呂氏春秋 / 報更③
張儀,魏氏餘子也,將西遊於秦,過東周。客有語之於昭文君者曰:“魏氏人張儀,材士也,將西遊於秦,願君之禮貌之也。”昭文君見而謂之曰:“聞客之秦。寡人之國小,不足以留客。雖游然豈必遇哉?客或不遇,請為寡人而一歸也,國雖小,請與客共之。”張儀還走,北面再拜。張儀行,昭文君送而資之,至於秦,留有間,惠王說而相之。張儀所德於天下者,無若昭文君。周,千乘也,重過萬乘也,令秦惠王師之,逢澤之會,魏王嘗為御,韓王為右,名號至今不忘,此張儀之力也。
新字:張儀,魏氏余子也,将西遊於秦,過東周。客有語之於昭文君者曰:“魏氏人張儀,材士也,将西遊於秦,願君之礼貌之也。”昭文君見而謂之曰:“聞客之秦。寡人之国小,不足以留客。雖游然豈必遇哉?客或不遇,請為寡人而一帰也,国雖小,請与客共之。”張儀還走,北面再拝。張儀行,昭文君送而資之,至於秦,留有間,恵王説而相之。張儀所徳於天下者,無若昭文君。周,千乗也,重過万乗也,令秦恵王師之,逢沢之会,魏王嘗為御,韓王為右,名号至今不忘,此張儀之力也。
書き下し
張儀は、魏氏の餘子なり。將に西のかた秦に游ばんとして、東周を過る。客に之を昭文君に語ぐる者有り。曰く、「魏氏の人張儀は、材士なり。將に西のかた秦に游ばんとす。願わくは君の之を禮貌せんことを。」昭文君見て之に謂いて曰く、「聞く、客秦に之く、と。寡人の國は小にして、以て客を留むるに足らず。然りと雖も游、豈に必ずしも遇せられんや。客或いは遇せられずんば、請う寡人の為に一たび歸れ。國小なりと雖も、請う客と之を共にせん。」張儀還り走り、北面して再拜す。張儀行く。昭文君送りて之に資す。秦に至りて、留ること間有りて、惠王説びて之を相とす。張儀、天下に徳とする所の者は、昭文君に若くは無し。周は千乘なれども、重きこと萬乘に過ぎたりとす。秦の惠王をして之を師とせしむ。逢澤の會に、魏王嘗て御為り、韓王右為り、名號今に至るも忘れられず。此れ張儀の力なり。
現代語訳
張儀は魏の余子(嫡子でない子)であった。西へ向かって秦に遊説しようとして、東周を通りかかった。ある客がこれを昭文君に告げて「魏の張儀は有能な人物で、西の秦へ遊説に行こうとしています。どうか手厚く礼遇なさってください」と言った。昭文君は張儀に会って「あなたは秦へ行くと聞いた。わが国は小さく、あなたを引き止めるには足りない。とはいえ遊説してもきっと登用されるとは限らない。もし用いられなかったら、どうか私のもとへ一度帰ってきてほしい。国は小さいが、あなたと分かち合おう」と言った。張儀は走り戻って北面し、二度拝礼した。張儀が出発するとき、昭文君は見送って旅費まで持たせた。秦に着いてしばらくして、恵王は喜んで張儀を宰相とした。張儀が天下で最も恩義に感じた相手は、昭文君に及ぶ者はなかった。周は千乗の小国だが、その重みは万乗の大国以上とされ、秦の恵王に周を師と仰がせた。逢澤の会盟では魏王が御者役、韓王が陪乗役を務め、その威名は今も忘れられない。これは張儀の力によるものである。
解説
この章句が説くこと
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史記 張儀列伝蘇秦已に趙王に説きて相約して従親するを得たり、然れども秦の諸侯を攻め、約を敗りて後に負かんことを恐れ、秦に使用すべき者莫きを念ひ、乃ち人をして微かに張儀を感ぜしめて曰く、「子始め蘇秦と善し、今秦已に路に当たる、子何ぞ往きて游び、以て子の願ひを通ぜんことを求めざる」と。張儀是に於いて趙に之き、謁を上りて蘇秦に見えんことを求む。蘇秦乃ち門下の人を誡めて為に通ぜず、又去るを得ざらしむること数日。已にして之に見え、之を堂下に坐せしめ、僕妾の食を賜ふ。因りて数々之を譲めて曰く、「子の材能を以て、乃ち自ら困辱をして此に至らしむ。吾寧ろ言ひて子を富貴にする能はざらんや、子は収むるに足らざるなり」と。謝して之を去らしむ。張儀の来たるや、自ら以為へらく故人なりと、益を求めて、反つて辱めらる、怒り、諸侯の事ふべき莫く、独り秦のみ能く趙を苦しめんと念ひ、乃ち遂に秦に入る。蘇秦已にして其の舎人に告げて曰く、「張儀は、天下の賢士なり、吾殆ど如かざるなり。今吾幸ひに先に用ひらる、而して能く秦の柄を用ふる者は、独り張儀のみ可なり。然れども貧しく、因りて以て進む無し。吾其の小利を楽しみて遂げざらんことを恐る、故に召して之を辱め、以て其の意を激す。子我が為に陰かに之を奉ぜよ」と。乃ち趙王に言ひ、金幣車馬を発し、人をして微かに張儀に随はしめ、与に宿舎を同じくし、稍稍近づきて之に就き、奉ずるに車馬金銭を以てし、用ひんと欲する所は、為に取りて給し、而して告げず。張儀遂に以て秦の恵王に見ゆるを得。恵王以て客卿と為し、与に諸侯を伐たんことを謀る。蘇秦の舎人乃ち辞して去る。張儀曰く、「子に頼りて顕るるを得、方に且に徳に報いんとす、何の故に去るや」と。舎人曰く、「臣君を知るに非ず、君を知るは乃ち蘇君なり。蘇君秦の趙を伐ちて従約を敗らんことを憂へ、以為へらく君に非ざれば能く秦の柄を得る莫しと、故に君を感怒せしめ、臣をして陰かに君に資を奉給せしむ、尽く蘇君の計謀なり。今君已に用ひらる、請ふ帰りて報ぜん」と。張儀曰く、「嗟乎、此れ吾が術中に在りて悟らず、吾蘇君に及ばざること明らかなり。
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呂氏春秋・報更①國、小なりと雖も、其の食は以て天下の賢者を食うに足り、其の車は以て天下の賢者を乘するに足り、其の財は以て天下の賢者を禮する足り、天下の賢者と徒と為る。此れ文王の王たる所以なり。今未だ王たること能わずと雖も、其の以て安きを為すは、亦た易からずや。此れ趙宣孟の免れたる所以なり、周の昭文君の顯れし所以なり、孟嘗君の荊の兵を卻けたる所以なり。古の大いに功名を立てたるものと、國を安んじ身を免れたる者とは、其の道他無し。其れ必ず此に之れ由るなり。堪士は驕恣を以て屈す可からず。
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史記 張儀列伝秦の欲する所は楚を弱むるに如くは莫く、而して能く楚を弱むる者は韓に如くはなし。韓の能く楚より彊きを以てするに非ざるなり、其の地勢然ればなり。今王西面して秦に事へて以て楚を攻めば、秦王必ず喜ばん。夫れ楚を攻めて以て其の地を利し、禍を転じて秦を説ばしむ、計此れより便なる者無し」と。韓王儀の計を聴く。張儀帰報す、秦の恵王儀を五邑に封じ、号して武信君と曰ふ。張儀をして東のかた斉の湣王に説かしめて曰く、「天下の彊国は斉に過ぐる者無し、大臣父兄殷衆にして富楽なり。然り而して大王の為に計る者は、皆一時の説を為して、百世の利を顧みず。従人の大王に説く者は、必ず曰はん『斉は西に彊趙有り、南に韓と梁と有り。斉は、負海の国なり、地広く民衆く、兵彊く士勇なり、百秦有りと雖も、将に斉を奈何ともする無からん』と。大王其の説を賢として其の実を計らず。夫れ従人は朋党比周し、従を以て可と為さざるは莫し。臣之を聞く、斉と魯と三たび戦ひて魯三たび勝つも、国以て危亡其の後に随ふ、戦勝の名有りと雖も、亡国の実有りと。是れ何ぞや。斉大にして魯小なればなり。今秦の斉に与けるや、猶ほ斉の魯に与けるがごときなり。秦趙河漳の上に戦ひ、再び戦ひて趙再び秦に勝つ。番吾の下に戦ひ、再び戦ひて又秦に勝つ。四戦の後、趙の亡卒数十万、邯鄲僅かに存す、戦勝の名有りと雖も国已に破る。是れ何ぞや。秦彊くして趙弱ければなり。今秦楚女を嫁し婦を娶り、昆弟の国と為る。韓は宜陽を献じ、梁は河外を効し、趙は澠池に入朝し、河間を割きて以て秦に事ふ。大王秦に事へずんば、秦韓梁を駆りて斉の南地を攻め、悉く趙の兵清河を渡り、博関を指さば、臨菑・即墨は王の有に非ざるなり。国一日攻めらるれば、秦に事へんと欲すと雖も、得べからざるなり。是の故に願はくは大王孰々之を計れ」と。
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戦国策・張儀相秦張儀秦に相たり、昭雎に謂いて曰わく、「楚に鄢・郢・漢中無くんば、更に得る所有りや。」曰わく、「有る無し。」曰わく、「昭雎・陳軫無くんば、更に得る所有りや。」曰わく、「更に得る所無し。」張儀曰わく、「儀の為に楚王に謂いて昭雎・陳軫を逐わば、請う鄢・郢・漢中を復さん。」昭雎帰りて楚王に報じ、楚王之を説ぶ。人有りて昭雎に謂いて曰わく、「甚しいかな、楚王の名を争う者に察せざるや。韓相たらんことを工陳籍に求むるも周聴かず、魏相たらんことを綦母恢に求むるも周聴かず、何を以てするか。周は是れ列県のごとく我を畜えばなり。今楚は万乗の強国なり、大王は天下の賢主なり。今儀君と陳軫とを逐わんと曰いて王之を聴けば、是れ楚自ら行うこと周に如かず、而して儀韓・魏の王より重んぜらるるなり。且つ儀の行う所、功名有る者は秦なり、貴富ならんと欲する者は魏なり。魏に攻を為さんと欲せば、必ず南のかた楚を伐たん。故に攻に道有り、外は其の交わりを絶ち、内は其の謀臣を逐う。陳軫は夏人なり、三晋の事に習う、故に之を逐わば、則ち楚謀臣無し。今君能く楚の衆を用う、故に亦た之を逐わば、則ち楚衆用いられず。此れ所謂内之を攻むる者なり、而るに王察するを知らず。今君何ぞ臣を王に見えしめざる、請う王の為に斉との交わりを絶えざらしめん。斉との交わり絶えざれば、儀之を聞けば、其の鄢・郢・漢中を効すこと必ず緩からん。是れ昭雎の言信ならず、王必ず之を薄んぜん。」
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戦国策・張儀事秦惠王張儀、秦の惠王に事ふ。惠王死し、武王立つ。左右、張儀を惡みて曰く、「儀、先王に事へて忠ならず。」言未だ已(や)まざるに、齊の讓(せ)め又た至る。張儀之を聞き、武王に謂ひて曰く、「儀に愚計有り、願はくは之を王に效(いた)さん。」王曰く、「奈何(いかん)。」曰く、「社稷の爲に計る者は、東方に大變有り、然る後に王多く地を割く可し。今、齊王甚だ張儀を憎み、儀の在る所には、必ず兵を舉げて之を伐たん。故に儀願はくは不肖の身を乞ひて梁に之かん、齊必ず兵を舉げて之を伐たん。齊・梁の兵、城下に連なりて相去る能はず、王其の間を以て韓を伐ち、三川に入り、兵を函谷に出だして伐つこと無く、以て周に臨まば、祭器必ず出で、天子を挾み、圖籍を案ぜん、此れ王業なり。」王曰く、「善し。」乃ち革車三十乘を具へ、之を梁に納る。齊果たして兵を擧げて之を伐つ。梁王大いに恐る。張儀曰く、「王患ふる勿かれ、請ふ齊の兵を罷めしめん。」乃ち其の舍人馮喜をして楚に之かしめ、藉りて之を齊に之かしむ。齊・楚の事已に畢はり、因りて齊王に謂ふ、「王甚だ張儀を憎むと雖も、然れども厚きかな、王の儀を秦王に託するや。」齊王曰く、「寡人甚だ儀を憎む、儀の在る所には、必ず兵を擧げて之を伐たん、何を以て儀を託すと爲すや。」對へて曰く、「是れ乃ち王の儀を託するなり。儀、秦を出づるに因りて秦王と約して曰く、『王の爲に計る者は、東方に大變有り、然る後に王多く地を割く可し。齊王甚だ儀を憎み、儀の在る所には、必ず兵を擧げて之を伐たん。故に儀願はくは不肖の身を乞ひて梁に之かん、齊必ず兵を擧げて梁を伐たん。梁・齊の兵、城下に連なりて去る能はず、王其の間を以て韓を伐ち、三川に入り、兵を函谷に出だして伐つこと無く、以て周に臨まば、祭器必ず出で、天子を挾み、圖籍を案ぜん、是れ王業なり。』秦王以て然りと爲し、革車三十乘を與へて儀を梁に納る。而して果たして之を伐つ、是れ王内自ら罷めて與國を伐ち、鄰敵を廣げて以て自ら臨み、儀を秦王に信ぜしむるなり。此れ臣の謂ふ所の儀を託するなり。」王曰く、「善し。」乃ち止む。
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『智囊』謬數・蘇秦蘇秦・張儀は嘗て同学にして、俱に鬼谷先生に事う。蘇秦既に合従を以て諸侯に顕るるも、秦の諸侯を攻めて其の約を敗らんことを恐れ、秦に使用すべき者無きを念い、乃ち人をして微かに張儀を感ぜしめ、之に勧めて蘇秦に謁して以て通ずるを求めしむ。儀、是に於いて趙に之き、秦に見えんことを求む。秦は門下の人に誡めて通ぜしめず、又去るを得ざらしむること数日。已にして之に見ゆ。坐を堂下に与え、僕妾の食を賜い、因りて数々之を譲めて曰く、「子の才能を以て、乃ち自ら困辱を此の如くせしむ。吾寧ぞ言いて子を富貴ならしむる能わざらんや。子は収むるに足らず」と。謝して去らしむ。儀は大いに失望し、怒ること甚だし。諸侯に事うべき莫く、独り秦のみ能く趙を苦しむと念い、乃ち遂に秦に入る。蘇秦は趙王に言い、其の舎人をして微かに張儀に随わしめ、与に舎に同宿し、稍々近づき就き、奉ずるに車馬金銭を以てす。張儀は遂に以て秦の恵王に見ゆるを得たり。王は以て客卿と為し、与に諸侯を伐つを謀る。舎人乃ち辞して去る。儀曰く、「子に頼りて顕るるを得たり。方に且に徳に報いんとす。何の故に去るや」と。舎人曰く、「臣は君を知るに非ず。君を知るは乃ち蘇君なり。蘇君は秦の趙を伐ち、従約を敗らんことを憂い、君に非ざれば能く秦の柄を得る莫しと以為う。故に君を感怒せしめ、臣をして陰かに君に資を奉給せしむ。今君已に用いらる。請う、帰りて報ぜん」と。張儀曰く、「嗟乎。此れ吾術中に在りて悟らず。吾の蘇君に及ばざること明らかなり。吾又新たに用いらる。安んぞ能く趙を謀らんや。我の為に蘇君に謝せよ。蘇君の時、儀何ぞ敢えて言わん。且つ蘇君在さば、儀寧ぞ能くせんや」と。是れより蘇秦の世を終うるまで、敢えて趙を謀らず。

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