正しければ則ち治まり、名喪わるれば則ち亂る。名をして喪わしむる者は、淫説なり。説くこと淫なれば、則ち可ならざるを可として、然らざるを然りとし、是ならざるを是として、非ならざるを非とす。故に君子の説くや、以て賢者の實、不肖者の充を言うに足るのみ。治の悖る所、亂の由りて起こる所を喩すに足るのみ。以て物の情、人の獲て以て生ずる所を知るに足るのみ。