呂氏春秋 / 愼大①
賢主愈大愈懼,愈彊愈恐。凡大者,小鄰國也;彊者,勝其敵也。勝其敵則多怨,小鄰國則多患。多患多怨,國雖彊大,惡得不懼,惡得不恐?故賢主於安思危,於達思窮,於得思喪。周書曰:“若臨深淵,若履薄冰”,以言慎事也。
新字:賢主愈大愈懼,愈彊愈恐。凡大者,小鄰国也;彊者,勝其敵也。勝其敵則多怨,小鄰国則多患。多患多怨,国雖彊大,悪得不懼,悪得不恐?故賢主於安思危,於達思窮,於得思喪。周書曰:“若臨深淵,若履薄冰”,以言慎事也。
書き下し
賢主愈々大なれば愈々懼る、愈々彊ければ愈々恐る。凡そ大なる者は、鄰國を小とし、彊き者は、其の敵に勝つなり。其の敵に勝てば則ち怨み多く、鄰國を小とせば則ち患多し。患多く怨み多ければ、國彊大なりと雖も、惡くんぞ懼れざるを得んや、惡くんぞ恐れざるを得んや。故に賢主は安きに於て危きを思い、達せるに於いて窮するを思い、得るに於て喪うを思う。周書に曰く、「深淵に臨むが若く、薄冰を履むが若し。」以て事を慎むを言うなり。
現代語訳
賢明な君主は、国が大きくなるほど懼れ、強くなるほど恐れる。そもそも大国であるとは隣国を小さく圧することであり、強国であるとは敵に勝つことである。敵に勝てば多くの怨みを買い、隣国を圧すれば多くの禍を招く。禍も怨みも多ければ、国が強大であっても懼れ恐れずにいられようか。だから賢主は、安泰なときに危険を、栄達したときに困窮を、得たときに失うことを思う。『周書』に「深い淵に臨むように、薄い氷を踏むように」とあるのは、事にあたって慎むことを説いたものである。
解説
「愼大」篇の総論です。強大になるほど危険も増すという逆説を示し、賢主は安泰・栄達・獲得のただ中でこそ、危機・困窮・喪失を思うべきだと説きます。強国であることは敵に勝ち隣国を圧することを意味し、その分だけ怨みと禍を積み上げてしまう、という構造をとらえています。版図拡大を競う戦国末に編まれた本書は、拡張が新たな敵意を生む点を見抜き、『周書』の「深淵に臨む・薄氷を履む」という言葉で慎みの姿勢を裏づけます。組織や事業が成功して規模を増したときこそ、驕らずに備えを固めるべきだという教えは、現代の経営やリーダーシップにも通じます。
この章句が説くこと
慎大慎み安に危を思う強大怨みと禍周書
関連する章句
-
説苑・敬慎存亡禍福は、其の要身に在り。聖人誡めを重んじ、忽せにする所を敬慎す。中庸に曰わく、「隠より見わるるは莫く、微より顕らかなるは莫し。故に君子は其の独りを慎むなり」と。諺に曰わく、「誠に垢無ければ、思うに辱無し」と。夫れ誠ならず思わずして以て身を存し国を全うする者も亦た難きかな。詩に曰わく、「戦戦兢兢として、深淵に臨むが如く、薄氷を履むが如し」と。此を之れ謂うなり。
-
呂氏春秋・愼小①上は尊く下は卑し。卑しければ則ち小を以て上を觀るを得ず。尊ければ則ち恣なり。恣ならば則ち小物を輕んず。小物を輕んずれば、則ち上、下を知るに道無し。下、上を知るに道無し。上下相知らざれば、則ち上は下を非り、下は上を怨む。人臣の情、怨む所を為すこと能わず。人主の情、非る所を愛すること能わず。此れ上下大いに相道失うの道なり。故に賢主は小物を謹みて以て好惡を論ず。
-
呂氏春秋・直諫①言極まれば則ち怒る。怒れば則ち說く者危うし。賢者に非ずんば孰か肯て危うきを犯さん。而して賢者に非ざるや、將に以て利を要めんとす。利を要むるの人、危きを犯して何をか益せん。故に不肖の主は賢者無し。賢なければ則ち極言を聞かず。極言を聞かざれば、則ち姦人比周し、百邪悉く起こる。此の若くなれば則ち以て存する無し。凡そ國の存するや、主の安きや、必ず以有るなり。以とする所を知らざれば、存すと雖も必ず亡び、安しと雖も必ず危うし。以とする所は論ぜざる可からざなり。
-
呂氏春秋・愼勢①之を數に失いて、之を信に求むれば疑い、之を勢に失いて、之を國に求むれば危うし。吞舟の魚も、陸處すれば則ち螻蟻に勝たず。權鈞しければ則ち相使うこと能わず。勢等しければ則ち相并わすこと能わず。治亂齊しければ則ち相正すこと能わず。故に小大・輕重・少多・治亂は察せざる可からず。此れ禍福の門なり。
-
廟堂忠告・遠慮第四天下の事、其の已(すで)に然(しか)るを知りて、其の将(まさ)に然らんとするを知らざる者は衆人なり。其の已に然るに因りて将に然らんとして未だ然らざるを、逆(さかのぼ)りて之を知るは、深識遠慮(しんしきえんりょ)の者に非ざれば能わず。室已に焚けて薪を徙(うつ)し、舟已に溺れて壺(こ)を市(か)い、疾(やまい)已に成りて艾(もぐさ)を求むるは、力を殫(つく)して之を為すと雖も、及ぶ無し。今夫れ隆然(りゅうぜん)たる堤に、蟻(あり)を容るるの穴有るも、宜しく損う所無きが若しと雖も、然れども識に周(あまね)き者は、必ず塞ぎて之を実(み)たす。其の久しくして必ず必ず訌潰(こうかい)に底(いた)るを慮(おもんぱか)るが故なり。天下の事、皆能く是くの如く之を慮らば、尚(な)お何の後患か之れ有らんや。大氐(たいてい)、古(いにしえ)より国家の治まらざる所以、臣子(しんし)の軌(き)ならざる所以は、固(もと)より一朝一夕の積(つ)みに非ず。良(まこと)に今日某事(ぼうじ)を以て小過(しょうか)と為して諫(いさ)めず、明日某人を以て小罪と為して懲(こ)らさず、日に引き月に深く、自ら其の禍乱の成るを知らざるに由るなり。故に臣の君に於けるや、可を献じ否を替(す)て、敢えて一毫(いちごう)の姑息(こそく)の心を萌(きざ)さず。始めは以て傷無しと為すも、卒(つい)に大いに傷むべきに至り、始めは以て慮るに足らずと為すも、卒に深く慮るべきに至る。惟(ただ)君子のみ能く微(び)を見て著(ちょ)を知り、患いを思いて之を予防す。飲宴に於いては則ち流連(りゅうれん)を防ぎ、田猟(でんりょう)に於いては則ち荒縦(こうしょう)を防ぎ、営繕(えいぜん)に於いては則ち踰制(ゆせい)を防ぎ、貨財に於いては則ち民を損なうを防ぎ、爵賞に於いては則ち僭(せん)を防ぎ、刑法に及びては則ち濫殺(らんさつ)を防ぎ、君子に於いては則ち疎遠を防ぎ、小人に於いては則ち玩狎(がんこう)を防ぎ、聴覧(ちょうらん)に於いては則ち姦(かん)を容るるを防ぎ、征伐に於いては則ち武を瀆(けが)すを防ぐ。夫れ君の臣に於けるや、亦た当(まさ)に遠慮すべき所有り。愛すと雖も過分の賞を錫(たま)わず、旧(ふる)しと雖も非拠(ひきょ)の官を授けず、親しと雖も褻瀆(せつとく)の談を交えず。蓋(けだ)し尊卑の分(ぶん)厳なれば、則ち上下の体(たい)定まる。上下の体定まれば、則ち禍乱(からん)自(よ)りて生ずる無く、天下の事、次第に治むべし。
-
尚書・周官寵に居りて危うきを思い、畏れざる罔く、畏れざれば畏るるに入る。