呂氏春秋 / 貴因③
武王至鮪水。殷使膠鬲候周師,武王見之。膠鬲曰:“西伯將何之?無欺我也。”武王曰:“不子欺,將之殷也。”膠鬲曰:“朅至?”武王曰:“將以甲子至殷郊,子以是報矣。”膠鬲行。天雨,日夜不休,武王疾行不輟。軍師皆諫曰:“卒病,請休之。”武王曰:“吾已令膠鬲以甲子之期報其主矣。今甲子不至,是令膠鬲不信也。膠鬲不信也,其主必殺之。吾疾行以救膠鬲之死也。”武王果以甲子至殷郊。殷已先陳矣。至殷,因戰,大克之。此武王之義也。人為人之所欲,己為人之所惡,先陳何益?適令武王不耕而穫。
新字:武王至鮪水。殷使膠鬲候周師,武王見之。膠鬲曰:“西伯将何之?無欺我也。”武王曰:“不子欺,将之殷也。”膠鬲曰:“朅至?”武王曰:“将以甲子至殷郊,子以是報矣。”膠鬲行。天雨,日夜不休,武王疾行不輟。軍師皆諫曰:“卒病,請休之。”武王曰:“吾已令膠鬲以甲子之期報其主矣。今甲子不至,是令膠鬲不信也。膠鬲不信也,其主必殺之。吾疾行以救膠鬲之死也。”武王果以甲子至殷郊。殷已先陳矣。至殷,因戦,大克之。此武王之義也。人為人之所欲,己為人之所悪,先陳何益?適令武王不耕而穫。
書き下し
武王鮪水に至る。殷、膠鬲をして周師を候わしむ。武王之を見る。膠鬲曰く、「西伯、將に何くに之かんとする。我を欺くこと無かれ。」武王曰く、「子を欺かず。將に殷に之かんとするなり。」膠鬲曰く、「朅か至らん。」武王曰く、「將に甲子を以て殷の郊に至らんとす。子、是を以て報ぜよ。」膠鬲行く。天雨りて、日夜休まず。武王疾く行きて輟めず。軍師皆諫めて曰く、「卒病まん。請う之を休めよ。」武王曰く、「吾已に膠鬲をして甲子の期を以て其の主に報ぜしむ。今甲子に至らずんば、是れ膠鬲をして信ならざらしむるなり。膠鬲信ならずんば、其の主必ず之を殺さん。吾疾く行くは、以て膠鬲の死せんとするを救わんとするなり。」武王果して甲子を以て殷の郊に至る。殷已に先に陳せり。殷に至り、因りて戰い、大いに之に克てり。此れ武王の義なり。人、人の欲する所を為し、己は人の惡む所を為さば、先に陳すれども何の益かあらん。適に武王をして耕やさずして穫せしむ。
現代語訳
武王が鮪水に至った。殷は膠鬲を遣わして周軍の動きを探らせ、武王はこれに会った。膠鬲が「西伯はどこへ行かれるのか。私を欺かないでほしい」と言うと、武王は「あなたを欺かない。殷へ行くのだ」と答えた。膠鬲が「いつ着かれるか」と問うと、武王は「甲子の日に殷の郊外に着く予定だ。あなたはそう報告しなさい」と言った。膠鬲は帰った。雨が降り、昼も夜も止まなかったが、武王は急ぎ進んで止めなかった。将たちが皆「兵が病みます。休ませてください」と諫めたが、武王は「私はすでに膠鬲に甲子の日と主君へ報告させた。今甲子に着かなければ、膠鬲を嘘つきにしてしまう。膠鬲が信を失えば、その主君は必ず彼を殺すだろう。私が急ぐのは、膠鬲が殺されるのを救うためだ」と言った。武王は果たして甲子の日に殷の郊外に着いた。殷はすでに先に陣を布いていた。殷に着いてそのまま戦い、大いに勝った。これが武王の義である。相手が望むことをこちらが行い、こちらが相手の嫌がることをすれば、先に陣を布いても何の益もない。ちょうど武王は耕さずして収穫を得たようなものである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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呂氏春秋・貴因④武王、殷に入り、殷に長者有りと聞く。武王往きて之を見て、殷の亡びし所以を問う。殷の長者對えて曰く、「王之を知らんと欲すれば、則ち請う日中を以て期と為さん。」武王、周公旦と明日早に期を要すれども、則ち得ざるなり。武王之を怪しむ。周公曰く、「吾已に之を知れり。此れ君子なり。其の主に能くせざるを取りて、有た其の惡を以て告ぐるは、為すに忍びざるなり。若し夫れ期して當たらず、言いて信ならざるは、此れ殷の亡びし所以なり、已に此を以て王に告げたり。」
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呂氏春秋・貴因②武王、人をして殷を候わしむ。反りて岐周に報じて曰く、「殷は其れ亂れたり。」武王曰く、「其の亂るるや焉にか至る。」對えて曰く、「讒慝、良に勝つ。」武王曰く、「尚ほ未だしきなり。」又復た往きて、反りて報じて曰く、「其の亂るること加われり。」武王曰く、「焉にか至る。」對えて曰く、「賢者出でて走れり。」武王曰く、「尚ほ未だしきなり。」又往き、反りて報じて曰く、「其の亂るること甚だし。」武王曰く、「焉にか至る。」對えて曰く、「百姓敢て誹怨せず。」武王曰く、「嘻。」遽く太公に告ぐ。太公對えて曰く、「讒慝、良に勝つを、命づけて戮と曰い、賢者の出で走るを、命づけて崩と曰い、百姓敢て誹怨せざるを、命づけて刑勝と曰う。其の亂るること至れり。以て駕うる可からず。」故に選車三百・虎賁三千、朝に甲子の期を要して、紂禽と為る。則ち武王は固より其の與に敵為る無きを知るなり。其の用うる所に因らば、何の敵か之れ有らん。
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説苑・指武武王將に紂を伐たんとす。太公望を召して之に問いて曰く、「吾戰わずして勝ちを知り、卜せずして吉を知らんと欲す、其の人に非ざるを使うに、之を為すに道有りや」と。太公對えて曰く、「道有り。王眾人の心を得て、以て不道を圖らば、則ち戰わずして勝ちを知らん。賢を以て不肖を伐たば、則ち卜せずして吉を知らん。彼之を害すれば、我之を利す。吾が民に非ずと雖も、得て使うべし」と。武王曰く、「善し」と。乃ち周公を召して之に問いて曰く、「天下の事を圖る者、皆殷を以て天子と為し、周を以て諸侯と為す、諸侯を以て天子を攻む、之に勝つに道有りや」と。周公對えて曰く、「殷信に天子たり、周信に諸侯たらば、則ち勝つの道無し、何ぞ攻むべけんや」と。武王忿然として曰く、「汝の言說有るか」と。周公對えて曰く、「臣之を聞く、禮を攻むる者は賊と為し、義を攻むる者は殘と為し、其の民を制するを失えば匹夫と為ると。王は其の民を失う者を攻むるなり、何ぞ天子を攻めんや」と。武王曰く、「善し」と。乃ち眾を起こし師を舉げ、殷と牧の野に戰い、大いに殷人を敗る。堂に上り玉を見て、曰く、「誰の玉ぞや」と。曰く、「諸侯の玉なり」と。即ち取りて之を諸侯に歸す。天下之を聞き、曰く、「武王財に廉なり」と。室に入り女を見て、曰く、「誰の女ぞや」と。曰く、「諸侯の女なり」と。即ち取りて之を諸侯に歸す。天下之を聞き、曰く、「武王色に廉なり」と。是に於て巨橋の粟を發し、鹿臺の財金錢を散じて以て士民に與え、其の戰車を黜けて乘らず、其の甲兵を弛めて用いず、馬を華山に縱ち、牛を桃林に放ち、復た用いざるを示す。天下之を聞く者、咸武王天下に義を行うと謂う、豈に大ならずや。
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『智囊』知微・殷長者武王が殷に入ると、殷に長者がいると聞き、武王は往いてこれに見え、殷の亡びた所以を問うた。殷の長者は対えて、「王が知ろうと欲するなら、請う日中を期としましょう」と言った。期に及んで至らなかったので、武王はこれを怪しんだ。周公は曰く、「吾は已に知りました。この人は君子であり、義として其の主を非としません。かの期にして当たらず、言って信ならざること、これが殷の亡びた所以です。已にこれを以て王に告げたのです」と。
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史記 殷本紀紂曰く、「我生まれて命の天に在る有らずや」と。祖伊反りて、曰く、「紂諫む可からず」と。西伯既に卒し、周の武王の東伐して、盟津に至る。諸侯の殷に叛きて周に会する者八百。諸侯皆曰く、「紂伐つ可し」と。武王曰く、「爾未だ天命を知らず」と。乃ち復た帰る。紂愈淫乱して止まず。微子数諫むるも聴かず、乃ち大師・少師と謀り、遂に去る。比干曰く、「人臣為る者は、死を以て争はざるを得ず」と。迺ち強ひて紂を諫む。紂怒りて曰く、「吾聞く、聖人の心に七竅有りと」と。比干を剖き、其の心を観る。箕子懼れ、乃ち詳狂して奴と為る。紂又之を囚ふ。殷の大師・少師乃ち其の祭楽器を持ちて周に奔る。周の武王是に於て遂に諸侯を率ゐて紂を伐つ。紂も亦兵を発して之を牧野に距ぐ。甲子の日、紂の兵敗る。紂走り、入りて鹿台に登り、其の宝玉の衣を衣て、火に赴きて死す。
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