呂氏春秋 / 必己④
張毅好恭,門閭帷薄聚居眾無不趨,輿隸棩(木改女)媾小童無不敬,以定其身,不終其壽,內熱而死。單豹好術,離俗棄塵,不食穀實,不衣芮溫,身處山林巖堀,以全其生,不盡其年,而虎食之。孔子行道而息,馬逸,食人之稼,野人取其馬。子貢請往說之,畢辭,野人不聽。有鄙人始事孔子者曰請往說之,因謂野人曰:“子不耕於東海,吾不耕於西海也,吾馬何得不食子之禾?”其野人大說,相謂曰:“說亦皆如此其辯也,獨如嚮之人?”解馬而與之。說如此其無方也而猶行,外物豈可必哉?
新字:張毅好恭,門閭帷薄聚居眾無不趨,輿隸棩(木改女)媾小童無不敬,以定其身,不終其寿,内熱而死。単豹好術,離俗棄塵,不食穀実,不衣芮温,身処山林巖堀,以全其生,不尽其年,而虎食之。孔子行道而息,馬逸,食人之稼,野人取其馬。子貢請往説之,畢辞,野人不聴。有鄙人始事孔子者曰請往説之,因謂野人曰:“子不耕於東海,吾不耕於西海也,吾馬何得不食子之禾?”其野人大説,相謂曰:“説亦皆如此其弁也,独如嚮之人?”解馬而与之。説如此其無方也而猶行,外物豈可必哉?
書き下し
張毅は恭を好み、門閭・帷薄・聚衆、趨らざる無く、輿隸・婣媾・小童も敬せざる無く、以て其の身を定んぜんとす。其の壽を終えず、內に熱して死す。單豹は術を好み、俗を離れ塵を棄て、穀實を食らわず、芮溫を衣ず、身は山林巖堀に處り、以て其の生を全うせんとす。其の年を盡くさずして、虎之を食らう。孔子、道を行きて息う。馬逸し、人の稼を食らう。野人、其の馬を取る。子貢往きて之に説かんことを請う。辭を畢くせども、野人聽かず。鄙人の始めて孔子に事うる者有り、往きて之に説かんことを請う。因りて野人に謂いて曰く、「子は東海に耕さず、吾は西海に耕さず。吾が馬何ぞ子の禾を食らわざるを得ん。」其の野人大いに説び、相謂いて曰く、「説も亦た皆此くの如きは其れ辯なり。嚮の人に獨如れぞや。」馬を解きて之に與う。説此くの如く其れ方無くして猶ほ行わる。外物豈に必とす可けんや。
現代語訳
張毅は恭しさを好み、門や垣、人だかりのあるところではどこでも小走りに敬い、下僕や親戚や子供にまで敬わないことがなく、そうして身を安んじようとした。だが天寿を全うせず、内に熱がこもって死んだ。単豹は養生の術を好み、俗世を離れ、穀物を食べず、綿を着ず、山林の岩穴に住んで、生を全うしようとした。だが天寿を尽くさぬうちに虎に食われた。孔子が道を行き休んだとき、馬が逃げて人の畑の作物を食べた。里人がその馬を取り上げた。子貢が行って話をつけようとしたが、言葉を尽くしても里人は聞かない。孔子に仕え始めたばかりの田舎者が、行って話をつけたいと願い出て、里人に言った。「あなたは東海で耕さず、私も西海で耕していない、つまり同じ土地で暮らしている。私の馬がどうしてあなたの作物を食べずにいられよう。」里人は大いに喜び、「話すなら皆こう素朴に言えばよいものを、さっきの人すなわち子貢ときたら」と言い合い、馬を解いて返した。説得はこのように定まった方法もないのに、それでも通じる。外物はどうして当てにできようか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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孔子家語・致思子貢民を治むるを孔子に問う。子曰わく、「懍懍焉として腐索の馬を扞するが若し。」 子貢曰わく、「何ぞ其れ畏るるや。」 孔子曰わく、「夫れ通達禦する皆人なり。道を以て之を導けば、則ち吾が畜なり。道を以て之を導かざれば、則ち吾が讎なり。之を如何ぞ其れ畏るる無からんや。」
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論語・公冶長篇子貢曰く、『賜は何如。』子曰く、『女(なんじ)は器なり。』『何の器ぞ。』『瑚璉(これん)なり。』
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孔子家語・致思子貢孔子に問いて曰わく、「死者は知有りや、将た知無きや。」 子曰わく、「吾死の知有るを言わんと欲すれば、将た孝子順孫の生を妨げて以て死を送らんことを恐る。吾死の知無きを言わんと欲すれば、将た不孝の子其の親を棄てて葬らざらんことを恐る。賜死者の知有ると知無きとを知らんと欲すること莫かれ。今の急に非ず、後自ら之を知らん。」
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荀子・大略篇子貢(しこう)孔子に問ひて曰く、「賜(し)は学に倦(う)めり、願はくは君に事(つか)ふるに息(いこ)はん」と。孔子曰く、「詩に云ふ、『温恭朝夕、事を執りて恪(かく)有り』と。君に事ふるは難し、君に事ふる焉(いづ)くんぞ息ふべけんや」と。「然らば則ち、賜は親に事ふるに息はんことを願ふ」。孔子曰く、「詩に云ふ、『孝子匱(つ)きず、永く爾(なんぢ)の類に錫(たま)ふ』と。親に事ふるは難し、親に事ふる焉くんぞ息ふべけんや」と。「然らば則ち賜は妻子に息はんことを願ふ」。孔子曰く、「詩に云ふ、『寡妻(かさい)に刑(のっと)り、兄弟に至り、以て家邦を御(をさ)む』と。妻子は難し、妻子焉くんぞ息ふべけんや」と。「然らば則ち賜は朋友に息はんことを願ふ」。孔子曰く、「詩に云ふ、『朋友攸(こ)れ攝(たす)く、攝くるに威儀を以てす』と。朋友は難し、朋友焉くんぞ息ふべけんや」と。「然らば則ち賜は耕すに息はんことを願ふ」。孔子曰く、「詩に云ふ、『昼は爾于(ここ)に茅(かや)かり、宵は爾于に綯(なは)を索(な)ふ。亟やかに其れ屋に乗り、其れ始めて百穀を播(ま)く』と。耕すは難し、耕す焉くんぞ息ふべけんや」と。「然らば則ち賜に息ふ者無きか」。孔子曰く、「其の壙(こう)を望めば、皋(こう)如たり、顛(てん)如たり、鬲(かく)如たり。此れ則ち息ふ所を知らん」と。子貢曰く、「大なるかな、死や。君子は焉(ここ)に息ひ、小人は焉に休す」と。
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史記 仲尼弟子列伝端木賜、衛人、字は子貢。孔子より少きこと三十一歳。子貢は利口巧辞なり、孔子常に其の弁を黜く。問ひて曰く、「汝と回と孰れか愈れる」と。対へて曰く、「賜や何ぞ敢て回を望まん。回や一を聞きて以て十を知り、賜や一を聞きて以て二を知る」と。子貢既に業を受け、問ひて曰く、「賜は何人ぞや」と。孔子曰く、「汝は器なり」と。曰く、「何の器ぞや」と。曰く、「瑚璉なり」と。子貢問ひて曰く、「富みて驕る無く、貧しくして諂ふ無きは、何如」と。孔子曰く、「可なり、貧しくして道を楽しみ、富みて礼を好むには如かず」と。
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孔子家語・致思魯国の法、人の臣妾を諸侯に贖う者は、皆金を府より取る。子貢之を贖い、辞して金を取らず。 孔子之を聞きて曰わく、「賜之を失えり。夫れ聖人の事を挙ぐるや、以て風を移し俗を易う可く、教導以て百姓に施す可し、独り身に適するの行いのみに非ざるなり。今魯国富む者は寡くして貧しき者は衆し、人を贖いて金を受くれば則ち不廉と為さば、則ち何を以て相い贖わんや。今より以後、魯人復た人を諸侯に贖わじ。」