呂氏春秋 / 任數③
有司請事於齊桓公。桓公曰:「以告仲父。」有司又請。公曰:「告仲父」,若是三。習者曰:「一則仲父,二則仲父,易哉為君!」桓公曰:「吾未得仲父則難,已得仲父之後,曷為其不易也?」桓公得管子,事猶大易,又況於得道術乎?
新字:有司請事於斉桓公。桓公曰:「以告仲父。」有司又請。公曰:「告仲父」,若是三。習者曰:「一則仲父,二則仲父,易哉為君!」桓公曰:「吾未得仲父則難,已得仲父之後,曷為其不易也?」桓公得管子,事猶大易,又況於得道術乎?
書き下し
有司、事を齊の桓公に請う。桓公曰く、「以て仲父に告げよ。」有司又請う。公曰く、「仲父に告げよ。」是くの若くすること三たび。習者曰く、「一にも則ち仲父、二にも則ち仲父、易きかな君為ること。」桓公曰、「吾未だ仲父を得ざれば則ち難し、已に仲父を得し後は、曷為れぞ其れ易からざらん。」桓公、管子を得てすら、事猶ほ大いに易し。又況んや道術を得るに於いてをや。
現代語訳
役人が斉の桓公に事の指図を仰いだ。桓公は、仲父すなわち管仲に告げよ、と言った。役人がまた仰ぐと、公は、仲父に告げよ、と言う。こんな調子で三度に及んだ。おそば付きの者が言った。何かにつけ仲父、何かにつけ仲父。君主というのは楽なものですね、と。桓公は言った。わしは仲父を得るまでは難しかった。すでに仲父を得た後は、どうして楽でないことがあろうか、と。桓公は管仲を得ただけでも、事はこれほど大いに楽になった。まして道の術を体得したなら、なおさらのことである。
解説
この段は、斉の桓公が名宰相管仲にすべてを任せて君主とは楽なものだと言われた逸話を通じ、適材に委ねることの効用を説きます。近習の皮肉に対し、桓公はよい人材を得るまでが難しく、得た後は任せればよいと応じます。呂氏春秋はこれを引いて、優れた臣を得て委ねるだけでも政治は格段に楽になる、まして統治の術そのものを体得すればなおさらだと結びます。適切な人材や仕組みを一度築けば、あとは任せて全体が回るという発想は、優れた人材の登用と権限委譲が経営者の負担を根本から軽くするという、現代のマネジメントの要諦にそのまま重なります。
この章句が説くこと
任数斉桓公管仲委任人材登用君道
関連する章句
-
呂氏春秋・贊能②管子は束縛せられて魯に在り。桓公、鮑叔を相にせんと欲す。鮑叔曰く、「吾が君、霸王たらんと欲すれば、則ち管夷吾、彼に在り。臣は若かざるなり。」桓公曰く、「夷吾は寡人の賊なり。我を射し者なり。不可なり。」鮑叔曰く、「夷吾は其の君の為に人を射し者なり。君若し得て之を臣とせば、則ち彼も亦た將に君の為に人を射んとせん。」桓公聽かず、強いて鮑叔を相とせんとす。固く辭して相を讓る,桓公果して之を聽く。是に於てか人をして魯に告げしめて曰く、「管夷吾は寡人の讎なり。願わくば之を得て親ら手を加えん。」魯君許諾し、乃ち吏をして其の拳を鞹し、其の目を膠し、之を盛るに鴟夷を以てし、之を車中に置かしむ。齊の境に至るや、桓公、人をして朝車を以て之を迎え、祓うに爟火を以てし、釁するに犧猳を以てし、生かして之と國に如かしむ。有司に命じて廟を除わしめ、筵几して之に薦めて曰く、「孤の夷吾の言を聞きし自り、目は益々明らかに、耳は益々聰なり。孤敢て專らにせず。敢て以て先君に告ぐ。」因りて顧みて管子に命じて曰く、「夷吾、予を佐けよ。」管仲還り走り、再拜稽首して、令を受けて出づ。管子、齊國を治め、事を舉げて功有れば、桓公必ず先づ鮑叔を賞して曰く、「齊國をして管子を得しめし者は、鮑叔なり。」桓公は賞を行うことを知れりと謂う可し。凡そ賞を行うには其の本を欲す。本なれば則ち過ち由りて生ずること無ければなり。
-
『長短経』任長管仲曰く「昇降揖譲、進退閑習なるは、臣は隰朋に如かず。請う、立てて以て大行と為せ。土を闢き粟を聚め、地の利を尽くすは、臣は甯戚に如かず。請う、立てて以て司田と為せ。平原広牧、車は轍を結ばず、士は踵を旋らさず、之を鼓して三軍の士、死を視ること帰するが如きは、臣は王子城父に如かず。請う、立てて以て大司馬と為せ。獄を決し中を折り、不辜を殺さず、不罪を誣いざるは、臣は賓胥無に如かず。請う、立てて以て大理と為せ。君の顔色を犯し、諫を進めて必ず忠、死亡を避けず、富貴に撓まざるは、臣は東郭牙に如かず。請う、立てて以て大諫と為せ。君若し国を治め兵を強くせんと欲せば、則ち五子なる者存す。若し覇王たらんと欲せば、則ち夷吾此に在り」と。
-
『晏子春秋』問下・景公問桓公何以致霸晏子對以下賢以身景公、晏子に問いて曰く、「昔、吾が先君桓公は、酒を飲むに善く、楽しみを窮め、味を食うこと方丈、色を好みて、別辟無し。此くの若きに、何を以て能く諸侯を率いて天子に朝せしめしか」と。晏子対えて曰く、「昔、吾が先君桓公は、俗を変うるに政を以てし、賢に下るに身を以てす。管仲は、君の賊なり。其の能の以て国を安んじ功を済すに足るを知り、故に之を魯の郊に迎え、自ら禦し、之を廟に礼す。異日、君、康荘に過りて、甯戚の歌を聞き、車を止めて之を聴き、則ち賢人の風なりとして、挙げて以て大田と為す。先君は賢を見て留めず、能を使うて怠らず、是を以て内政には則ち民之に懐き、征伐には則ち諸侯之を畏る。今君は先君の過ちを聞きて、其の大節を明らかにする能わず。桓公の霸たること、君奚ぞ疑わんや」と。
-
荀子・仲尼篇是くの若くして亡びず、乃ち霸たるは、何ぞや。曰く、於乎、夫の斉の桓公は天下の大節有り。夫れ孰か能く之を亡ぼさん。倓然として管仲の能の以て国を託するに足るを見るは、是れ天下の大知なり。安んじて其の怒りを忘れ、出でて其の讎を忘れ、遂に立てて仲父と為すは、是れ天下の大決なり。立てて以て仲父と為すも、貴戚も之を妒むを敢えてする莫し。之に高・国の位を与うるも、本朝の臣も之を悪むを敢えてする莫し。之に書社三百を与うるも、富人も之を距むを敢えてする莫し。貴賤長少、秩秩焉として、桓公に従いて之を貴び敬わざるは莫し。是れ天下の大節なり。諸侯に一節此くの如き有らば、則ち之を能く亡ぼす莫し。桓公は此の数節を兼ねて尽く之を有つ。夫れ又た何ぞ亡ぶ可けんや。其の霸たるや、宜なるかな。幸いに非ず、数なり。
-
『帝範』求賢第三齊(せい)は一匡(いっきょう)の業(ぎょう)を成(な)すこと、實(まこと)に仲父(ちゅうほ)の謀(はかりごと)に資(と)り、漢(かん)は六合(りくごう)を以(も)って家(いへ)と為(な)すこと、是(こ)れ淮陰(わいいん)の䇿(さく)に頼(よ)る。
-
史記 斉太公世家桓公の立つや、兵を発して魯を攻め、心に管仲を殺さんと欲す。鮑叔牙曰く、「臣幸ひに君に従ふを得て、君竟に以て立つ。君の尊き、臣以て君を増す無し。君将に斉を治めんとせば、即ち高傒と叔牙とにて足れり。君且に覇王たらんと欲せば、管夷吾に非ずんば不可なり。夷吾の居る所の国は国重し、失ふ可からざるなり」と。是に於て桓公之に従ふ。乃ち詳りて管仲を召して心を甘んぜんと欲すと為し、実は之を用ひんと欲す。管仲之を知り、故に往かんことを請ふ。鮑叔牙、管仲を迎へ受け、堂阜に及びて桎梏を脱し、斎祓して桓公に見ゆ。桓公厚く礼して以て大夫と為し、政を任ず。桓公既に管仲を得て、鮑叔・隰朋・高傒と斉国の政を修め、五家の兵を連ね、軽重・魚塩の利を設けて、以て貧窮を贍し、賢能に禄す。斉人皆説ぶ。二年、郯を伐ちて滅す。郯子、莒に奔る。初め、桓公の亡げし時、郯を過ぐ。郯無礼なり、故に之を伐つ。五年、魯を伐つ。魯の将の師敗る。魯の荘公、遂邑を献じて以て平がんことを請ふ。桓公許し、魯と柯に会して盟ふ。魯将に盟はんとするに、曹沬、匕首を以て桓公を壇上に劫かして曰く、「魯の侵地を反せ」と。桓公之を許す。已にして曹沬、匕首を去り、北面して臣の位に就く。桓公後に悔い、魯に地を与ふること無くして曹沬を殺さんと欲す。管仲曰く、「夫れ劫かされて之を許し、而して信に倍きて之を殺すは、一小快に愈るのみ。而して信を諸侯に棄て、天下の援を失ふ。不可なり」と。是に於て遂に曹沬の三たび敗れて亡ひし所の地を魯に与ふ。諸侯之を聞き、皆斉を信じて附かんと欲す。七年、諸侯、桓公に甄に会す。而して桓公是に於て始めて覇たり。十四年、陳の厲公の子完、号は敬仲、来りて斉に奔る。斉の桓公以て卿と為さんと欲す。譲る。是に於て以て工正と為す。田成子常の祖なり。二十三年、山戎、燕を伐つ。燕、急を斉に告ぐ。斉の桓公、燕を救ひ、遂に山戎を伐ち、孤竹に至りて還る。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る